第20話 秘密の鳥籠
朝倉の別荘は避暑地の中でも標高が高い場所にある。
日が登っても涼しいということは、日が昇らなければ肌寒いということだ。
ひんやりとした朝の空気に気を引き締めつつ、ツバサは大きく伸びをした。
衣擦れの音さえ聞き取れる。
霧も出ていないことを確認すると、ちょうど後ろの扉が開く音がした。
「おはよう、悠里」
「おはよう。早いわね、ツバサ」
振り返れば予想通り、悠里がパンツスタイルで立っていた。
事前に話していたことを、きちんと覚えてくれていたようだ。
いつもスカートに隠れているほっそりとした足の細さ。
夏だから薄着の上着と相まって、とても魅惑的な雰囲気を醸し出していた。
(美人は何を着ても美人ってね)
中等部でこれなのだ。この先が思いやられるとツバサはこっそりため息を吐いた。
もちろん、表面には出さず、悠里の服装は褒める。
悠里は聞き慣れたように礼を言うだけだった。
「俊介が寝ててくれて助かったよ」
忘れ物がないか、体調は大丈夫かを確認して遊歩道に入る。
特に悠里は顔に出さずに無理をする人間なので、念入りに確認した。
ツバサには他の人間より素直に接してくれる。嬉しくてこそばゆい感覚だ。
悠里はツバサの話に小さく頷いた。
「起きてたら一緒に来るでしょうからね」
「昨日のバーベキューではしゃぎ過ぎたみたい」
悠里たちと買ってきた食材は、リクエスト通り、肉が多めになった。
調味料は備え付けられたものがあったので、遠慮なく使わせてもらい、各自好きなものを焼くという面白い姿が見られた。
俊介は焦がしそうに見えて、絶妙な焼き加減で肉をさらう。
龍之介は隅でじっくり焼いていた。
海斗は女の子にも気を配り、ツバサはその手伝い。
女の子たちはスイーツの開発に余念がないようだった。
(無事、仲良くなったみたいで良かった)
高等部での孤立は、悠里の女友だちの少なさにも起因する。
もう少し女友だちがいれば使える手立てはあったはずなのだ。特に恋愛関係で女の子の結団力は凄い時がある。
自分に向かってくるのは困るが、味方になるならありがたいばかりだ。
「小野寺さんと星野さんには言ってきたわ」
悠里がわずかに首を傾げてそう言った。
皆が寝付いていた男部屋と違い女の子部屋はすでに起きているようだ。
昨日の会話から読まれている気はしたが、ツバサは悠里を伺うように見た。
「大丈夫だった?」
「いってらっしゃい、楽しんで、ですって」
「はは」
分かりやすい反応だ。
肩を竦めた悠里にツバサは笑ってみせる。
こっちは海斗に指摘されたらなんて言おうか迷ってたのに。
さくらと紗雪は悠里に協力的なようだ。
ツバサと悠里は連れ立って別荘を出た。
「足元、気をつけてね」
「ありがとう」
別荘の裏に遊歩道があるとは、朝倉の別荘の広さには度肝を抜かれる。
マップを確認して、遊歩道が舗装されている場所だけでかなりの大きさだった。
とはいえ、枝が落ちていたり、石があったりはする。
悠里の邪魔になりそうなものを道の端に寄せつつ、ツバサは悠里に話しかけた。
「昨日、マップで見たところは問題なさそうだったんだけどね」
「鈴木さんに貰ってたわね」
「うん」
ポケットから取り出し、悠里と一緒に覗き込んだ。
私有地の別荘のマップなので、パンフレットのようなものではない。
地図に遊歩道がのっているだけの、設計図に近いものだ。
それでも全体を把握できるのはありがたい。
「まず、よーく聞いてみて」
「朝の森って、結構いろんな音がするのね」
鳥の鳴き声に耳を澄ませながら、ふたりで道を歩く。
それだけで幸せな気がしてくるから、自分は現金な質なのだろう。
悠里は両耳に手をあてて、周りを見回している。
鳴き声がするたびピクリと目を動かす姿はとてま様になっていた。
「そうでしょ?」
悠里の言葉にツバサは得意げに頷いた。
悠里に何かを教えられることなんてないので、とても新鮮な体験だ。
足を止めてふたりで耳を澄ます。
「ほら、今、鳴いてる」
自然と小声で話すようになった。
朝の森は鳥が活発な時間で、そう待つことなくピールーと高い声が聞こえてくる。
双眼鏡を取り出して、姿を探す。
よく整備された森は枝ぶりも管理され、バードウォッチングはしやすい環境だ。
「いた」
「どれ?」
そう間をおかず、見つけることができた。
おそらく、オオルリ。日本のどこでも見やすい鳥だけど、初心者には見つけづらい色合いかもしれない。
双眼鏡を目から離し、隣にいる悠里に渡そうとした。
「あそこ、だよ」
言葉が途切れる。肩越しにツバサと同じ方を見ていたのか、肩に触れるくらいの位置に悠里の顔があった。
ドギマギしながら双眼鏡を渡す。
少しだけ手が震えていた。
「……ありがとう」
「どう、いたしまして」
悠里の瞳が見開かれ、すぐに双眼鏡に隠されてしまう。
ツバサはお礼に対して片言な返事しかできなかった。
オオルリを探す悠里に木の特徴を教えながら誘導する。
(近かったなぁ)
指示しながら、今までにない近さで見た悠里の顔が頭を占拠しようとする。
出会ったときより大人びた顔立ち。ぱっちりとした切れ長の瞳に、少し厚めの唇が艷やかで。
高等部に近づいていることを実感してしまう。
「見えたわ」
「うん、良かった」
悠里が双眼鏡を向けている間、オオルリは大人しくしてくれていたようだ。
後ろから見守っていたら静かに飛び立っていく。
悠里が名残惜しそうに双眼鏡から瞳を離した。
静かな空間に梢がこすれる音だけが響いていく。
ツバサは意を決して口を開いた。
「ねぇ、悠里は、朝倉と」
「ごめんなさい。今は、その話はしないで」
そっと瞳を伏せられる。
悠里にその顔をされると困ってしまう。
結局、ツバサは悠里の困る顔が見たくないだけなのだ。
細く息を吐きながら、空を見上げる。
「理由は聞いても?」
「うまく説明できる気がしないの」
悠里の小さな声が震えていた。
いつも、自信に満ちた話し方をする少女だというのに。
ツバサは静かに悠里の気持ちを待つ。
「ただ、あなたと一緒にいられる時間を大切にしたい」
真っ直ぐに告げられた言葉は、時に凶器になる。
ただの言葉。約束もない、契約もない、取引もない言葉。
それだけなのに、ツバサにとっては効果てきめんだったのだ。
「それだけじゃ、駄目かしら」
まいったな、これは。
ツバサは最初からわかっていたことに、今さら気付いた自分に苦笑する。
許婚のことは話せない。だけど、ツバサといたい。
それはきっと社会的には駄目なことだし、プロムパーティーで海斗と悠里を踊らせるなら悪手にしかならない。
だけれど。
「我儘」
「……そうね」
ツバサの言葉に悠里は、キュッと唇を固く結んだ。
こちらを見つめる瞳はゆらゆらと水の中を揺蕩っている。
泣く一歩手前。そんな悠里の表情に、ツバサは軽く額をつつくことで応えてみせる。
「でも、いいよ」
キョトンとして自分の額を擦る悠里。
そんな姿、前までだったら考えられなかった。
そのあり得ないものが目の前にあるだけで、自分は感謝しなければならない。ツバサはそんな風に思った。
結局。
「柚木ツバサは調宮悠里の我儘を聞くためにいるんだから」
プロムパーティーで震える横顔を見て。
悠里の相手になる資格がないことに嘆いて。
その上、初等部に戻ってから、ツバサがイヤと言うほど知ったこと。
それは、自分が調宮悠里に驚くほど甘い人間だということだった。
「バカね」
「なんとでも」
ツバサの言葉に悠里は泣くのを堪えるように眉間にシワを寄せた。
可愛い。そう呟きそうになるのを律する。
一度溢れれば止まらなくなりそうで、それは面倒しか生まないとわかっていた。
ツバサはそっと悠里の服の裾を握る。
「だから、何でもわたしには教えてね」
「誓うわ」
コクリと大きく悠里は頷いてくれた。
それだけで、また頑張れる気がした。
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