第22話
セミの声、鳥の声、草の音。
すべてに溢れている夕暮れの森で、ツバサが悠里の声を捉えられたのは奇跡だった。
海斗には聞こえなかったようで、まるでお化けをみるような顔で見られた。
だが。
(わたしが悠里を間違うはずがない)
その強い想いがツバサにはあった。
ずっと見てきた。ずっと聞いてきた。
足を進め、耳を澄ませる。
後ろには海斗が半信半疑の顔で、ついてきていた。
「本当にこっちなのか?」
「うん、声がした」
ツバサは頷く。
遊歩道通りとはいえ、大分奥の方まで進んで来ていた。
この遊歩道はぐるりと山を一周する形になっており、朝も一周した。悠里だったら必ず一周はする。
「電波も入らない……これ以上、奥に行くなら一度戻るか?」
海斗が携帯端末の画面を見て、眉間に皺を寄せた。
一度戻る。
それは確かに理性的な判断だろう。
だが、ツバサにとっては悠里がいるかどうか確認するのが先だった。
「悠里ー!」
大きく息を吸い込み、名前を呼ぶ。
ツバサの声に鳥が一斉に飛び立った。
耳が痛いほどの静寂が刹那、訪れる。
「……っ、バサ!」
その一瞬で十分。ツバサは海斗を振り返る。
「今の、聞こえた?」
「ああっ、遊歩道を外れる時は気をつけろ」
「わかってる」
慎重に道を進む。
遊歩道の周りは整備されていたが、少しでもそれると雑草の背丈が高くなる。
足元を確認するように踏みしめながら進んだ。
距離としては、数メートル。
たったそれだけの距離の先に、崩れて崖のようになっている箇所が見えた。
「悠里?」
「ツバサ、と海斗くん」
崖の端に手をつき下を覗き込む。
悠里がいた。腕や足に少し土がついているが、大きな傷はなさそうだ。
手を伸ばせば届く。高さは然程ないが、自力で登るには難しいだろう。
「良かったー。見つかって!」
「ごめんなさい。電話が通じなくなってしまったの」
とりあえず、見つかったことに安堵の息を吐く。
周囲の状況を確認する。手元は崩れやすそうな土。遊歩道よりそう外れてはいないが、生い茂る草木のせいで視認性が低い。
無理に引き上げたりするより、応援を呼んできた方が確実だ。
ツバサは海斗を見上げた。
「わたしが見てるから、朝倉、人を呼んできてくれる?」
悠里を一人にする選択肢はない。
悠里の傍にいることを優先したかったし、人を呼ぶにしても海斗の方がスムーズだろう。
ツバサの提案に海斗は頷くと、携帯端末片手に立ち上がる。
「ああ、スマホが通じるところまで戻って、連れて来る。悠里のこと頼む」
「わかってる」
これで悠里を助けることができる。
そうほっとした瞬間、朝倉の足元が崩れるのが見えた。
脆い土質が二人分の人間に耐えられなかったようだ。案外、悠里もこうやって落ちたのかもしれない。
滑り落ちていく海斗に反射的に手を伸ばしていた。
「朝倉!」
「くっ」
捕まえた。けれど踏みとどまることは難しくて。
ツバサと海斗は悠里と同じ場所に落ちてしまった。
「……大丈夫?」
「なんとか……すまん」
「朝倉が無事なら良かったよ」
土煙が落ち着くのを待って、ツバサは海斗に声をかけた。
どうもみ合ったのかいつの間にかツバサの方が下にいる。
申し訳なさそうな顔をする学園の王子さまに、かろうじて口角を上げて答えた。
「ふたりとも、大丈夫?」
「悠里は?」
「私は足が」
近くで見ても悠里に出血や傷はなさそうだった。
ツバサが尋ねると悠里は少しだけズボンも引っ張って足首を露出させる。
白くて細い足首が倍の太さに腫れあがっていた。
「……お揃い」
ツバサははぁと苦笑交じりのため息をつき、自分の足首も露出させた。
編に踏ん張ったせいだろう。ズキンズキンと血の流れにあわせて痛みが走る。
「3人とも落ちるとか、ここ、封鎖したほうがいいな」
「地盤が粘土質だからかな」
海斗と一緒に落ちてきた土手を見上げる。
滑り落ちた部分に手を這わせると細かい土の粒子が指に付着した。
とても滑りやすそう。顔をしかめる海斗にツバサは頷いた。
と、ポツリと頬に水滴が当たる。
「雨も降ってきた……朝倉、届きそう?」
「もう少しだけ、あれば」
手を伸ばせば、雑木を掴むことができそうだ。
ツバサと悠里では届かないし、ケガをしている時点でよじ登るのは難しい。
海斗だけでも上ることができれば――ツバサは自分の背中を指さした。
「乗って」
「君に?」
「一番背が高いのは朝倉だし、無事なのも朝倉だけ」
目を大きくする海斗に、ツバサは理路整然と言い返した。
好きで背中に乗られる趣味はない。悠里ならまだしも、海斗とか。
憮然としながら伝えると、悠里が心配そうにのぞき込んでくる。
「足は?」
立ち上がって支えるのは難しい。
だけど四つん這いなら、いける。覚悟を決めるだけ。
「支えるだけなら、大丈夫でしょ」
「私も手伝う」
悠里が唇を噛みしめながら、こちらを見るから。
ツバサは男としても女としても引けなくなった。
「どう?」
「もうちょっと」
自分から見えない位置関係を声を出しながら尋ねる。
さっき見た時はあと30センチもあれば届きそうだった。
踏まれているのに届かないということは、海斗が遠慮しているのだろう。
「跳んで」
「え?」
こっちは踏まれているだけで辛い。
長時間、乗られて届かないくらいなら、思い切り挑戦して欲しい。
振り始めた雨は弱まることもなく、徐々に体を濡らしていく。
「だい、じょうぶ、だから」
「すまん!」
「ぐっ」
走った衝撃に息が詰まる。だが海斗は届いたらしい。
背中にあった重さがなくなり、パラパラと土が落ちてくる。
上の雑木にかろうじて捕まって宙ぶらりんになっている海斗がいた。
悠里が押しているが足りない。ツバサは気合で立ち上がった。
「っ、押すよ」
足裏を押し上げる。
海斗の体が少しずつ上にずり上がり、ふっと重さが無くなった。
「すぐ、戻る!」
「お願い」
声だけを残して海斗は走っていった。
これで助かる。
そう思った瞬間力が抜けた。崖を背にして座り込む。
悠里がいつの間にか目の前に立っていた。
「大丈夫?」
体をかがめて、顔の距離が近くなる。
雨が悠里の頬を伝っていき、拭こうとして自分の手の汚さに気づいた。
土や泥で真っ黒。
そのまま手を握りしめたら、悠里がそっと開いてくれる。
「朝倉が行けたなら、大丈夫でしょ」
「違うわ、あなたが」
悠里がハンカチで顔や手を拭いてくれる。雨のおかげで土汚れはすぐに落とすことができた。
徐々に冷たい雨が体にしみこみ、冷えを実感する。
崖は少し抉れたようになっていて、ツバサは悠里とそっちへ移動した。
「あー、雨……ひどくなってきたね」
「雨もそうだけど」
空を見上げる。
雨粒は夏の夕立に姿を変え始めていた。
ざぁざぁ大粒の水滴が地面を叩き、音を大きくする。
遠くなる悠里の声にツバサは首を傾げた。
「悠里、奥に行って。冷えると、風邪引く」
「冷えるって、あなたの方がびしょ濡れよ」
悠里にそっと腕を掴まれる。
山に入るからと来ていた長そでは色を変えるほど濡れていた。
言われれば寒い。
じんわりと触れる悠里の手だけ、生ぬるい温かさを保っていた。
「ちょっと、さむいだけ」
「ツバサ?」
夏とは言えこの調子で振られれば冷えてしまう。
暖を取らなければ、悠里を濡れさせないようにするにはどうしたら。
朝倉はいつくらに戻って来れるかな。
取り留めない思考が散り散りになって、ツバサは意識を手放した。
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