第3話 リテイク
眩しい。
とてもふわふわしている。
上下が定まらず、上を向いているのか、下を見ているのか。浮かんでいるのか、落ちているのか。
ハッキリとしているのは目を引いた瞬間に見えた悠里の表情だけ。
最悪だ。
全てがごちゃ混ぜになり、曖昧な中でツバサはひどい頭痛で目を覚ました。
「朝……?」
鳥のさえずる音が聞こえる。出窓風になっている窓に降ろされた白くて薄い生地のカーテンから爽やかな朝の光が差し込んでいた。
ツバサは自分の声に違和感を覚えた。
妙に高い。掠れているのとも違う。
目元を擦ろうとした視界に子どもの指が。
「何これ」
慌てて部屋を見まわした。
見慣れた部屋のはずだったが、新築の家というような香りが部屋を漂っている。
布団も昔使っていたものだ。
(どういうこと?)
少しずつ、少しずつ夢だと思っていた世界が現実の中に組み込まれていく。
それと反比例するようにツバサの血の気は引いていった。
認めたくない。認められない、というか、意味がわからない。
悠里はどうなったのか?
あの白い光はなんだったのか?
過る疑問は多いのに、ひとつも答えが出なかった。
その混乱は机の上に置かれたピカピカの指定鞄を見つけた瞬間にピークを迎える。
「小学、生」
その鞄を知っている。
シオン学園の校章が入った革の鞄。ランドセルとは違い横長で、初めて見た時はなんて使いにくそうだと思った。
中学生になると手持ちの鞄を使うことになるので、背負うことができるこの指定鞄は初等部に限定される。
「え、入る前ってこと?」
傷一つない指定鞄が机の上に、主役のように飾られていた。
重い足を引きずって机の前にいけば、その隣には今日使う予定の教科書が置かれている。
小学三年生。そう表紙に描かれたそれには開かれた様子がなかった。
なんとか日付を知ることはできないかと、部屋を探せば日記が置いてある。
小さい頃からの習慣に心の中で感謝しつつ、ツバサは最新の日付をめくった。
「ツバサー! 転校初日に遅れるわよ!」
「はーい」
母親に呼ばれるまで日記を貪るように読んでいた。
わかったことは、今日は予想通りシオン学園に転入する日だった。
そして『新しい学校で友達100人作る』と日記に書くような子どもだったことも。
思い出すと恥ずかしさが沸き立ってくる。
シオン学園に入るまで、ツバサは恵まれた家の優秀な子どもそのものだった。
やればできたし、できなかったことも、努力すればできるようになる。
そう真剣に思っていた。
「どう? シオン学園での初日は緊張する?」
「うーんと、どうかな。まだ分かんないや」
理由はわからないが、戻ってしまったなら、下手な波風を立てないほうが良い。
呼ばれたまま食卓につき、母親と会話を交わす。
この頃、どんなことを話していたか、さっぱり覚えていない。
ツバサは顔に出さないよう頑張りつつ無難な答えを返した。
「そうなのね。お母さんだったら、緊張しちゃってダメかも」
「……お母さんはなんでわたしをシオン学園に入れたかったの?」
ツバサ本人より緊張した顔をしている母に尋ねた。
母親は頬に手をあて首を傾げる。
「お母さん、シオン学園の近くに通ってて、生徒さんもよく見かけたのだけど、そこだけ空気が違う気がしたのよ」
「空気が?」
「そう、キラキラしてるように見えて、とっても憧れたの」
なんと夢見がちな答えだろうか。
小学生相手だからこその答えなのかもしれないが、ツバサは頬が引きつりそうになった。
ツバサの様子に気づいたのか、母は慌てたように言葉を付け足す。
「それに環境も良いし、もちろん、ツバサが頑張ってくれたからだけど」
チラチラとこちらを見る母親にツバサは大きく頷いた。
環境は抜群に良い。
高校終わりまでツバサ自身は普通に過ごしていただけだが、大学までエスカレーターで行けて、就職にも有利になる。
それに。
「シオン学園は良い学校だよ」
ツバサはしっかりとそう言った。
頭に過った思いは振り払う。
これから初登校なのだ。まったく覚えていないが、余計なことは考えない方が良いだろう。
「ツバサが楽しく過ごせるのが一番だから何かあったらすぐに言うのよ」
「うん、ありがとう」
母親の心配の言葉にツバサは頷くと、手早く朝ご飯を口に運んだ。
家からシオン学園までの道のりは、すでに体に染み込んでいる。
小学生で視線の高さが違ったり、建物が前の店だったり。
懐かしさト驚きが交互に襲ってくる通学路は中々刺激的だった。
「結局、何なのかな?」
柚木ツバサ。女子高生。プロムパーティー中だったはず。
何度思い返してもらそこから先は出てこなかった。
今までのことは全て夢だったというのか。
悠里のあの表情が夢で済むなら、それもいいかもしれない。
だが、デジャヴばかりの世界はツバサが長い夢を見たという可能性を否定してくる。
「はい、今日は新しいお友達を連れてきました」
以前と同じ担任教師。以前と同じクラス。
窓際から見える風景が一緒かまでは覚えていなかったのだけれど、小学生らしからぬ姿勢の良さでこちらを見つめる視線には覚えがあった。
(みんな、お行儀が良いね)
今まで通っていた学校との違いに初めてギャップを感じた瞬間だった。
公立私立。田舎と都会。
子どもながら、この時点で雰囲気の違いを肌で感じていたのだろう。
「柚木ツバサくんです」
担任の鈴木先生は母よりは祖母に近い年齢で、ふっくらとしていた。
上品な色のスーツが教師らしさを生み出している。
その鈴木先生からの紹介に、ツバサは違和感を覚えた。
(くん?)
心の中で首を傾げる。
教師の中には全員をさん付けで統合する人もいたし、男の子はくん付け、女の子はさん付けの人もいた。
鈴木先生は後者のはずだが、髪も短く、名前もツバサだから間違ったのだろうか。
鈴木先生に目線で合図を送られ、ツバサは教室を見回す。
「はじめまして。柚木ツバサです。ここより田舎から来ました。よろしくお願いします」
前はどんなことを言ったのか。
小学生らしさなんて、考えたこともない。
ツバサは当たり障りのない事柄を選んだ。声は明らかに上ずっていて、緊張しているのが丸わかりの挨拶。
下手したらこの年頃のシオン学園の生徒のほうが流暢に話せるかもしれない。
「柚木くんは以前仙台に住んでいたそうです。お話を聞いてみてね」
先生の反応を見る限り、問題はなかったようだ。
優しく微笑まれ、ツバサは曖昧な笑みを返す。
仙台の話を聞かれても答えられる気がさっぱりしなかった。
もはや十年前の話だし、適当に答えるしかないだろう。
「では、柚木くんの席は……調宮さん」
「はい」
つきのみや。
その珍しさは何度耳にしても慣れない。
ツバサは今更感思い出したように、返事をしてから席を立った少女を見つめる。
初等部三年の調宮悠里。
キレイな黒髪は肩甲骨の下くらいの長さで切りそろえられている。
身にまとう制服にもシワ一つない。
何よりツバサをまっすぐに見つめる視線が、そのままだった。
どくん、どくんと心臓の音が大きくなる。
「彼女の隣よ。この学園に詳しいから、困ったことがあったら聞いてね」
「わかりました」
先生に促されて、ツバサは机の間を進む。
悠里の席は窓際から三番目。ツバサの席は一つ窓際に準備してあった。
教壇が置いてある場所は一段高くなっており、膝が抜けそうになる。
悠里しか見ていなかったからだ。少し周りの空気が和らいだので、恥ずかしさに肩を小さくした。
(悠里さん)
前回は彼女の隣ではなかった気がする。
ああ、もう、なんでわたしは何も覚えていないのか。いくらシオン学園がこれまでと違ったからといってもう少し覚えていても良い気がする。
悠里の前に立つ。
頭のてっぺんから足の先まで、彼女はすでに調宮悠里だった。
「調宮悠里で、す」
「柚木くん?!」
自己紹介の途中で悠里の言葉が止まり、目が見開かれる。
冷たく感じるような口調は大人とほぼ変わらない。
家にふさわしくあろうと努力した結果だろう。
(悠里さんは、小さい時から悠里さんなんだな)
ただそう思っただけなのに、いつの間にかツバサの目からは涙が溢れていた。
出会ったときから、すでに悠里は努力を重ねていた。
その事実とプロムパーティーでの震える横顔がフラッシュバックしてしまう。
「す、すみません。緊張してたみたいで」
慌てて涙を拭う。
悠里がひどく困惑した顔でツバサを見つめてくる。
まだ幼い。
高等部ほど表情が少ないわけではなさそうだ。
次から次へと溢れる涙はしばらく止まりそうになかった。
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