第16話 完璧なエスコート
悠里と話せなくても時間はあっという間に過ぎ去っていく。
春だと思ったのに、すでに夏に足を踏み入れ始めた時期に正装は暑すぎた。
ツバサはしっくりこない服の裾を軽く握り、紗雪の前で軽く回って見せる。
「どうかな、変じゃない?」
中等部になっても私服で男の服装を着ることには慣れなかった。
普段着はいいのだ。けれど、こういう場面で着る服は、周りからの見え方とツバサ自身の見え方がとても違っているのを実感してしまう。
「う、うん、素敵だよ」
「もうちょっと、背があればなぁ」
紗雪は淡い緑のドレスにケープを重ねるような形だ。
とてめ可愛らしく、その分、プレッシャーがのしかかる。
紗雪とツバサの身長は辛うじてツバサが大きいくらいだ。
さくらだったら、ヒールを履かれた時点で見上げることになる。
女子の中でも高い方ではなかったから、それも仕方ないだろう。
ボヤいたツバサに紗雪は小さく握りこぶしを作って励ましてくれる。
「い、今からだから、大丈夫だよ」
「あはは……将来に期待するしかないね」
紗雪の優しさに笑顔を返す。
その将来が絶望的なことをツバサはすでに知っているのだけれど。
わざわざ紗雪に言うことでもない。
ザワツク会場の扉の前で、ツバサは手元にあるパンフレットに目を落とした。
「えっと、今日はバレエだっけ」
「クラシック、バレエだよ」
さくらも手広い。
踊りなんて授業と、必要な時に踊れれば十分と考えるツバサとは正反対だ。
悠里もやっているはずだが、彼女から発表会に呼ばれたことはほぼなかった。
「ちゃんと見るの初めてだなぁ」
「わたしも学園以外だとさくらちゃんくらいかな」
チラシの説明を表裏と読んでいく。
作曲家、初年度、由来……バレエに興味がなければ、覚えられる気がしない事柄が並べられていた。
早々に諦めたツバサは座席の方へ踏み込み、会場をぐるりと見回した。
「あー、そっか。校内観劇で来てたかもね」
シオン学園は、芸術祭があることからも分かるように、文化にも力を入れている。
そのため、学園の講堂に外から劇団やバレエ団を呼ぶという荒業を行うのだ。
授業の一環にしては高尚すぎる内容は、悠里に解説してもらってやっとわかったくらいだ。
と、ツバサは増えてきた人混みから守るように紗雪の肩を引き寄せた。
「紗雪ちゃん」
「あ、ありがとう」
一瞬、目を泳がせた紗雪だったが、大勢の人が後ろを通り過ぎるのを感じて身を縮こませた。
道場だったら遠慮なく投げ飛ばすのだろうか。
湧いた想像に頬が緩みそうになる。
ツバサは口元に力を入れたまま首を横に振った。
「ううん。人、多いね」
「この近くである程度の大きさの会場だと、大体ここになるみたい」
入口付近にいるからか、人の流れは多く見えた。
ツバサたちのように正装に近い格好の人々が行き交っている。
紗雪の言葉にツバサは少し目を細めて人々を見つめるた。
「へぇ、そうなんだ」
「今日も別の発表会があるみたいだよ?」
「ホントだ。こっちは音楽かな?」
「そうだね」
型を寄せ合って案内図に目を通す。
電光掲示板には数個の公演や会議名が載っていた。
お互い指を指しながら内容を想像する。
きっとシオン学園の生徒も含まれているだろう。
「そ、そろそろ、中に行く?」
「少し緊張してきたかも」
一通り時間を潰し、紗雪が座席へ目を向けた。
全席指定席で、ツバサと紗雪はさくらからチケットを貰っている。
席番は2桁になったばかりのセンター席。舞台のどこでも見やすそうな場所だった。
「見るだけだから、大丈夫だよ」
今更、緊張がぶり返してきた気がするツバサに、紗雪はおかしそうに微笑んでくれた。
さくらの発表会は滞りなく終わった。
さすがの出来だった。クラシックバレエということもあり、目新しさはないのだけれど。
一つ一つがしっかりと基礎に基づいて行われている。
動きの優美さ、音楽との調和。何より踊っているさくら自身が楽しそうで、ツバサは圧倒された。
「どうだった?」
「いや、だから、綺麗だったって」
発表会が終わり、懇親会用のドレスに着替えたさくらはツバサと紗雪の下に来ると、すぐにそう聞いてきた。
ドヤ顔に近い、得意そうな顔に、ツバサは肩をすくめながら答えたのだが、さくらを満足させることはできなかったようだ。
ジロリと圧力のある視線が向けられる。
「さくらちゃんの踊りはいつ見てもうっとりできるね」
紗雪も同じように感想を口にする。だが、さくらの反応は正反対で、目を輝かせながら手を握っていた。
「ありがとう、紗雪。紗雪はほんと癒やしよ」
そのまま、つないだ両手を上下に軽く振っている。
紗雪も照れたように頬を赤くした。
その態度の違いにツバサは、わざとらしく首をかしげて見せた。
「同じようなもんじゃない?」
「綺麗の一言は感想にさえならないわよ。あんた、調宮のときも同じこと言う?」
ツバサの気の抜けた質問に、さくらは紗雪の手を柔らかくと離し、ツバサに向き直る。
その顔に浮かんでいるのは、隠しもしない呆れた表情だった。
悠里だったら。彼女自身が舞台の真ん中を好む人間ではないので、想像が難しい。
「悠里のとき……」
「ほら、そういうとこ」
黙り込んだツバサにさくらは鬼の首を取ったように言い放った。
反論することさえできやしない。
だって、確かにツバサは悠里だったら、するすると美辞麗句が出てくる気がしていたから。
紗雪からも仕方ない子供を見られるような視線を向けられていた。
「あたしは挨拶とかあるから、紗雪のエスコートしっかりしてよね!」
ちらりと周りを見回したさくらがツバサに念を押す。
さくらのパーティードレスの裾が軽やかに翻った。
ツバサは一度小さく頷く。
「はーい」
「ツバサくん、ちゃんとできてたから、大丈夫だよ」
「沙雪は甘いから」
紗雪からのフォローにもさくらは頭を振るだけ。
ツバサ自身、エスコートできているのか自信が持てなかった。
むしろ面倒を見てもらっているような気さえしていた。
さくらが別会場から出てきた二人組を指差す。
「いい、完璧なエスコートっていうのはああいうのを……」
さくらの言葉が尻すぼみになっていく。
華やかな青いドレスとグレーのタキシード。
絵に描いたような完璧な二人組にツバサは見覚えがあった。
「悠里」
「朝倉くんもいるね」
引くつく喉から絞り出したような声が出た。
紗雪も気づいたようで、小声でささやき合う。
見知った人間から見つめられ、先に気づいたのは海斗だった。
「おや、奇遇だね」
「ホントに。調宮と朝倉が一緒だと目立つわね」
悠里をエスコートしながら、海斗が近づいてくる。
立ち話の距離になれば、さらに二人の華やかさが匂い立つ。
かけられた言葉に真っ先に反応したのは、さくらだった。
どうやら知人への挨拶回りは後になったらしい。
「そちらも発表会かい?」
「ええ、あたしのバレエの、ね」
さくらの視線が戦士のように燃え上がる。
あれは張り合いたいときの目だ。元々、さくらは悠里をライバル視しているところがある。
たまに発揮される負けん気が今燃え上がっていた。
巻き込まれたくない。一歩引こうとしていたら、問答無用で肘を掴まれる。
「柚木に紗雪のエスコートをしてもらってたのよ」
「へぇ」
海斗の視線が刺さるように感じた。
愛想笑いを浮かべ、無難にやり過ごすことにする。
海斗の隣に立つ悠里はドレスアップしているのと相まって、とても綺麗で。
綺麗なほどモヤモヤする気持ちが湧き上がり、ツバサはなるべく見ないようにした。
「似合うわよ」
「悠里こそ」
かけられた言葉にも肩を上げるだけ。
海斗を見てからでは素直に受け取れない。
完璧な王子さまの隣に、完璧なお姫さま。
ツバサが見たかった構図のはずなのに、さっぱり喜べなかった。
「紗雪と柚木は相性がいいわね」
さくらは悠里に向かって、そう言い放った。
止めて欲しくて、ツバサは軽くさくらの肘を叩くが、まったく止まる気はなさそうだった。
悠里も芸術祭のときとは違い、真っ向からそれを受け止める。眉尻があがった。
「どういう意味かしら」
「いいえ、見たままを言っただけよ」
悠里とさくらの間で火花が散る。
それを収めたのも海斗だった。
「まあまあ、二人は仲が良いんだね」
この二人をそんな言葉で収められることに感心する。
喧嘩するほどという言葉もあるが、美人ふたりが対立すると心臓に悪い。
ツバサは海斗によって緩んだ空気でやっと息をつけた。
「どうかな、今度、親睦を深める意味で別荘に来ないかい?」
「あら、楽しそう」
海斗からの提案に、一も二もなく乗ったのはさくらだ。
ニッコリと威嚇するような笑顔を浮かべつつ、そんなことを宣う。
さくらが行くと言ってしまえば、自然、紗雪も行くことになるだろう。
そして。
「田中や宮本も誘っておいてよ。ね、柚木」
「……わかった」
海斗の言葉にツバサは頷いた。
男側の取りまとめとして、ツバサが指名されるのも筋が通っていた。
不承不承を隠せなかったことくらい、許して欲しいところだったが。
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