第26話


 キーンコーンカーンコーンと、終業を知らせるチャイムが鳴り響く。

 石川里奈の初日は何も問題なく過ぎていった。

 本人より緊張していたツバサはフーっと静かに大きく息を吐いた。


(目立った接触はなし、と)


 石川里奈と海斗がどこで仲良くなったのか、ツバサは知らなかった。

 以前の記憶では、高等部に入ってから悠里と教室で話すことはほぼなく。委員会や生徒会に入ってからは仕事の話ばかり。

 眺めてばかりおらず、もうちょっと話しておけば良かったと思ったのは、こちらに戻されてからだった。

 悠里とさえそれだから、海斗の動向なんて益々わかりやしない。


「ツバサくん?」


 そんな風に思いを巡らせていたら、里奈に声をかけられた。

 教室を見ても半数ほどの生徒ははいなくなっていた。忙しい悠里も既にいない。

 ぼうっとしすぎた。

 ツバサ苦笑しながら立ち上がった。


「特別教室から案内するね」

「よろしくお願いします!」


 両手で小さくガッツポーズする里奈の仕草は可愛らしい。

 とりあえず音楽室あたりから回ろうかと、ツバサは里奈の案内を始めた。


 文化活動に熱心なシオン学園は音楽室や視聴覚室以外に部活動用の防音室や鏡張りのレッスン室、はたまた茶道や華道のための和室までバリエーション豊かに揃えられている。

 その分、使わない人間にはまったく使わない場所も多く、ツバサも迷いそうになった一人だ。


「ほんと、広いね」

「部活で文化系に入らなければ、ほとんど使わないから」


 部屋数の多さに目を丸くしている里奈にフォローを入れる。

 ツバサもほとんど立ち入らない場所だった。

 と、ちょうどよく扉が開き、見慣れた人影と目があった。


「あら、柚木。珍しいじゃない」

「小野寺、彼女の案内をしてたんだよ」


 手を軽く上げたさくらにツバサは隣に立っている里奈を紹介する。

 さくらの瞳が細められ、にわかに鋭さを増す。

 美人がこういう顔をすると怖いと言うのに、さくらはわざとそう振る舞っている部分があった。


「ああ、噂の転入生ね」


 さすが耳が早い。

 違うクラスだというのに、里奈のことは把握しているようだった。


「石川里奈です。よろしくお願いします!」


 そんなさくらに物怖じせず、里奈は元気いっぱいに頭を下げた。


「小野寺さくらよ、クラスは違うけどよろしく」


 さくらはふっと口角だけを引き上げると、後ろに隠れていたもう一人を押し出す。


「ほら、紗雪」

「ほ、星野紗雪、です」


 紗雪が照れながらも挨拶をした。その紗雪の頭をさくらが褒めながら撫でている。

 さくらと紗雪の仲の良さは相変わらずのようだ。

 二人とはクラスが離れたが、今でもお昼をたまに食べたりしている。

 というのも、俊介と龍之介、さくら、紗雪の四人はよく生徒会に突撃してくるのだ。

 仕事ばかりの悠里を連れ出すきっかけになるのでツバサは感謝していた。


「柚木が調宮以外といるなんて珍しいわね」


 ちゃんと挨拶ができた紗雪を褒め終わったさくらが、里奈とツバサの間で視線を動かす。

 さくらだったら聞いてくるだろうなぁという直接的な言葉に、ツバサは肩を竦めた。


「元転入生として、ね」

「ふーん」


 興味半分、からかい半分。

 さくらの唇が面白そうに釣り上がる。

 端的に言えばニヤニヤしていた。後ろではそんなさくらを紗雪が心配そうに見つめていた。


「石川さん」


 さくらは里奈の肩を叩きながら名前を呼んだ。

 里奈は素直に首をかしげて返事をした。


「はい?」


 さくらの視線が横目で飛んでくる 。ツバサは嫌な予感しかしなかった。


「柚木は頼りになるから色々聞くといいわ」

「はい! そうさせてもらいます」


 里奈はさくらの言葉に頷き、笑顔を溢れさせている。

 まったく、さくらも人が悪い。いつもは絶対そんなことを言わないのに。

 ヘタレだの情けないだの、日常的にツバサは言われていた。


「だけど」


 さくらが念を押すように里奈の目を真っ直ぐに見る。


「あんまり近づくと怖い目にあうかもしれないから、気をつけてね」


 それが何について言っているのか、ツバサにはわかった。過保護になった悠里についてだ。

 だが、起こらない可能性の高いものわざわざ言う必要もないだろうに。

 ツバサはさくらに首を横に振りながら呼びかけた。


「小野寺」

「あら、釘を刺すのは必要よ?」


 さくらはツバサの追及を軽やかに交わした。

 釘を刺すも何もない。

 石川里奈は転入生であり、ツバサはそのサポートをするだけだ。

 彼女はまだ転入したばかりで、何も引き起こしていないのだから。


「わざわざ言わなくてもいいでしょ」

「柚木は甘いわねぇ」


 庇うような形になったツバサに、さくらは両掌を上にあげると、何もわかっていないというように首を振られた。

 返す言葉を探していたら、隣の里奈が先に答えていた。


「ツバサくん、話しやすいし、モテるのもわかります。怒られないように仲良くしますね」


 いやいやいや、と割って入らなかった自分をツバサは褒めたかった。

 身に覚えがないことばかりを並べ立てられると人間動けなくなるらしい。

 そして、すぐに対応できる里奈の機敏さにも舌を巻いた。


「殊勝な心がけだわ」


 さくらは満足そうに頷いた。

 紗雪は何も言わず頭を下げるとさくらの後ろをついていく。

 部活なのか、何なのか。二人が廊下の奥に消えるのを見ながら、ツバサは次の場所へ足を進めた。


「ごめんね、小野寺は勝ち気だけど素直な子だから」

「ううん、大丈夫。言ってくれた方が分かりやすいから」


 ゆっくりと歩きながら、さくらのフォローを入れておく。

 とりあえず、火種にはならなそうなことにほっとする。

 昔からさくらは勘が鋭い。先に釘を刺すことをよくする。

 それが一部の人間から反感を買いやすいと知っていても止めることはなかった。

 特別教室が入った棟から渡り廊下を使い、図書室や講堂が集まる場所へ移動していた。

 グラウンドが近くなり、運動部のざわめきが聞こえてくる。


「ツバサ」


 名前を呼ばれ、今日はよく呼びかけられる日だと思う。

 振り返ると制服姿の俊介がじっとツバサと里奈を見ていた。


「俊介、サッカー?」

「おう。部室に行くとこ」


 グラウンドの近くにある運動部部室棟を親指でさす。

 ツバサは何回目になるかわからない里奈の紹介をした。

 俊介も目立つ人間なので、知り合っていて無駄になることはない。

 里奈と俊介は無難な挨拶を交わした。

 にっこりと笑った俊介がつばさをからかう様に言った。


「仲良さそうだな」

「ツバサくんに、色々案内してもらってるんです」


 里奈が楽しそうにほほ笑む。

 俊介が確認するようにツバサを見たので、ツバサは頷き返した。


「あー、なるほど。適任だな」

「とりあえず、よく使う場所だけでもってね」


 ツバサの転入当初を知っている俊介は、シオン学園の迷いやすさをよく知っている。

 龍之介を含めて、悠里が案内しづらい場所は彼らに教えてもらったのだ。

 と、龍之介の姿が見えないことに気づく。


「宮本は?」

「龍ちゃんなら、図書館だぜ」


 ツバサが尋ねれば俊介は体を伸ばしながら答えた。

 図書館という答えに、ツバサは苦笑した。

 この分だと里奈に初等部から仲が良い友人たちの紹介をコンプリートしてしまうかもしれない。


「今から行くから会うかもね」

「おう、じゃな。調宮を怒らせるなよ?」

「はいはい」


 もはや言われ慣れた言葉に、ツバサは軽く返した。

 さくらも俊介も、悠里を何だと思っているのか。

 仕事での関係で怒るほど狭量ではない、はず。

 頭を悩ませていたツバサに里奈は笑いながら問いかけてきた。


「ツバサくんって、調宮さんと仲が良いんだね」

「わたしが転入してきたとき、面倒を見てもらったのが悠里だったんだ」


 まぁ、そうなるよね。とツバサは思った。

 行く先々で、似たようなことを言われていれば誰でもそうなる。

 里奈が悠里のことをどこまで知っているか分からないから、事実だけを端的に告げることにした。

 ツバサの言葉に里奈は大きく頷いてから、今までで一番共感できる言葉を言い放った。


「調宮さんって綺麗すぎて緊張しない?」


 調宮悠里は、まさしくそういう人間だった。

 いるだけで緊張感を生む美しさ。

 下手な美術品に触れないように、対面することに緊張感を抱く。

 だけど。

 ツバサは悠里の人間らしい部分も、もう十分知っていた。


「わかる。けど、不器用だけど面倒見も良くて、優しいんだ」

「好きなんだ?」


 ついこぼれ出た言葉に、里奈は楽しそうに笑うと、そう聞いてくる。

 そんなに駄々洩れだったろうか。

 間違いではない。だけど、認めるのは恥ずかしい。それでも。


「う……好きだけど」


 そう言わないわけにはいかなかった。

 一気に顔が熱くなる。

 男の状態でこれだから、女だと思われていたら口にできなかったかもしれない。


「ふふっ、ツバサくんって可愛いね」


 里奈はただそう言うから、熱がさらに上がってきてしまう。

 図書館に入る前に落ち着くだろうか。

 そう考えていたら、一気に体温を下げる声が聞こえてきた。


「何をしているの?」


 さめざめとした声。声に重さがあるとしたらヘビー級だ。

 ツバサが振り返ると、制服姿の悠里が氷点下の視線で見つめていた。


「調宮さん」

「悠里」


 里奈とツバサの声があったことで、さらにその瞳は鋭くなる。

 さて、散々言われていた虎の尾を踏んでしまったようだ。

 ツバサは今度は冷や汗に悩むことになった。

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