第37話 調宮悠里とプロムパーティー

 会場は不快なザワメキに満ちていた。

 消えてしまった愛しい人の背中に伸ばしていた手をぎゅっと握り込む。

 そのまま胸元に手をあてた悠里に、人影が近づいた。


「まさか、柚木が女だったなんてな」


 柚木が女だったなんて。

 まるでリフレインするように海斗の言葉が響いた。

 なぜかは分からないが、ツバサが女の子だということがバレたと理解する。

 今さら、どうして。

 中等部から気づいていた悠里にしてみれば、気づかれないことのほうが不思議だったのだ。


「君は知っていたのかい?」

「……知っていたわ」


 海斗の声に周囲を見回しながら答える。

 悠里と海斗が話していると要らぬ視線ばかりぶつけられたものだが、今はツバサが話題をさらっている状態だ。

 海斗を適当にあしらっても問題はなさそうだった。

 ツバサを追いかけたい。だが、その前にツバサが逃げる原因になった、この空気をどうにかしたい。

 悠里は糸口を探していた。


「それでも、柚木が良かった」


 疑問形でさえない。ただの事実確認。

 何を当たり前のことを。

 悠里はようやくプロムパーティー用の綺羅びやかなタキシードに身を包んだ海斗に目をやった。


「そう。それの何がいけないの?」 


 転入してきてから、ずっと側にいたのは彼……今となっては彼女で。

 ツバサは悠里のためにずっと動いてくれていた。

 初めて知った時は戸惑ったけれど、ツバサに何かしらの思惑は見えなくて。

 何より彼女の隣が心地よくて、外堀を埋めるように手を回した。

 上手く行っていた。さっきまでは。


「……君は本当に、変わったね」


 悠里の反応に海斗は呆れ半分、関心半分で笑った。


「前は常識から外れるようなことは避けて通ったのに」

「ツバサの方が大切だった。それだけよ」


 常識。調宮の家。しなければならないこと。

 悠里の周りには様々な取り決めが多くあり、何をするにも不自由だった。

 それが普通だと思ったし、そうやっていくものだと思っていた。

 だけど、自分の心のままに動いていいんだよとツバサは教えてくれた。手伝ってくれた。

 調宮悠里にとって、柚木ツバサはもう離せない人間なのだ。


「ツバサくん、可愛いはずだよね」


 里奈が海斗の隣に寄りながらそう言ってきた。

 海斗の腕に手を回すのは何のアピールか、今さら何があるわけでもない。

 里奈のこういう部分が悠里は嫌いだった。彼女は男性との距離が違い。

 意識的か、無意識か。それはこちらには関係ない。

 ツバサに可愛いと言ったときは、引き剥がしたかったくらいだ。


「石川さん」

「優しいし、強いし、面倒見もいい。調宮さん、これから大変だ」


 思わず声が低くなった悠里に、里奈は気にした様子もなくニッコリと笑った。

 そう、ツバサが女の子だとバレたら、それはそれで面倒なのだ。

 ツバサは女の有利から見ても可愛らしい見た目をしている。中性的に振る舞っていた分、ギャップが凄い。

 悠里を探るような視線もちらほら見受けられる。

 ああ、早くツバサを追いかけたいのに。

 そう思った悠里に天啓が降ってきた。


「調宮、早く柚木を追いかけなさい!」

「でも、プロムが」


 人混みを割って出てきたのはさくらだった。

 変わらない強い視線に何故かホッとする。

 燃えるような赤いドレスに周囲の視線が引き寄せられる。

 ツバサのプロムパーティーへの意気込みを感じていた悠里としては、このままの空気で終わらせることはできない。

 別方向から救いの手が伸びてきた。


「進行なんてどうとでもなる」

「宮本くん、でも」


 今日の進行を任せていた龍之介だった。

 周りのことを気にせず、ツバサが消えた方を顎で指し示す。

 同意するようにさくらが大きく頷き、隣に控えていた紗雪の手を取った。


「あたしと紗雪が代わりに踊ってあげるわ」

「ええ?」


 突然のさくらの宣言に紗雪は目を白黒させる。

 だが、そこに嫌悪感はなく、純粋な驚きだけ。

 きっとふたりのダンスは楽しいものになるだろう。


「いいわよね?」


 さくらが許可をとるように海斗に顔を向けた。

 キングとクイーンを決めるダンスは男女で参加するもの。

 だが、こうなっては全てが曖昧になってしまう。

 悠里やさくらからの視線の圧力に海斗は大きく息を吐いた。


「誰でも自由に踊れるのがプロムだろ?」

「さっすが朝倉」


 さくらが一笑して、海斗の背中を叩く。少しむせた海斗を里奈が介抱していた。

 行っていいだろうか。

 そわそわしだす心を必死に落ち着かせる。


「柚木の事情は、よく分からないし、まだ戸惑ってる」

「小野寺さん」


 苦笑したさくらがちらりと悠里を見た。

 混じり気のない言葉を受け止める。

 これが友人たちの素直な反応だろう。


「でもね、それより、あたしは、調宮と柚木が一緒にいるところを見るのが好きよ」

「ツバサくん、小さいころから、ずっと調宮さんを大切にしてたから」

「……ありがとう」


 ふたりの言葉に胸が熱くなる。

 気の利いた返事ができればいいのに、出てこない自分が悔しい。

 さくらも紗雪もツバサとは仲が良い。

 特に紗雪とは、ツバサが未だに道場に通っているのもあり、悠里の知らない彼女を知っているのだろう。

 そこに少し妬けたときもあった。


「ツバサ、女だったのか。全然気づかなかったな」


 バツの悪い顔をして、俊介は頭を掻いていた。

 彼の様子は自然で、ツバサのことももう受け入れているようだ。

 肩を竦めた俊介に龍之介が呆れたように同意した。


「連れまわしたりして、悪いことしたかも」

「俊介の体力は男の俺でも疲れる」


 幼馴染ふたりのやり取りは見慣れたものだった。

 いつもならツバサも含めて3人で何かしている。

 男同士の友情を感じられる雰囲気に、悠里でさえ見守っていた。

 彼らが態度を変えないならば、ツバサも動きやすいだろう。

 苦笑していた龍之介が悠里へ視線を向けた。


「調宮、柚木を連れ戻せるのは君だけだ」

「宮本くん」


 龍之介の言葉に皆が頷いてくれた。

 悠里自身背中を押された気分になる。

 ツバサを迎えに行く。悠里の隣は誰のものか教えなければならない。

 いつの間にかざわめきも収まった室内で、周囲の視線が集まるのを感じる。

 珍しく龍之介が微笑んだ。


「やれることは、やっておくから。頼む」


 プロムパーティーはこのまま続行してくれるようだ。

 龍之介の提案に俊介が飛び乗った。

 大きく口を開けて笑う姿は空気を軽くする。


「そうだな! 龍ちゃん、俺らも踊ろうぜ」

「まぁ、自由さのアピールにはいいかもな」


 頼りになる友人たちの姿に、悠里の口元はわずかに微笑んでいた。

 まさかの手を取り合う仕草を見せる男たちに、周りに今までとは違うざわめきが生まれだす。

 それを見て、さくらが悠里の背中を押した。


「ほら、早く」

「ツバサくんが調宮さんと踊るの、もっと見たい、な」


 そうだ。まだツバサと一曲も踊り終えていない。

 紗雪の言葉にまた胸が熱くなった。

 悠里はドレスの裾を持ち上げる。

 まったく、エスコートされなきゃ動きにくいのに、しょうがない。

 ツバサが隣にいないと駄目なのだ。


「ありがとう。絶対、連れ戻すから待ってて」


 皆に背を向けてツバサの走っていった方へ足を進めた。

 と、忘れていたことを思い出す。

 悠里は周囲を見回し、声を張った。


「皆さん、お騒がせしました。続きをどうぞお楽しみください」


 悠里の言葉が染み渡るように会場に響く。

 優雅に一礼をして、踵を返した。

 会場を出たくらいで音楽が再開された。

 盛り上がりも聞こえてくる。これなら、ツバサも戻ってきやすい。


「調宮、すごいな」

「柚木のことだもの」

「そっか、そうだよなぁ」


 去っていった悠里の背中に俊介が呟いた。

 間髪入れず、さくらが返す。

 調宮悠里は柚木ツバサのことでは譲らない。

 それは学園の生徒なら、誰でも知っていることだ。

 俊介が納得したように何度も頷き、踊り始める。

 プロムパーティーは始まったばかりだった。

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