第20話

 双眼鏡を覗き込むガーメール大尉。 彼女の視界に映るのは、山の中腹で月見団子のように連なった岩石。


 満足そうに鼻を鳴らしながら双眼鏡から視界を逸らし、手元に開いた地図を確認する。


「座標的にも、バッチリですわ!」


 ガーメール大尉は、岩石が狙い通りの場所を潰したのかという確認をしていた。 結果的に、放たれた岩石たちは狙い通りの場所を潰している。


 その事実を確認したガーメール大尉は軽い足取りで待機していた兵士たちの元へと向かう。


「これより! 地獄の罠地帯を埋め立てますわよ! 土魔法が使えるものは埋め立て作業へ、土魔法が使えないものは土を集めるのですわ! 安全になった罠地帯を、無傷で通過しますわよ!」


 勝利を確信した(錯覚をしている)ガーメール大尉の指示が飛び、地響きのような歓声が響く。


 長らく苦しめられた罠地獄から解放され(た気分になって)、ガーメール大尉はご満悦だ。


「大尉! これでメルファ鉱山は陥落したも同然ですね! 総司令官にはどのようにお伝えしますか?」

「ふふ、まあ罠地獄を埋め立ててから報告してもいいでしょう」

「埋め立てには少なく見積もっても二週間は使うでしょう。 土魔法を使える魔族は数が限られていますから」


 参謀のブラヒムの発言を聞いても、ご機嫌なガーメール大尉は弾むような歩調で罠地帯の方に向かってしまう。


 今は上への報告のことなど考えず、悪魔たちを討伐した(つもりの)達成感に浸りたいようだ。


「まあ、総司令官殿もわたくしたちを急かしていましたからね? 本軍に制圧を報告したら、どの程度でいらっしゃいますの?」

「五日程度はかかるでしょう。 こちらが使いの者を走らせても本軍が待機しているキーブ平原へは三日はかかるかと」

「つまり、報告するなら早めにしたほうがいいといいたいわけですわね?」


 「その通りでございます!」というブラヒムの言葉に、ガーメール大尉は鼻歌混じりに返答した。


「まあいいですわ、そしたら足の速い兵士を選抜して報告に向かわせなさい『メルファ鉱山はすでにガーメールの手中にあり』とでも報告しておけばいいかしら?」

「まあ、問題ないかと思われます! それでは私は、使いの者を選抜してきますので失礼します!」


 ペコリと頭を下げて別の天幕へ向かうブラヒムを横目に見送り、ガーメール大尉は花が咲いたような笑みで罠地帯の入り口である、ぬるぬる坂を見上げる。


「もう、あんな惨めな思いはしなくて済むのですわね」


 しんみりとしたような、少し儚げな顔でぬるぬる坂を見上げているガーメール大尉に、背後から歩み寄った斥候のデルカルが恐る恐るといった口調で声をかけた。


「あの、ガーメール大尉、作業を開始してもよろしいですか?」

「ええ、この忌々しい罠地帯を埋め立ててしまいなさい!」


 土魔法が使える魔族は少なく、魔力量も限られているため、一日の作業で埋めることができるのはぬるぬる坂の三分の一程度だろう。 魔法も跳ね返されるため埋め立てるのは手作業になってしまう。 魔法を応用できるのは、一箇所に土を集める際の労力だけだ。


 しかしそれでも構わないのだ、今はもう悪魔たちはいない(と思っている)。 明日目が覚めたら、埋め立てた土が撤去されていました! なんてことは、万に一つも起こらないのだから



 

 そう、思っていた。 夜が明けるまでは……


 朝日を背に、魂が抜けたような佇まいで立ち尽くす三人の女性が、ぬるぬる坂の前で硬直している。


 半ば白目を剥いていて、あんぐりと空いていた口からはたらりと唾液が垂れそうになっていた。


 いわゆる放心状態。 目の前に起きているありえない現象を、信じたくても心が信じたくないと嘆いているのだ。 あんぐり空いた口からは魂が抜けかけている。


「ぬぅーん」

「ぽわぁーん」

「ぬほふぉーん」


 今日もぬるぬる坂は平常運転、一から十までぬるぬるだった。


 並び立つ三人はショックのあまり、もはや今の気持ちを言葉にできない。 意味不明な擬音を口の端から唾液と共に漏らしている。


 燃え尽きた灰のように固まる三人に歩み寄る、勇気ある兵士が一人。 ゴクリと喉を鳴らし、震える口から言葉をこぼす。


「あ、あの! ガーメール大尉?」

「ハーイ? 兵士のみんな、今日も元気かしら? わたくし、お腹すいちゃったー☆ てへっ♡ 早くおうちに帰って、甘ーいケーキを食べたいな! ね、ブラヒムちゃんたちも一緒においしいケーキを食べましょ!★」

「わぁーい、ケーキだぁケーキだぁ! ガーメールちゃん! あたしぃチョコレートをたぁくさん使ったケーキが食べたいのぉ♪」

「ふ、ふふふふふチョコケーキ。 ぬへへ。 チョコケーキ……ぬへへ」


 どうやらガーメール大尉たちは、目の前に広がっている光景を信じたくないあまり、錯乱してしまったようだった。


 知能レベルが底辺と言ってもいい会話を交わしながら、血走った瞳で虚空を見上げている。 勇気ある兵士は変わり果ててしまった三人の姿を見て、顔を青ざめさせながら、


「ガーメール大尉! ご乱心! ガーメール大尉! ご乱心だぁぁぁぁぁ!」


 晴れ渡る青空の下、必死の形相で駆け回る兵士と、らりった顔のまま千鳥足でぬるぬる坂周辺をスキップしながら徘徊するガーメール大尉たち。


 これはいわゆる現実逃避だ。 なんせガーメール大尉は昨日、お昼頃に本軍へメルファ鉱山制圧の報告をするための使いを出してしまっていたのだ。


 つまり綺麗さっぱり整地されてしまったぬるぬる坂を見て、悪魔たちがまだ生きていることを知ってしまった上で、


 ———残り七日でこのメルファ鉱山を制圧しなければ、総司令官から大目玉を食らってしまうのだから。

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