第6話

 はっきりしたのは一つだけ。

 あの神様みたいな存在のせいで、柚木ツバサは男として見られる。

 この強制力がどこまでのものかは分からないが、両親も男として扱うし、生徒も教師も同じ。

 体は女の子のままだったが、さすがに裸になって外を歩くわけにもいかず、大人しく現状を受け入れた。


「ツバサくん、おはよう」

「おはよう」


 さてどうしたものか。

 あの後すぐに少年はいなくなってしまった。

 何もしなければ調宮悠里は死ぬという不吉なことだけ言い残して。

 初等部に戻った理由はわかった。男に見られる理由も。

 だけれど、あの横顔を見ないためにどうすればいいのか、ツバサにはさっぱり分からないままだった。


「おはよう、調宮さん」

「おはよう」


 教室に登校すると悠里はすでに机に座っていた。

 ぴんと伸びた姿勢で本を読んでいる。高等部のときもよく見た光景だ。

 自分の鞄を隣の席に下ろしつつ、ツバサは挨拶を交わした。

 ちらりとこちらを見た視線がすぐに戻される。

 苦笑しながらツバサは用意していたお礼を悠里の机の上に置いた。


「調宮さん、これ」

「私に?」


 本に指を挟んだ状態で、悠里が目を何度か瞬かせた。

 どうやら驚かすことには成功したようだ。

 ツバサは自分の席から悠里の真正面に移動する。

 前回はなかったことに、緊張と恥ずかしさが混ざった心境になる。


「初日からお世話になったから。ハンカチ、ありがとう」

「気にしなくてよかったのに」


 まさか悠里を見ただけでなくとは、ツバサは微塵も予想していなかったし、悠里に慰められるとも思わなかった。

 ハンカチの渡し方こそぶっきらぼうだったが、中身は優しい。

 今だってそっと包みを受けとると、ツバサを伺うように見上げてくる。


「開けて良い?」

「うん、何がいいかわからなくて、色々考えたんだけど」


 尋ねられた言葉に、ツバサはできるだけ笑顔で答えた。

 調宮悠里の好きなもの。

 規律正しいこと、家のためになること、本を読むこと、努力を重ねること。

 そういう性質はわかっても、好きなものは中々出てこなかった。

 彼女の使うものはいつでも同じ上質なもので、個人の好みは入り込む余地がなかったからだ。


「小鳥の置物?」


 悠里が丁寧に包装を解いていくと青い鳥が出てくる。

 手のひらに乗るくらいのサイズで、母親と一緒に買いに行った。

 事情を説明するのも恥ずかしかったが、悠里にお礼を買うためには必要だった。

 マジマジと見つめる姿から、とりあえず気に入ってもらえたかなと思う。


「ペーパーウェイトとしても使えるんだって」

「へぇ……可愛い」

「カワセミ。本物だともっと綺麗だよ」


 幸せを運ぶ青い鳥、ではないけれど、カワセミが飛ぶ姿は本当に美しい。

 まるで青い光が走るような姿にツバサは何度も見とれた。

 ツバサの名前もバードウォッチングが好きな父親がつけた。だからか、ツバサも鳥が好きだった。


「なんだ、なんだ。転校生はもう調宮にプレゼントあげてるのか?」

「田中くん」


 とんと軽い衝撃が肩に伝わる。

 明るくハキハキとした話し方、日に焼けた肌はスポーツ少年そのもの。

 田中俊介。男に見られるようになって、付き合いが増えた少年だ。

 俊介はからかい半分に悠里とツバサを交互に見たので、少し緩んだように見えた悠里の顔がまた引き締まる。


「かー、堅いって。俊介でいいから」

「わたしもツバサでいいよ」


 俊介は転入したばかりののツバサを気にかけてくれているようで、休み時間や授業のときもよく声をかけてくる。

 面倒見が良いのが性分なのか、彼の周りには常に一定数の友人がいた。

 前回もその様子は見知っていたが、自分が中に入るとなると違うもので、男の子のグループ付き合いを知ることになった。


「調宮さんには、その、この間お世話になったから」

「あー、すっこい泣いてたもんな」

「う、うん」


 キッパリと言う俊介にツバサは少し頬を赤くした。

 あの泣き方で知られていないとは思わないが、こうもはっきり言われると恥ずかしい。

 嫌味な様子は少しもなく、思ったことをそのまま言っただけだろう。


「田中くん、シオン学園に転入してくるのは珍しいんだし、緊張してたのよ」

「公立から入ってくるなんてレアだよ、レア」


 悠里のフォローを俊介は気にした様子もなくケラケラと笑った。

 幼稚園からシオン学園の人間にしたら、公立の学校から来たツバサのほうが珍しいのだろう。

 転入して一週間ほど経ったが、いまだに視線を感じることがあるくらいだ。


「でもツバサは体力なさすぎ。休み時間でヘロヘロじゃん」

「前のところでは、あんまり体動かさなかったから」


 面倒見のよい俊介は休み時間になるとツバサを連れ回してくれる。

 今のところ困るのはトイレと有り余る体力についていけないこと。

 俊介から肩をつつかれ、ツバサは苦笑した。

 悠里はツバサから貰った置物をもう一度丁寧に包むとそっと鞄にしまっていた。


「龍ちゃんより体力ないのはヤバいって」

「おい、僕を巻き込むなよ」


「なー!」と俊介は宮本龍之介に声をかけた。

 すぐ前の席に座っていた龍之介が嫌そうに振り返る。

 俊介より線は細いが、背は高い。メガネをしているのも相まって少し神経質そうに見えた。

 余り話したことがないツバサに向かって、俊介が龍之介を紹介する。


「龍ちゃんは、なんか難しい模型とか組み立てるのが好きなんだぜ。だから基本的に外で遊んでくれないんだ」

「休み時間は付き合ってるだろ。大体、俊介が体力ありすぎるんだよ」


 椅子に座ったまま、背版を肘で挟むような格好で龍之介と俊介は言葉を交わし合う。

 ポンポンと軽い口調で話す。

 男の子グループではたまに見る姿だった。


「相変わらず、仲が良いわね」

「俊介と宮本くんは仲が良いんだね」


 悠里は呆れ半分にじゃれ合う男子を見つめた。

 ツバサが来たときには半分ほどだった教室にはほとんどの生徒が登校してきていた。

 悠里は目立つ。俊介も同じく。

 その二人がいることで、チラチラと周りの視線が飛んできていた。


「生まれた時からの幼馴染だからな!」


 俊介が龍之介の首に手を回し引き寄せた。

 嫌そうな龍之介と楽しそうな俊介の対比がすごい。

 悠里が補足するように言った。


「親御さんも仲が良いのよ」

「へぇ」


 幼馴染なのは知っていたが、親たちの繋がりまであるとは。そして、悠里がそこまで把握していることにも驚いた。

 ツバサが感心したように頷けば、悠里はさらに付け足してくれた。


「シオン学園は幼稚園からあるから、ほとんどが顔見知りなの」

「そうなんだ。クラスの子たちも?」


 知っている情報でも頷いておく。

 前回はこういった話も女の子グループから齎された。

 悠里は一人でいる時が多かったので、こういう話を彼女とすること自体、ツバサにとって新鮮だった。


「ほとんど顔見知りよ。でも、あの二人くらい仲が良いのも珍しいかも」


 ツバサの言葉に悠里は頷いた。

 俊介と龍之介はツバサたちが話している間も軽く突いたり、押しやったりを続けている。

 と、俊介がツバサに笑いかけた。


「毎日やってればツバサも慣れるって」


 太陽のような邪心の欠片もない言葉。

 そりゃ、毎日グラウンドを走っていれば体力はつくだろうけれど、問題はツバサ自身が運度を好んでないことだ。

 どうにかツバサは口角を引っ張り上げた。


「あ、ありがとう」

「無理して付き合わなくても大丈夫よ」


 悠里が心配してなのか、そう言ってくれる。

 これ幸いとばかりに悠里の休み時間の過ごし方を尋ねた。


「調宮さんは休み時間は何をしてるの?」


 ツバサの休み時間は今のところ全て俊介に外に連れて行かれてしまっている。

 初日で大泣きしたから気を回してくれた鈴木先生が俊介に頼んだのだろう。

 悠里は尋ねられたことに少し目を見開いた。


「私は図書館に行ったり、先生に質問したり、色々ね」

「調宮は忙しいんだよ」


 龍之介と取っ組み合いながら俊介も答える。器用なことだ。

 初等部のうちから先生に質問する気は起きないが、図書館だったら一緒に行きたい。

 シオン学園は私立なだけあって様々な本が集められているのだ。


「今度、わたしも一緒に行っていい?」

「図書館かしら?」

「うん」

「別に構わないわ」

「僕もそっちがいいんだけど」


 トントン拍子で話を進めるツバサと悠里に龍之介が羨ましそうに声をかけた。

 だが言い終わると同時くらいに俊介が龍之介を捕まえる。


「龍ちゃんは俺とサッカー!」

「わかった、わかった」


 苦笑しながら、本気では嫌がってなさそうな龍之介。

 俊介の満足そうな顔を見ながら、ツバサと悠里は顔を見合わせて笑いあった。

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