第27話 虎の尾を踏むと


 たまたまなのか図書館に続く廊下に人影はなく、空間を静けさが支配していた。

 とりあえず、事実を説明するしかない。

 ツバサは悠里に向かって、どうにか笑顔を取り繕った。


「今、石川さんを図書館に案内しようとしていたところなんだ」


 隣で里奈も大きく頷いてくれた。

 転入してきたばかり。しかも、この悠里の前では声を出すのも難しいだろう。

 悠里はすぐさまツバサの顔を見ると、口元だけの笑みを浮かべた。


「へぇ、それにしては顔が赤いわね」

「それは」


 悠里のことを話してたからなんだけど、とツバサは喉元まで出かかった言葉を飲み込んだ。

 内容を聞かれたら答えられる気がしなかったからだ。

 黙り込んだツバサをそのままに、悠里が里奈に向き合う。


「石川里奈さんね。改めて生徒会副会長をしている調宮悠里です。ようこそ、シオン学園へ」

「あ、ありがとうございます! 石川里奈です」


 テンプレ通りの挨拶をする悠里は、できる女をそのまま形にしたような雰囲気だった。

 怒気の隠された綺麗な人間からの挨拶に里奈は女王様に初めて拝謁した人間のように頭を下げた。

 ツバサにもそうしたくなる気持ちはよくわかる。


「同じクラスだし、本当ならばもっと早くに話したかったんだけど」


 悠里が一度言葉を止めた。

 ツバサに視線が飛んできて、思わず背筋を伸ばした。

 だが、何か言われることもなく、悠里は顔を正面に戻し軽く頭を下げる。


「新学期で時間が取れなくて、ごめんなさい」

「クラスの皆やツバサくんに助けてもらってるので、大丈夫です!」


 肩くらいの高さに両手を上げて、里奈が高速で手を振った。

 謝られて身の置き場がないのだろう。

 けれど、その裏に含まれる雰囲気にどうしてもツバサは身構えてしまう。


「そう、ありがとう。ツバサも」

「ううん、わたしも生徒会のメンバーだし、これくらいはね」


 一年生から生徒会に入ることになるとは思わなかった。

 反対もなくすんなり入れたことに一番驚いたのもツバサだ。

 だが入ったあとは、海斗と悠里の仲介をするくらいで大して働いてもいない。

 許してくれたかな、と気を緩めたツバサの内心を読んだように悠里が目を細めた。


「でも、急に女子生徒と距離を詰めるのはどうかと思うわ」

「あ、はは……ごめん、気づかなかった」


 距離を詰めたつもりは微塵もないが、ツバサは頬を掻きながら謝った。

 今までも何度か指摘されていたことだったから。

 どうしても女の子とは距離感が近くなってしまう。


「石川さんも、ツバサはたまに女の子との距離感を間違うから注意してね」

「わ、かりました」


 里奈はひたすら、悠里の言葉に頷いていた。

 一通り注意し終え、悠里の機嫌が回復傾向にあることにほっとする。


「それで、図書館だったかしら」

「うん。宮本もいるみたいだから」


 こうなったら、少しでも知り合いを巻き込んでしまおう。

 悠里の機嫌はツバサに関することで上下しやすく、その度ごとに友人たちから助けてもらったものだ。


「ああ、宮本くんにプロムパーティーの演出を頼んだのよ」


 プロムパーティーの演出を頼んだ。

 その一言を飲み込むまで、ツバサには少し時間が必要だった。


「え、そうなの?」

「ええ、本来は生徒会が進行を務めるのだけれど。私たちの学年は進行に出せる人がいないじゃない」


 驚きのまま聞き返せば、当然のように悠里が言ってくる。

 プロムパーティーの演出は、以前はツバサがしていた仕事だ。

 演出なんて言っても、やるこては進行とスケジュールの決定。

 雛形は決まっているので、役割を振り分けること、当日のトラブルに対応するのが主な仕事だ。

 当然、出場する人間はできない。


(わたしはできるけど)


 いつの間に龍之介にその仕事が回ったのか。

 まったく相談のなかったことに苛立ちの種が湧き立つ。

 と、里奈が悠里とツバサの顔を見て困ったように言った。


「あの、プロムパーティーって?」

「三年生の卒業を祝うダンスパーティーだよ。全員参加できるんだけど、目玉として学年のキングとクイーンを決める催しがあって」


 背はほとんど変わらないはずなのに、上目遣いをうまく織り込んでくる。

 悠里からの視線が痛くなるのを感じながら、ツバサはプロムパーティーについて説明した。

 とはいえ、ツバサも龍之介の話は知らなかったので、そこは省く。


「海斗と悠里はその催しに出るから、進行に回れないんだ」

「ふーん、面白そうだね!」

「みんな気合が入るよ」


 ツバサは笑いながら首肯した。

 プロムパーティーはシオン学園の目玉の一つと言えるだろう。

 何と言っても欧米式のダンスパーティーだ。

 社会に出てからも、ほとんど使わない技能にために凄まじい労力をかけるのだから、上流階級の余裕という奴だ。


「わたしは出れるの?」

「参加は自由だよ」


 キングとクイーンを目指すならば、話は別だが。

 ツバサは里奈の様子を観察する。プロムパーティーを今知ったくらいだから、わざわざ海斗を狙ってこの話をしているわけでもないだろう。

 里奈がツバサを見る。何だろうと首を僅かに傾けていたら、悠里が里奈を遮った。


「ツバサは先約があるから、駄目よ?」

「あ、そうなんですね。残念」

「えっ、と」


 知らないけど。そんな先約があるなんて。

 ツバサは悠里の横顔に言葉を詰まらせる。

 ツバサの前で悠里は答え、里奈は眉を下げながら肩を竦めた。

 聞かなければ、そう焦っていると、また声が飛んできた。


「君たち、こんなところで何してるんだ?」

「宮本」


 振り返る。図書館で会うかと思っていた姿がそこにはあった。龍之介が大きな体を丸めて立っていた。

 彼ならばツバサの手に負えない状況を解いてくれるかもしれない。

 龍之介はツバサたちを見回すと、資料を持ったまま後ろを顎で示した。


「廊下の真ん中で有名人が立ち話してるから、誰も通れなくなってるんだが?」

「え?」


 ツバサは振り返る。

 確かに遠巻きに生徒たちの姿が見えた。

 目が合うと逸らす人と苦笑いを浮かべるのが半々。


「あら、失礼したわ」

「ごめんなさい!」


 ツバサは謝りながら、悠里たちと端に寄った。

 通りたかっただろう人たちがパラパラと通り過ぎていく。

 耳が熱い。

 大体の人が行ったあとで、龍之介は真面目な顔のまま言った。


「柚木、痴話喧嘩は人の目につかない所でしてくれ」

「ち、痴話喧嘩なんてっ」


 していないし、ツバサにはどうにもならないことだった。

 不可抗力と訴えたかったが、なぜか悠里があっさりと認めてしまう。


「そうね。つい頭に血が上ってたわ。教えてくれて、ありがとう」

「慣れたもんだからな」


 当事者なのに悠里は少しも悪びれず、龍之介に礼を言った。

 大きな体で器用に肩を竦めると龍之介は鷹揚に頷いた。

 再び言葉をなくしたツバサを放って話は進んでいく。


「石川さんだっけ?」

「うん、始めまして」


 里奈もこの展開に慣れたのか、疲れたのか、わずかに笑顔を翳らせた。

 龍之介は気にした様子もなく里奈に説明した。


「そういうわけで、調宮と柚木のプロムパーティーは埋まっている。参加は止めんが、別の相手を探したほうが良い」

「わかったよ。教えてくれてありがとう」


 悠里の予定が埋まっているのはわかる。だが、ツバサの予定も埋まっているとは知らなかった。

 悠里と龍之介に聞くことが山ほどありそうだ。やっと顔の暑さが落ち着いてきた。

 龍之介が悠里とツバサを見た。


「じゃ、今日は解散でいいんじゃないか?」


 もはや疲れ切ったツバサに反論する気はなく、里奈と向かい合う。


「そうだね。続きはまた明日」

「うん、ありがとう。ツバサくん!」


 里奈自身、整理したいことも多いだろう。

 ツバサたちに軽く挨拶をすると、すぐに戻っていった。

 あの様子なら日常生活では問題なさそうだ。

 里奈の背中が見えなくなるのを待って、悠里も踵を返す。


「さ、帰るわよ。ツバサ」

「そうしよっか、悠里」


 龍之介はすでにどこかに行っていた。

 すっかり、いつも通りに戻った悠里にほっとしながら、聞きたいことを整理する。

 全部教えてくれるかはわからないけれど、ツバサは悠里と並んで歩き出した。

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