第25話 石川里奈の登場

 ツバサは呼び出された部屋の扉の前で一度、顔をあげた。

 窓の外からは生徒たちの活発な声が聞こえてくる。

 放課後、いつもなら悠里と一緒に帰るか、図書室辺りにいる時間だ。

 緊張を紛らわすため深呼吸をした。


「予想はつくけど……」


 生徒会室。ツバサがなぜか一年生から活動することになった部屋だ。

 呼び出した相手は海斗。これまた一年早く、一年生のうちに生徒会長を引き継いだ。悠里も同じ。

 すべてが早まる中で、石川里奈の登場が早まらなかったのは良いのか悪いのか。

 判断はつかない。

 ツバサは迷いを振り切るように首を何度か横に振ってから、扉をノックした。


「転入生?」

「ああ、うちの学年に入るのは君以来だ」


 予想通りの単語に、ツバサはわざと驚いたふりをしなければならなかった。

 生徒会室に入ったツバサを海斗と悠里が待ち受けていた。

 とはいえ、二人の様子は対称的で、海斗は生徒会長と書かれた机に肘を置き、満足そうに笑っている。

 悠里とは視線がぶつかった瞬間に目を逸らされた。ぷいと逸らされた横顔だけを見ても、彼女が拗ねているのは明らかだった。


「名前は石川里奈さん。私たちと同じクラスよ」

「ふむふむ……で、わたしに何をして欲しいの?」


 仕事としての義務感。それをありありと感じさせる端的な口調で悠里が言った。

 手元に回ってきた書類には顔写真と名前、前の学校だけが書いてある。

 これだけの書類ならわざわざ作らなくてもいいのに。

 ツバサは簡単に目を通すと、すぐに海斗に切り込んだ。


「ほんと、柚木は察しが良くて助かるよ」


 にっこりと海斗は笑うと片手をツバサの方へ向け説明を開始した。


「滅多にない転校生。しかも、以前通っていたのは公立の高校」


 海斗が悠里に視線を移す。

 悠里は嫌そうな顔をあまり隠さず、ツバサに向かって唇を尖らせた。


「あなたと類似点が多いからサポートしてあげて、ですって」

「悠里は反対したんだけどね」


 悠里に海斗がからかいを入れる。素早く反応した悠里が横目でツバサを見た。


「転入生のサポートは皆で行うものでしょう?」


 ツバサを置いてきぼりにして、許嫁同士の小競り合いが始まってしまう。

 ツバサ自身は慣れたもので、自分なりに事情を整理して時間を潰す。

 海斗は類似点の多いツバサに転入生である石川里奈のサポートを頼みたい。

 悠里はツバサの負担を考えて、サポートを分担すべきだと考えている。

 と、二人の矛先がツバサに向かってきた。


「わざわざツバサ一人に頼まなくても良いじゃない」

「だそうだ、ツバサ。どうする?」


 海斗から意味深な視線を送られる。

 海斗と悠里の二人では合意することができず、ツバサが呼ばれた。

 流れとしてはそんなところだろう。

 そして、この案件に関して、ツバサの答えは決まっていた。


「そうだね……サポートはしてあげたいかな」


 顎の下に手を当てて、一応考える振りをする。

 ツバサの答えを聞いた海斗が両手を合わせ、顔を綻ばせた。


「ほら、ツバサはそう言うって言ったじゃないか」

「ツバサは優しいもの」


 悠里は憮然とした表情のままだ。

 褒められるのは嬉しいが、これは優しいわけではない。

 石川里奈のサポートは悠里を幸せにするために外せない役割だ。

 前と同じように、海斗と里奈が恋に落ちたとしても、落ちなかったとして、彼女の行動は把握する必要がある。

 優しさというより義務。

 ツバサはわざと明るく笑って見せた。


「あはは、ありがとう。でも、シオン学園の雰囲気はやっぱり公立から来ると戸惑うと思うから」


 ツバサの言葉に悠里はかすかに頬を引きつらせた。

 彼女はツバサとの初対面をよく覚えているだろうから。

 先ほどの態度が嘘のようにツバサを伺うように見つめる。


「……あなたも、戸惑ったの?」

「わたしは、悠里がいたから」


 ツバサは悠里を安心させるように微笑んだ。

 戸惑いはあった。

 けれど、前のときも今も、ツバサに焼き付いているのは悠里という少女ひとり。

 もはや、ツバサにとってシオン学園の象徴だ。

 照れたように顔を伏せる悠里に海斗がからかい混じりに口を開く。


「初対面で泣かせたんだろ?」

「昔の話よ」


 ツバサは苦笑した。

 以前よりもこの2人は軽口を交わすようになっている。

 このまま進んでくれれば何も問題は起こらない。

 そう思えるのに、そう思う度チクリと痛む胸をツバサは持て余していた。

 自分の気持に蓋をするように話す。


「慣れるまでサポートしてあげれば、すぐに馴染めると思うよ」

「じゃ、申し訳ないけど、よろしく頼むよ」

「うん、任せて」


 海斗の言葉に頷く。

 悠里の視線が刺さるように感じて、後のフォローが大変そうだなと思った。


 ※


 石川里奈との初対面は思ったよりすぐやってきた。

 二年生の学期開始日、職員室へ早く出向いたツバサは数年ぶりにその少女を見た。

 肩甲骨の下 くらいまである色素の薄い栗色の髪。

 サイドが編み上げられ、彼女が動くたび揺れている。


「はじめまして! 石川里奈です」


 愛想よく笑いかけられツバサは微笑み返した。

 良かった。特に何の感情もわかない。

 海斗は憎めない時点でわかっていたのだけれど。

 普段通りを意識して挨拶をする。


「はじめまして。柚木ツバサと言います。石川さんと同じ外からの転入だったから、色々聞いてね」

「うん、ありがとう」


 気軽に言葉を交わしていく。この感覚が久しぶりだった。

 案外、海斗が惹かれたのも、シオン学園では珍しい気安さなのかもしれない。なんて、思った。

 朝の仕事は教室まで案内するだけ。

 シオン学園は大きすぎて、他の部分は放課後少しずつ案内する予定だった。

 職員室から2人で並んで歩く。


「ツバサくんは、いつ転入してきたの?」

「わたしは初等部のときだね」


 初等部という答えに里奈は、ぱっちりとした二重を大きく瞬かせた。

 気持ちはわかる。ツバサは口元に曖昧な笑みを浮かべる。


「え、結構前なのね」

「シオン学園はほとんど持ち上がりで、転入はほとんどないから」


 里奈の前がツバサだ。

 流石に他学年を入れれば、もう少しいるのだろうけれと。

 転入生だった。それだけのことで白羽の矢が立つのだから、その珍しさがわかるだろう。


「そうなんだ」

「通っている子も良いとこのお坊ちゃんやお嬢さまが多いから、最初戸惑うかも」

「へぇ、確かに、みんな言葉遣いも上品だもんね」


 耳が良いのか、周囲がよく見えてるのか。

 里奈は少しだけ周りを見回すとそう言った。

 度胸もある。観察力も鋭くて愛想もある。

 以前は気にしてもいなかったが、確かに石川里奈という少女はモテる要素を持っていた。

 もちろん、悠里より凄いとは思えないが。

 教室まで案内したツバサは、これからの学校生活に頭を悩ませるのだった。

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