第32話 ひとときの幸せ


 悠里と海斗の許婚が解消されて、一番喜んだのはツバサの周りかもしれない。

 普段通り集まった空き教室。

 ツバサは俊介に髪の毛をぐしゃぐしゃにされていた。

 龍之介は見てはいても止めてはくれない。

 俊介の気が済むまで、ツバサは頭を差し出すことになった。


「柚木、おめでとー!」

「いやいや、長かったなぁ」

「あはは、ありがとう」


 どうにか手ぐしで整える。

 さくらと紗雪は男たちの絡みを傍目に机を並べ変えてくれていた。

 ここまで、喜んでくれることが嬉しくて、表情が緩々のまま戻らなかった。


「調宮にしては大胆なやり方だったな」


 俊介が購買から買ってきたパンを机の上に置く。

 龍之介はお弁当持参だし、女の子たちもお弁当だった。

 隣に座った紗雪と目があい、微笑み合う。


「それだけツバサくんが大切なんだよ」

「なんか、今でも信じられないんだけどね」


 悠里がツバサのために動いてくれた。しかも許婚の解消まで。

 家を一番に考えていた前の悠里を知っている身としては驚きしかない。

 同時に彼女の 人生を大きく変えた責任もじわじわと染み出してきていた。

 それでも。ツバサは夢の中にいるような幸福感を味わえていたのだ。


「俺はこの間まで海斗と調宮が許婚だったことのほうが信じられないぜ」


 俊介がツバサの言葉に合わせるように言った。龍之介も頷きながら、ツバサを見る。


「調宮、柚木といる方が楽しそうだもんね」


 そうハッキリ言われるとどうして良いか分からなくなる。

 なるべく目立たないようにしていたつもりなのに、周囲を見れば皆同意するように頷いていた。

 ツバサは最後の抵抗として、首を傾げて聞き返した。


「そ、そうかな?」

「嘘でしょ、気づいてないなら驚きよ」


 ツバサの言葉にさくらがただでさえ大きい目を丸くした。

 ツバサにとって悠里はいつでも悠里で。

 海斗の隣にいる時の悠里は、以前と同じか、それよりも軽い雰囲気を纏っていた。


「ツバサといるときの調宮は……なんつーか、柔らかい?」

「そうだな。雰囲気が優しいとか、話しかけやすいと言える」

「ひとりだと、近寄りがたい、かな」


 俊介は首を捻りつつ。

 龍之介は具体的な違いを。

 紗雪は控えめながら、しっかりと。

 怒涛のように告げられたツバサといるときの悠里の違い。

 苦笑しながら受け止めるしかツバサにはできなかった。


「わかってる、わかってるから」


 肯定したというのに、友人たちの言葉は止まらない。

 真面目な顔をしながら、その下にからかいの匂いを感じる。

 俊介に至っては口元はすでに緩んでいた。

 ツバサの肩を小突くように押す。


「それが、ツバサとだと、なぁ」

「転入してきた時から、どんどん変わってきたわね」


 さくらが俊介と同じテンションで話を合わせるから溜まらない。

 生暖かい視線が目の前で交わされていくのをツバサは見ていくしかできなかった。

 真面目な龍之介も腕を組み、まるで実験の結果を観察する科学者のように頷く。


「最初の芸術祭では驚いた」


 最初の芸術祭。

 ツバサと悠里が脚本を書いた舞台だ。改変シンデレラ。

 悠里とさくら両方を目立たせるために苦心した記憶がよみがえる。


「さくらちゃんも、調宮さんも可愛かったし、カッコよかったよ」

「さくらー!」


 紗雪がふわりと可愛い感想を言って、さくらが嬉しそうに抱き着いた。

 照れたように笑う紗雪の顔が可愛かったのは言うまでもなく。

 さくらがたまらなくなって顔を押し付けていた。


「プロムの前に芸術祭だな」


 慣れた様子で俊介が残っているイベントを上げる。

 高等部の芸術祭は、それぞれのクラスが得意なものを行う。

 演劇に合唱、絵画や書、写真の展覧など、自由度が段違いになる。その上、好きなものになるので、小さいころから続けてきたものが多く、レベルはプロ顔負け。

 そして、このメンバーで一番芸術祭を楽しみにしているのは、やはりさくらだった。


「クイーンを争えない分、気合が入るわね」

「やっぱり、出ないの?」


 ツバサの問いかけに、さくらは肩を竦め、何も答えない。

 視界の隅で紗雪が少しだけ俯いた。

 何か別の話題を、と考えていたら、教室の扉が開かれる。


「ツバサ、ここにいたの」


 皆の視線が集まるのを気にせず、悠里が堂々と中に入ってくる。

 悠里は教師から呼び出されていた。

 生徒会副会長で真面目な悠里は、ちょっとしたお手伝いのお願いから言伝まで色々頼まれる。


「悠里。お疲れ様」


 少しだけ椅子を引いて立ち上がろうとしたら、後ろから制服の裾を引っ張られる。

 振り返れば悪戯な笑みを浮かべたさくらが悠里とツバサの間で視線を動かしていた。

 そのまま引き寄せられ、わずかにさくらに寄りかかるような姿勢になってしまう。


「いつものことだから。それより、相変わらず近いわ。小野寺さん」

「昔からなんだから、そろそろ慣れなさいよ」

「嫌よ」


 顔色一つ変えず、それでも足早にツバサに近寄った悠里はさくらからツバサを引きはがすように引っ張った。

 元々大した力も入っていない。

 さくらも引き留めず、ツバサは悠里に引き寄せられた状態で、二人の口喧嘩を眺めることになった。


「おー、調宮が素直だ」

「俊介、馬に蹴られるぞ」


 ほぼ悠里の腕と桜の顔しか見えない状況で、妙に冷静に声が聞こえてきた。

 ツバサは熱くなってきた頬を隠すように手で口元を覆った。

 そう、素直なのだ。

 ただでさえ綺麗で可愛い悠里が素直になってしまった。

 その結果、ツバサは悠里といるとほぼ赤面することになる。


「ほんっと、柚木のことには敏感ね」

「そうね」

「まったく」


 さくらが机に肘を月ながら、呆れたようにため息をつく。

 嫌な予感がした。

 さくらの顔はこの状況を楽しんでいたから。


「今度の芸術祭で、柚木の視線を奪ってみせるわ」

「何ですって?」


 びしっと指をさされた。

 完璧にエサに使われた形。

 だが、効果は覿面で頭上の悠里の声が一段低くなる。


「さ、さくらちゃん」


 紗雪が困った顔で桜の制服を引っ張る。

 だが、そんなことくらいで止まるさくらでもないし、悠里もこうなると止まらない。

 ツバサは紗雪を見ながら小さく首を横に振る。すぐに意味は伝わったようで、苦笑が交わされた。


「聞き捨てならないわね、小野寺さん」

「ふふん、うちのクラスは粒ぞろいだからね」


 悠里が腕を組みさくらを真っ直ぐに見つめた。

 さくらが得意そうに胸を張る。

 さくらのクラスのメンバーを思い浮かべ、納得した。


「あいつのクラス、演劇好きが多くて」

「あー……確かにね」


 大して、悠里のクラスは特に演劇が好きな生徒が多いわけではない。

 だが、悠里がいる時点で演劇を選択せざるを得ない。

 これは悠里の人気が高く、他の生徒が舞台に立つ悠里の姿を見たがるからだ。

 自由選択になってから、悠里がいるクラスはミュージカルか演劇のどっちかになっていた。

 良い勝負になるかもと現実逃避のように考えていたツバサに紗雪がこっそりと教えてくれた。


「さくらちゃん、調宮さんのこと好きなんだよ」

「うん、見てるとわかるよ」


 伊達に初等部からいるわけではない。

 紗雪のフォローに癒されつつ、ツバサは微笑み返す。


「芸術祭も、パーティーも楽しみだね」

「うん!」


 喧嘩の下でそんなやり取りをしていたら、いつの間にか声が止んでいた。


「ちょっと、柚木、近いわよ」

「ツバサも星野さんとは特に近いから」


 美人が凄むと怖い。

 それを二つのパターンで経験しながら、ツバサは紗雪から距離を取った。

 慌てて両手を合わせる。


「あはは、ごめん」


 こうやって過ごせる幸せをツバサは噛みしめていた。

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