第28話

 シオン学園の生徒会は、まるで貴族の執務室のような雰囲気を放っている。

 重厚なマホガニーの机と床に敷かれた絨毯がそう思わせるのかもしれない。

 緑の色が深まる頃、ツバサは海斗に呼びだされ、生徒会室を訪れていた。

 革張りの椅子に座る王様から告げられた言葉に目を瞬かせる。


「石川さんのサポートを朝倉と半々にする?」

「うん、その方がいいかなって思ってね」


 海斗は机の上に両肘をつくと口元に細やかな笑みを浮かべた。

 里奈が転入してきてから、おおよそ一ヶ月。

 クラスでは大分周りに溶け込んでいたが、まだ慣れない部分はあるようで放課後や休憩時間のサポートは続けている。

 シオン学園は行事も独特のものが多く、まだサポート派必要だろう。

 だけれど、わざわざ海斗がサポートする必要性を感じなかった。


「なんで朝倉が?」

「同じ学年なのが、俺だけだからね」 


 海斗が椅子を回しながら答える。

 二年の生徒会役員は、海斗、悠里、ツバサだ。

 悠里とツバサは同じクラスのため、別のクラスなら海斗しかいない。

 けれと。ツバサにとって、それより重要なことがあった。


「悠里は良いの?」


 ツバサが里奈のサポートをすることに一番反対したのは悠里である。

 その後も自然と距離が近い里奈に悠里が注意する場面や、里奈をツバサが庇ったことで悠里が機嫌を悪くしたりすることも多く。

 海斗とサポートを半々にしても、悠里が怒る部分が増えるだけな気がした。

 海斗はうっすらと口元を緩めながら言った。


「悠里が言ったんだよ。ツバサだけにサポートは大変だって」


 海斗が椅子から立ち上がる。

 ツバサは苦笑いを浮かべながら眉を下げるしかできない。


「大丈夫なのに」

「何より君たちの痴話喧嘩が増えて困ると、色んなところから陳情が来ている」


 まさかの発言にツバサは目を瞬かせた。

 だから悠里はこの場に呼ばれなかったのか。彼女がいないことがやっと腑に落ちた。


「痴話喧嘩って……悠里の機嫌が悪いのは否定しないけど」


 ツバサはわずかに声を低くした。

 里奈が転入してきてから、こういう話をばかりで困ってしまう。

 悠里と海斗が許婚なのはシオン学園に通っている人間ならば知っている。

 それなのに痴話喧嘩の相手に上がるのは、必ずツバサで。

 嬉しいような、困ってしまうような、何とも言えない気持ちに苛まれるのだ。


「そう。調宮悠里の機嫌が悪いのは困るってさ」


 ツバサの言葉を肯定するように頷きながら、海斗は半笑いのような表情を浮かべた。


「見てみてくれ」


 海斗は机の上に置いてあった書類を数枚取り出した。

 それらをツバサの前に差し出す。

 そこに書かれていたのは次のような言葉だ。


『調宮さんの隣には柚木くんを置いておいてください』

『調宮さんの機嫌を損ねることは美しくない』

『あの二人の間に挟まれるのは転入生が可哀想』


 紙を見て、海斗を見て、もう一度、手元を確認した。

 書類自体は生徒会への意見箱の隣に置いてあるものだ。

 つまり正式なもの。

 署名は必要ないので無記名だが、ご意見と囲まれた枠にきちんと書かれている。

 今度こそツバサは唖然とした。


「なにこれ」

「生徒会に寄せられた、公正なる生徒諸君の意見だよ」


 海斗の声色には半分ほど面白がるような色が入っていた。

 公正なる生徒諸君の意見。

 ツバサとしては面食らうという、言葉しかない。

 目を丸くしたままツバサは海斗を見た。


「えぇ? 朝倉がサポートに入るのはいいの?」

「生徒たちもよく見てるんだよ……悠里の機嫌が誰で一番左右されるか」


 海斗は大きく肩を竦めた。

 そう言われてしまうと、ツバサに言えることはなく。

 ふーっと大きくため息を吐いた。


「朝倉は、それでいいの?」

「まだ秘密」


 静かなツバサの問いかけにも海斗は当たり障りのない言葉しか返さない。

 煙に巻いているのだ。

 海斗と悠里の関係もツバサにとっては不思議だった。

 以前より改善している気はするのに、色恋の熱は前と同じく感じない。


「まぁ、気になるなら悠里に聞くことだね」

「……そうする」


 海斗の変化も、悠里のことも、ツバサにはわからないことばかりだ。

 もやもやしたものを抱えながら生徒会室をあとにする。

 一人だけのけ者のような、うまく表現できない気分だった。


 悠里と話すことができたのは、結局、プロムパーティーも間近になってからだった。

 三年生にとって最後であり、一番大きなイベントだ。

 進行や演出の確認などすべきことは山ほどあった。

 ツバサはすっかりプロムパーティー用に準備された講堂を眺めた。


「今年のプロムパーティーは上手く行きそうだね」

「ええ、宮本くんにも手伝ってもらったし、来年も大丈夫でしょ」


 悠里は最終チェックを行うように見渡していた。その横顔とあの横顔が丸きり違うことにツバサは安堵していた。

 今年は海斗が中心になって準備を行った。

 そのサポートは龍之介がしたし、ツバサの仕事は変わらず、悠里の相手だけ。

 高等部以降、ツバサの仕事はほぼ悠里の隣にいることになった。


「……来年、どうするの?」


 ツバサはおずおずと尋ねた。

 悠里はツバサにちらりと視線を向けるとすぐに視線を戻してしまう。


「プロムパーティー? もちろん、出るわよ」

「それは知ってる」


 論点をずらすような物言いにツバサは小さく頷いた。

 出るのは知っている。

 ツバサにとって問題は誰と、そして、悠里自身が出たいのかだ。


「調宮の家からも出るように言われてるし、いつもと同じよ。クイーンを取りなさい、って」

「そこは心配ないでしょ。悠里と海斗だもの」


 わざと突っ込む。

 あの日、悠里はツバサの予定は埋まっていると里奈に言った。

 その意味を考えないわけがない。

 それでも悠里は肩を竦めるだけだった。


「どうでしょうね」


 やはり、海斗と出るのか。

 悠里の表情からは何も読み取れない。

 それでもいい。

 そう思っているはずなのに、胸の奥がざわざわした。


「小野寺さんの相手が大変だわ」

「ああ、小野寺も出るよね」


 これ以上答えてくれない様子にツバサは話を合わせる。

 さくらの様子は容易に想像できた。

 毎年、芸術祭やイベントにかこつけて行われる定例行事のようなものだ。

 プロムパーティーなんて体の良いイベントだろう。


「最後は絶対に負けないって、一年前なのに宣戦布告されたわ」

「そりゃまた」


 表情を変えない悠里にツバサは苦笑した。

 悠里とさくらの勝負は毎回さくらが張り合うことで始まる。

 が、はっきり勝敗がつくことはほぼない。

 ツバサが悠里を褒めて、紗雪がさくらを褒める。あとは男子たちがそれぞれに感想を口にする。

 大体がそういう流れで、さくらは紗雪に褒めてもらいたいだけなんじゃないかなとこの頃思い始めていた。


「純粋なダンスなら、小野寺さんが圧勝でしょうね」

「プロムパーティーは、プロムパーティーだから」


 悠里の言葉にツバサは首を振る。

 プロムパーティーはダンスコンテストではない。

 だからこそ、ツバサは悠里にクイーンになって欲しかった。


「一番相応しい二人にキングとクイーンを与えるのが趣旨だよ」

「わかってるわよ」


 何度も言われているのだろう。

 悠里の言葉には少しだけ飽きたような響きがあった。

 ツバサは記憶にある悠里の姿を思い浮かべる。


「プロムパーティーの悠里、綺麗だろうなぁ」


 こぼれた声。

 あの日ほど誰かに見とれたことはない。

 あの日ほど後悔した日もない。

 青髪の彼の残響が過る。それを振り払うように軽く頭を振る。

 気づけば悠里がツバサを真っ直ぐに見つめていた。


「楽しみにしてなさい」

「……うん」


 楽しみで、怖い。

 悠里の綺麗な姿を見れるのは嬉しくて。

 同じくらい終わったら、どうなるのか、怖い。

 ツバサは不安を消すように笑った。

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