第36話
「大尉! 大尉はどちらに! どちらにいかれたのですか大尉!」
第二関門の小部屋で大声を上げるブラヒム。 先ほど目を覚ましたのだが、小部屋には誰もいなかったため、気が動転してしまっている。
「まさか、悪魔どもに連れ去られたのか!」
自ら罠だと言って近づかないようにしていた横穴が、ふと横目に入った。 恐る恐る横穴に視線を向け、ごくりと喉を鳴らすブラヒム。
「まさか、まさか大尉!」
恐る恐る横穴に近づくブラヒム。
(ここ以外考えられない。 おそらくデルカルたちもこの穴に入ってしまったんだ、そして……捕まった)
クッと奥歯を噛み締めながら悔しそうに壁を叩くブラヒム。
「おそらく、今無事でいるのは私だけなのでしょう。 だったら、やるべきことはただ一つ!」
ブラヒムは決意を固めた表情で横穴の前に屈んだ。
「今助けに行きますぞ! 大尉、デルカル!」
決死の覚悟で横穴に入っていくブラヒム。 するとしばらく屈んで進んだところで次の部屋が見えてくる。
三体のモグラの像が中央に並び、壁に等間隔につけられたランタンが目に入る。 そして奥にはすでに開かれた扉。
「なんだ? この部屋は」
口をあんぐり開けながら部屋の様子を入念に確認するブラヒム。 不規則な感覚で灯りが点いているランタンに首を傾げたが、そんなものよりも気がかりなことがあったようだ。
「どうやら横穴で奇襲を受けることはなかった。 ……まさか! 奴らは魔族軍を全員捕まえたと勘違いしているのか?」
光っているランタンの光を呆然と眺めながら、そんな推理を始めてしまうブラヒム。
「ならば、唯一忘れ去られている私しか、皆を救うことはできない。 今が潜入のチャンス!」
ぐっと拳を握り。 大きく深呼吸をしたブラヒムが、肝が据わった瞳で空いていた扉を直視する。
「今、助けに参ります。 あと少し、あと少しだけ耐えていてください! 大尉!」
ブラヒムは駆け出した。 ブラヒムの走り方は重心が前に行きすぎて、転びそうになって足が咄嗟に出たような、見ていて危なっかしい走り方である。
どっさどっさと足をばたつかせながら、クロールをしているかのように腕を大胆に回すクロール走り。 ブラヒムの走り方は見ているだけでヒヤヒヤしてしまう。
そんなクロール走りで第四関門の薄暗い通路にたどり着いたブラヒムは、ぴたりと足を止めた。 どうやら危険察知能力が覚醒したようだ。 罠の直前でぴたりと足を止め、悟りを開いたような表情で通路の奥を睨む。
「罠の匂いがしますね」
ブラヒムは鷹のような眼光で通路を隈なく見渡し、壁に手をかけてゆっくりと進むことを選択した。 壁に何もないかを確認するため、壁を手甲でつつく。 が、
「はっ! しまった!」
つついた壁が、まさかの大当たり。 何かのスイッチを押したかのように、壁の一部がぺこりと凹む。
突然地面から網が出現。 一瞬にして捕獲されるブラヒム。 ブラヒムを捕獲した網はそのまま上空へと昇っていき、バランスを崩してしまったブラヒムは必死に両手を暴れさせるが、しばらくして地面に乱暴に突き落とされた頃には、見知らぬ部屋に来てしまっていた。
「くそ! 捕まってしまったというのですか!」
悔しそうに言い捨てながら、すぐにまとわりついていた網を引っぺがす。
「ほう、私のところに来たのは参謀のブラヒム殿でありましたか」
突然部屋の奥から声が響く。 ブラヒムはその声に聞き覚えがあったのだろうか、おかしそうに鼻を鳴らしながら部屋の奥に視線を向けると、
「おやおや、この声は、死なずのマテウス准将ではありませんか? 噂によれば、あなたは殺しても死なないゾンビだと聞いていましたが、ちゃんと人の姿をしていたのですね?」
「久々にその不名誉な名で呼ばれましたな」
呆れたように鼻を鳴らしながら歩み寄ってくるマテウス中佐。 沈黙する室内には、マテウス中佐が歩く度に響いている金属音以外何も聞こえない。
ブラヒムはマテウス中佐を睨みながら立ち上がると、
「部下の命を踏み台にして、今日まで奇跡的に生きてこれた気分はどうです?」
「確かに、私はあなた方にさんざん追い回され、多くの部下を犠牲にしてしまいました。 ですが、命懸けで私を逃してくれた部下たちのためにも、今日まで無様に生き延びてきたのです」
マテウス中佐はガーメール大尉や他の魔族が率いる部隊と何度も戦闘をし、何度も負けてきた。 連敗続きの敗戦の将だ。 それ故、ついたあだ名は【死なずのマテウス】
敗戦することが濃厚になると、彼女の部下たちは命懸けで彼女が逃げる時間を稼ぎ、そうして逃されたマテウス中佐は何度敗戦を喫しても、死なずに生きてきたのだ。
敗戦を続けた末に逃げ込んだメルファ鉱山でインテラル解放軍に包囲され、建築士くんたちと出会う今日まで、彼女は自らが指揮した魔族軍との戦で、勝ったことが一度もない。 それが原因で元々准将だったその称号も、今は中佐まで格下げされてしまっている。
「私と一対一で戦って、ここを墓場にでもするつもりですかな? 死なずのマテウス」
「確かに、私が一人しかいなければ、あなた方に勝つことなど天と地がひっくり返っても不可能でしたね」
マテウス中佐は自重気味に呟く。 その様子を見てブラヒムは眉を歪めながら周囲に注意を向けた。
「なるほど、この部屋に罠でも仕掛けているのですか」
「ええ、軍人として恥ずかしい話ですが、私一人であなたを倒せるわけなどないのですから」
「はっ! 軍人の誇りを捨てたのですか? 死なずのマテウスと言われていたあなたは、軍人としての心を先に殺してしまいましたか?」
挑発的な笑みを浮かべながら睨みつけてくるブラヒム。 だがマテウス中佐はあっけらかんとした態度で、
「まあ、確かにそうかもしれませんね。 下らない誇りやプライドよりも、本当に大切なものが分かりましたから」
マテウス中佐から自信に満ちた力強い眼差しを向けられるブラヒム。 その瞬間、ブラヒムの背筋にぞくりと怖気が走った。
(なんでしょう? この私が、戦慄しているのですか? こんな敗戦の将ごときに?)
戸惑うブラヒムに鋭い視線を向けながら、マテウス中佐は槍と盾を構える。
「ここで待っていたのが私でよかったですな、ブラヒム殿」
「……ここで、ですか? 一体何を言っているのです?」
「今頃ガーメール大尉は、建築士殿が相手をしているでしょう」
「待ち伏せされた、って事でしょうか? それにしても、建築士? たかが建築士に大尉の相手をさせているのか? それはそれは、軍人として恥ずべきことですな!」
額から玉の汗を垂らしながら、ブラヒムは体の周囲に魔法で作り出した氷の刃を浮遊させる。
「ええ、確かに恥ずかしい。 軍人であるはずの私が、この鉱山では一番弱いのですから」
ブラヒムは言葉を失った。 目の前にいるマテウス中佐は、無様に生き恥をさらす敗戦の将だと思って甘く見ていた。 けれど今、マテウス中佐から発せられる雰囲気は、今まで戦場で見てきた強者のそれに等しかった。
その風格はまさに、一度正面から戦ったことがある、勇者キューグルに匹敵する脅威。
「さてブラヒム殿。 これより、あなたを倒させていただきます」
「貴様がか? やれるものならやってみなさい!」
自らを鼓舞するため、ブラヒムは強がりの戯言を発する。
「ええ、早く私を倒さなければ、ガーメール大尉は間違いなく捕まりますよ?」
「……なんですって?」
明らかな動揺を顔面に貼り付けるブラヒム。 その様子を見て、マテウス中佐は清々しい表情で答える。
「なんせガーメール大尉が相手をしている建築士殿は、
———勇者キューグルなんかよりも、格段に恐ろしい存在なのですから」
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