第24話

 時が止まるのも3回目になると、流石に慣れるようだ。

 春麗らかという言葉をそのまま絵に描いたような、青空の下に爽やかな風が吹く通学路。

 中等部と高等部の違いと言えば、制服のディテールとそれを着ている人間の大人っぽさくらいだ。

 とうとう正解もわからず、最終決戦の場面を迎えるような気持ちでツバサは空を仰いだ。


「いやー、中等部は面白かったね!」


 高等部の制服に身を包んだ彼は、満面の笑みでツバサにそう言い放った。

 中等部は初等部と比べても色々あった。

 海斗と距離が近くなったし、悠里の接してくる感覚もひどく柔らかい。

 良い傾向。そうツバサは考えていた。


「……何がですか?」


 虎の尾を踏まないように気をつけながら尋ねる。

 高等部になったことで、彼の容姿は際立っていた。

 綺麗な青い髪が肩の高さで揺れている。

 顔の造形はますます整い、もはやギリシャ彫刻と言ってもよいだろう。

 美術室で見る理想的な美しさとは正反対の俗っぽい笑顔を浮かべていなければ。


「君はよくやったよ! 僕は満足してる」

「はぁ」


 ツバサの背中を叩きながら、そう褒めてくる。

 酒でも飲んでいるのではないか。

 そう思えてしまう、テンションの高さだった。


(何か、したっけ?)


 中等部は以前とはまるで違う進み方になった。

 海斗と出会ったのが早かったからか、同性だからか。

 悠里を介さない付き合いも増えた。

 それもこれも全てはあの別荘からだ。

 笑みを溢れさせたまま、彼は憧れのものを見るように両手を組んで回顧し始める。


「まさか別荘で遭難するとは、僕も予想外だったよ」

「あの後、大変でした」


 意識を失い、気づいたらツバサはベッドの上だった。

 ベッドサイドには悠里が座っていて、目があった瞬間に泣かれそうになった。

 慌てて体を起こしたら体の随所に痛みが走り悶絶していたら、おかしそうに悠里が笑ったので、どうにかツバサはホッとすることができた。

 何よりも大変だったのは、あの後の悠里の変化である。


「悠里はしばらく過保護になるし」

「ふんふん」


 興味深そうに頷く姿にため息をつきながらツバサは続けた。

 一挙手一投足を見つめられるとは、ああいう状態を言うのだろう。

 元々一緒にいる時間が多かったが、さらに増えた。


「朝倉は妙に一緒に行動することになるし」


 さすがに許嫁がいる状態でよくないだろうと思ったのだが、そう訴えたら何故か海斗も一緒にいるようになってしまった。

 当時は頭を抱えたものだ。

 許嫁同士の間に挟まる男など邪魔者にしか見えない。


「そしたら、悠里と海斗で喧嘩になるし」


 海斗、ツバサ、悠里の順で並ぶことが増えた。

 そうなると周囲の目は自然と家格が落ちるツバサに集まる。

 やっかみも相当数見られたのだけれど、いつの間にか下火になった。


「確かにねー。調宮悠里と朝倉海斗の喧嘩は面白かったじゃない」

「理由が"わたし"ってよく分かんないんですけど」


 あれを面白いで済ませられるとは、やはり普通の人間とは違う感性のようだ。

 ツバサが間に入るようになってから、なぜか悠里と海斗の喧嘩は増えた。

 もちろん、冷え冷えとするようなものではない。

 小競り合いと言うか、喧嘩するほど仲がいいと言われるような類のもの。

 頬を掻きながら首を傾げていたら、青髪の彼はただ笑った。


「君は分からなくて大丈夫。僕は楽しく過ごせてるから」

「はぁ」


 理由は微塵もわからないが彼は満足しているようだ。

 ツバサは腑に落ちないまま、生返事をした。

 小さな笑い声が空間を流れていく。


「とうとう、高等部だね」

「そうですね」


 彼の体が浮いた。

 高見から見下ろされ、自然と彼を見上げる形になる。

 逆光の中で彼は確かに笑っていた。


「君の願いが叶えられるか、見守ってるよ」


 その笑顔の意味までは分からないのだけれど。

 ツバサは男として生き始めてから決めたことを再度、宣言する。


「絶対、悠里にあの顔はさせない」

「楽しみだねぇ」


 愉悦に富んだ表情で、その姿は消えていく。

 高等部が始まろうとしていた。


「ツバサ!」

「悠里、おはよう」


 通学路を歩いていたら後ろから声をかけられる。

 今更、間違えるわけもない悠里の声にツバサの頬は自然と緩んでいた。

 調宮悠里の横顔は、すでにツバサが一番良く見たものになっている。

 この横顔が傷つくのを見たくない。

 と、いつの間にか横顔を眺めていたら、悠里が口元を緩めた。


「今年は同じクラスかしら」

「どうだろうね」


 悠里の問いにツバサは首を傾げた。

 前と同じなら、同じクラスになっているはず。

 そう思いながら、表に出さないよう別のことを考える。

 高等部の制服は、シックなブレザーに女子はタイリボン、男子はネクタイだ。

 ズボンとスカートはチェックで、デサインも人気を集めている。


「一緒じゃなくていいの?」


 そうやって思考を散らばしていたのに、全てを吹き飛ばして悠里に覗き込むように尋ねられる。

 心臓が跳び上がった。

 徐々に距離を詰めてきた悠里に以前のような影は見られない。

 それを喜ぶべきなのだけれど、惹かれすぎる自分を制御できなそうで怖くなる。


「……一緒がいいけど」

「ふふ、私もよ」


 どうにか口に出した言葉は悠里にすぐに上書きされる。

 可愛い。表情がないとひたすら綺麗な悠里は、笑うと融けるほど可愛かった。

 赤くなりそうな頬を誤魔化すように横を向く。彼女にはバレているのだろうけど。


「二人とも相変わらず仲が良いことで」

「おはよう、朝倉」

「そうよ、仲良しなの」


 流れるように合流した海斗に無難な挨拶を返す。

 寸暇なく返された悠里の言葉に少し困る。

 何が困るかというと、このちょっとした時間でさえ、なんとも言えない緊張感が出るのだ。

 青髪の彼だったら喜ぶのだろうけれど、ツバサはよくわからないハラハラ感を味わうだけだ。


「柚木は高等部になっても、中等部みたいだなぁ」

「あ、はは」


 いつもの定位置であるツバサの右隣に立った海斗はツバサの肩を叩いた。

 以前は少し見上げる程度で済んだ顔が、今は頭一つ分 上にある。

 男の子との残酷な差は時が経つにつれ、広がるばかりだった。


「お、3人揃い踏みか」

「変わらない面子だな」


 高等部への初登校ということもあってか、どんどん知り合いが現れる。

 肩にぶら下げるようにカバンを引っ掛けた俊介と大きくなった身長を隠すように 背中を丸める龍之介。

 この3人の間に入るとツバサの身長の低さは、さらに目立ってしまう。

 ツバサはもはや様式美のように、3人を見てため息をついてみせた。


「俊介と宮本こそ」


 変わらなさで言えばどっこいどっこいだと思う。

 ツバサの指摘にも、2人は顔を見合わせることもせず 同意して見せた。


「幼馴染なんて、そんなもんだろ」

「あぁ」


 そういうところが幼馴染っぽいのだ。

 2人の気を使わないやり取りに気を緩めていたら、別の爆弾が近づいてきた。

 トンと肩をぶつけられる、と同時に花のような華やかな香りに目を細める。


「なーに、楽しそうにしてるのよ」

「小野寺こそ、元気だね」


 にっこりと花のように笑うさくらがいた。

 すぐ後ろには紗雪もいて、ツバサは目を合わせて微笑み合う。


「小野寺さん、近いわ」


 ツバサとさくらの距離を悠里が注意すれば、さくらは慣れたように両手を上にして一歩離れた。

 それから、まるでセリフの続きを言うように悠里に向かって指を指す。


「そりゃそうよ! 今年こそ、あたしが主役よ」

「さ、さくらちゃん。声が大きいよぉ」


 悠里との舞台での争いが気に入ったのか、さくらはダンスだけでなく演劇にも精を出している。

 舞台に立つような人間が元気よく声を発すれば、通りもよく、紗雪が肩を縮めるくらいの視線が集まった。


 いつも通りの俊介と龍之介。

 元気なさくらと大人しい紗雪。

 なぜかばちばしている悠里と海斗。

 それぞれを見回して、ツバサは諦めたように笑った。


「今年も賑やかそうで、何よりだよ」


 目立つ集団になってしまったが、中等部で大分慣れた。

 何よりこのメンバーであれば、一番地味なのはツバサであり、紛れるには丁度よい。

 そんな風に思っていたのに。


「おいおい、ツバサ、お前、そんな冷静でいいのか?」

「うん?」


 呆れたような顔で俊介がツバサの肩を叩く。

 目の前を歩く悠里と海斗も指さした。


「生徒会、お前ら3人が選ばれるって、もっぱらの噂だぞ?」

「え」


 高等部に入ったばかりで、生徒会?

 ツバサにとっては寝耳に水だった。

 いや、そういう制度なのは分かっている。持ち上がりが多いシオン学園では、中等部の生徒会はほぼそのまま高等部に継承される。

 継承されるということは低学年のうちから生徒会に入るわけだ。

 特にツバサたちの学年は、会長が海斗、副会長が悠里だ。ここが動くことはないと言われていた。


「知ってるわ」

「もちろん」


 俊介の言葉に、話題の二人は模範的な笑顔を浮かべて頷いた。

 俊介から視線が送られてくる。

 どうすんだよ?と問われているようなそれに、ツバサは大きく首を傾げた。


「ええー?」


 以前だったら、2年生になってから生徒会のお鉢が回ってきた。

 それは真面目に委員会などをこなしていたツバサの態度を見て悠里が誘ってくれたのだ。

 だけれど、1年生から生徒会なんて想像される面倒が多すぎる。


「一緒にやってくれるわよね?」


 そう笑顔で聞いてくる悠里は絶対確信犯だとツバサは思った。

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