第35話 運命のプロム
プロムパーティの日は、男性が女性を家からエスコートする。
それが正式な作法らしい。
だが、そこはシオン学園。更衣室から化粧室まで完備してあるため、ほとんどの参加者は学園で準備を終えることができた。
男性の方が身支度が早く終わるのはいつの時代も変わらず。
ツバサも類にもれず、きっちりとしたタキシードに身を包み、悠里の支度が終わるのを待っていた。
「どうかしら?」
セパレーションで区切られた先から悠里が姿を表す。
傍にはさくらと紗雪も見えた。彼女たちが悠里の支度を手伝ってくれたのだ。
さくらたちも参加者のため、ここでツバサがエスコートを代わり、二人とは別に会場に向かうことになる。
「すごい、綺麗だよ。悠里」
ツバサは悠里に手を差し出した。
悠里が身に纏うのはベルラインのドレス。色は緑から水色までグラデーションしていく。ロング丈のスカートが足元を彩っていた。
歩くのを助けるようにツバサは悠里の腕を支える。
「ありがとう、あなたも素敵よ」
柔らかく悠里がほほ笑む。
素直に受け取ればいいのに、ツバサは少し恥ずかしくなってしまう。
悠里の隣にタキシードで立っていられる自信などない。
ドレスでも同じような結果にはなっていたのだろうけど。
「馬子にも衣装だけとね」
「ふふ、いいじゃない」
ツバサの言葉にも、悠里は楽しそうにほほ笑むだけだった。
ここで準備をしてしまえば、あとはクイーンを決めるための会場に移動することになる。
何もない、はず。
悠里が一人になる事もないし、海斗も里奈と出ると事前に通達していた。
それでも消えない不安は、単なる緊張から来るものなのか。ツバサには分からなかった。
「悠里が似合いすぎて、緊張する」
「しっかり、エスコートしてよね」
「うん、頑張るよ」
エスコートも練習した。
ダンスの練習は悠里も含めた通常練習以外に、さくらによる特別練習が課された。
効果は抜群だ。小さいころ、紗雪の家で合気道を習い始めたときのことを思いだす。
つまり、次の日には全身筋肉痛だった。
「なんで水色にしたの?」
「え?」
悠里と歩調を合わせるようにゆっくりと歩く。
さくらや紗雪も一緒に会場に向かっていた。
二人ともクイーン争いには参加しない。だが、お揃いのコサージュをつけた二人は楽しそうに笑っていて、ツバサはほっとする。
徐々に多くなる生徒たちとすれ違いながら、ツバサは今さらなことを聞いた。
「悠里、はっきりした色の方が好きでしょ?」
ちらりと横を見れば、きょとんとしていた悠里の顔が、少しずつ赤く染まっていく。
ドレスの色もデザインも今日が所見ではない。
タキシードも外れがないように、悠里と二人頭を突き合せたのだ。
ツバサとしては悠里の好きなようにしてもらうのが一番だったし、自分の物は二の次で。
だからこそ、悠里がこのドレスにした理由は知らなかった。
「一緒に見た……の色よ」
「ん?」
悠里にしては珍しく、わずかに視線を逸らしたまま呟いた。
小さくなった声を拾うことができず、ツバサはわずかに悠里の顔に顔を近づける。
頬の赤さがより深まった気がしたとき、その声は降ってきた。
「一緒に見たカワセミの色」
カワセミ。
初めて一緒に鳥を見に行ったのは、海斗の別荘だった。
許嫁が解消されて二人で行動できるようになってから、何度か森を訪れた。
元々動物好きの悠里は、その静かな時間を思ったより気に入ってくれたようだ。
驚きすぎてぼんやりしていたツバサに、悠里は開き直ったように顔を向けた。
「ツバサ、好きなんでしょ?」
「す、き、だけど」
カワセミは美しい鳥だ。
悠里の着ているドレスのように、光の加減で緑や青に色を変える。
だけど、まさかその理由で悠里がドレスを考えてくれるとは思ってもいなかった。ああ、まったく不意打ちが過ぎる。
ツバサは言葉を忘れたように音の出ない口を動かした。
「それとも別の色が良かった?」
「ううん、そんなことない」
悠里の眉が下がる。
その顔を見た瞬間にツバサは首を横に振っていた。
我ながら現金なことだと苦笑してしまう。
「さっきも言ったけど、綺麗すぎて困るくらい」
「ありがとう」
結局ツバサに言えるのはそれだけで。それでも悠里が笑ってくれるから、すべて良いのだと思ってしまう。
突然足を止めていた二人に追い付いたさくらが呆れたように首を振り、紗雪は楽しそうにほほ笑んだ。
「まぁた、イチャイチャしてる」
「ふたりとも、とっても素敵だよ」
イチャイチャしている気はあまりない。
だがふたりでいるとそう言われる場面が増えたのは事実だった。
ツバサはこほんと一つ咳ばらいをすると、改めて二人を見た。
「小野寺と紗雪ちゃんもよく似合ってるよ」
さくらはツバサの言葉に胸を張る。赤を基調としたドレスは、さくらの性格を表しているようでとても目を引いた。
紗雪は淡い白とピンクを折り重ねたようなドレスで、小柄ながら存在感がある。
元々の姿勢がいいのも拍車をかけていた。
と、4人で集まっていたら、さらに見慣れた顔が手を上げながら近づいてきた。
「おー、今日は一段と近寄りにくいな」
「目立つ集団だな」
俊介はバシッとタキシードを決めていた。
黒を基調としたクラシックなデザインだが、生地が違う。
これで踊ることになったらさぞ目立ったことだろう。
演出をお願いすることになった龍之介は、前の世界でツバサが来ていた制服姿だった。
ツバサは二人を見上げるようにしたあと、軽く頭を下げる。
「俊介もカッコいいね。宮本は、今日はよろしく」
「ああ、滞りなく回すから、存分に楽しんでくれ」
ひらひらとツバサの言葉に手を振る俊介。その手の言葉は散々聞いたのだろう。
龍之介は緊張と楽しみが半分半分になっているような顔で頷いてくれた。
悠里も龍之介に向かって礼を言う。
「悪いわね、宮本くん」
「調宮と朝倉に恩を売れるなら、軽いもんだ」
素直じゃない言葉に苦笑する。確かに、シオン学園で朝倉家と調宮家に恩を売れたら安泰だろう。
ツバサもその気持ちはよくわかる。
龍之介は口ではそう言いながら、瞳は優しく笑っていた。
一度腕時計を確認すると、ツバサたちを促す。
「ほら、入場時間が近いぞ」
「楽しんできてね」
龍之介、紗雪と続けて声をかけられる。
腰に手を当てたさくらが、自分の教え子の背中を押すようにニッと笑う。
それから胸を張った。
「こうなったら朝倉にも勝ってきなさい」
海斗に勝つ。その言葉にツバサは自分の心臓が大きく波打つのを感じた。
悠里をクイーンにする。
そうすれば、あの震える横顔は永遠に見ずに済む、はず。
さくらの言葉に悠里は気負いもせずに答えた。
「ツバサと出れるだけで、私はもう勝ってるわ」
ああ、もう。今日だけで、なんど言葉を失くせばいいのだろう。
悠里を見ればそっとほほ笑むだけ。
何も答えないツバサの代わりに周りがはやし立ててくれた。
「ひゅー、さすが調宮」
「……悠里がカッコよすぎて困るよ」
元から遠い人だと思っていた。隣に立ちたくて手を伸ばした。
だけど、近づけば近づくほど、悠里の輝きに身を焦がされるようで。
ツバサは何にも言い返すこともできず前髪をかき上げた。
「ツバサも頑張れよ」
「悠里に恥はかかせられないからね」
ポンと俊介に肩を叩かれる。大きく頷いた。
そう、自分の隣にいる人は、とても素敵な人なのだ。
その隣にいるためにツバサも初等部から努力を重ねてきた。
「楽しみましょう?」
「うん」
皆に見送られ、ふたりで入場口へ並ぶ。
先頭は海斗と里奈、その次に同級生のカップルが入って、三番目がツバサたちだった。
全部で7組が参加するらしい。
今さらステップを心配することはないと思うが、大勢で踊るのは初めてだ。
ツバサの緊張をほぐすように悠里が言葉をかけてくれる。
「私は本当にあなたと踊れるだけで嬉しいの」
「ありがとう。努力はしてきたつもりだから」
「クイーンには拘ってないわよ」
悠里の言葉にツバサは唇を結んだ。
ツバサも悠里と一緒に踊れるだけで嬉しい。だって、あの時はその資格さえ持っていなかったから。
だけれど、もう欲が出てしまった。
ツバサは悠里にクイーンを取らせたいのだ。
「しょうがないわね」
そんなツバサの想いが伝わったのか。悠里は口元を緩めた。
まるで幼い子供を見るような瞳に、少しの恥ずかしさがこみ上げる。
「……一人じゃない。それだけは忘れないでね」
その言葉は会場のアナウンスと重なって、ツバサの耳には届かなかった。
ドキドキを抑えながら、練習した通りにダンスを踊る。
入りは問題ない。他のペアともぶつからずにリードできている。
観客の反応も上々。
このまま踊り切れば、クイーンに手が届く。
「タイムアップ」
そう思った瞬間に、その声は響いた。
世界が暗転した。
握りしめた悠里の手の感覚がなくなる。
暗い世界に、ぽつんと青い光だけが見えた。
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