第39話

 顎をガクガクと震わせながら、部屋中を駆け回るマテウス中佐。


「はっはっは! 私はあなたの考えがわかりますぞ! あなたが体の周りに浮遊させてる氷柱はただの脅しです! 鏡鉱石板がある以上、それを放つ事はできませんからな!」

「マテウス准将、本当に無様ですね?」


 部屋の中央で優雅に立っていたブラヒムは、部屋の中をぐるぐると駆け回るマテウス中佐にドン引いた視線を送っている。


 立ち位置を動かないのは罠の警戒をしているため、ブラヒムは注意深くマテウス中佐が駆け抜けた場所を記憶するように、駆け回る彼女から一切目を逸らしていない。 まるでマテウス中佐よりも、罠の方が怖いと言っているかのような用心深さ。


 観察されていることなどつゆ知らず、がむしゃらに走り回るマテウス中佐の口からは、この季節に似合わない白い吐息が漏れ出ていた。


 ブラヒムの魔法により、この部屋の温度は冷凍庫並みに下がっているのだ。


 氷を自在に操る魔族、通り名は【氷帝ブラヒム】


 彼女は常に極寒の冷気を纏い、氷柱を射出して敵を串刺しにする。 戦いが長引けば寒さにやられて体が動かなくなり、いずれブラヒムの前に震えながら膝をついてしまう。 


 寒さのあまり戦意喪失した敵を、嗜虐的な表情で見下すその姿はまさに皇帝。 デルカルほど器用な魔法操作能力はないが、辺り一帯の気温を下げてしまうほど膨大な魔力を持っているのだ。


 故に、マテウス中佐はひたすらに体を動かし、体温を上げる努力をするしかない。 だが、このまま気温が下がり続ければこの行為も焼け石に水だろう。


 いずれ手足が凍え動けなくなってしまうか、その前に体力が尽きて地に伏せてしまう。 逃げているだけでは何もできない。


 ブラヒムはその未来を悟っているかのように、マテウス中佐へ憐れむような視線を向けた。


「いつまで追いかけっこを所望する気ですか? いいい加減無様に背を見せ逃げ回る行為がはずかしくならないのですか?」

「恥ですか? 今更何を言うのです。 私はここに生きている時点で生き恥を晒している。 部下の命を犠牲に生き残った【死なずのマテウス】ですからね」

「……滑稽ですねマテウス准将! ガーメール大尉と正面から戦い、無事に生き残っていたのはあなたぐらいだったのです。 我々はあなたをほんの少しだけ評価していたのですが」


 不愉快そうに顔をしかめたブラヒムは、体の周囲にただ浮かせていた氷柱に手をかざす。


「どうやら過大評価だったようです。 所詮は人族。 今まで生きていたのは、あなたがただ臆病だったからなのですね」


 部屋の中には鏡鉱石が仕組まれている。 にも関わらず、ブラヒムは冷め切った瞳を逃げ回るマテウス中佐に向けた。


「震えて死になさい。 臆病者」


 まるで死刑宣告を下すように、氷柱に向けて伸ばしていた腕を振り下ろすブラヒム。 彼女の周りに浮いていた氷柱はなんの躊躇もなくマテウス中佐の元へと射出される。


 まさかの行動に、マテウス中佐は緊急回避を強いられる、 頭を抱えながら飛び込むように地面にダイブし、でんぐり返ってすぐに立ち上がる。 今なお室温がマイナスまで下降し続けるこの部屋で、動きを止めるのは非常に危険だ。 しかしマテウス中佐は、用心深く氷柱が飛んでいった方向をしっかりと確認する。


「なんと、鏡鉱石の配置が、ばれているのですか?」

「私たちが今までどうやってあの地獄の罠を突破してきたと思っているのです?」


 瞳孔を開き、寒さのあまり小刻みに震えているマテウス中佐を、嘲笑うように口元に手を添えるブラヒム。


「確かに鏡鉱石は魔法を反射する。 けれど、反射されても構わない質力の魔法を当てておけば、跳ね返ってきた魔法は大してダメージもなく、鏡鉱石がどこに配置されているのかがすぐわかる」


 ブラヒムはくすくすと笑いながらマテウス中佐に向けて腕を伸ばした。


「私はデルカルのように魔法を巧みに操れないですからね、氷柱を射出する程度の攻撃や、ここいら一帯を極寒の地に変える程度のことしかできません。 けれどそれで結構。 あなた程度なら、容易に殺せます」


 ブラヒムはなんのためらいもなく氷柱を放った。 マテウス中佐が立っていた床に、鏡鉱石がないことをわかっていたかのように。


 一直線にマテウス中佐に向かっていく氷柱。 だが、マテウス中佐は動かない。


 ブラヒムはすでに低体温症で動けなくなった、そう思ったのだが、


「ああブラヒム殿、先に言っておきますが……今の鏡鉱石の配置、ちゃんと確認しましたか?」

「……は?」


 歪な笑みを浮かべるマテウス中佐の一言に、素っ頓狂な返事を返すブラヒム。 しかし、


「な、なんですって!」


 マテウス中佐が氷柱をスレスレでかわすと、床に刺さった氷柱が綺麗にブラヒムの方へ帰っていく。 慌てて横っ飛びでかわすブラヒム。


 彼女は非常に用心深いため、咄嗟に飛び込んだ場所もマテウス中佐が駆け抜けた道筋に沿うよう調整していた。 マテウス中佐が駆け抜けたのなら、罠はないはずなのだから。


 自分の身に何も起きないことを確認し、ほっと息を吐くと、恐る恐る微弱な冷気を壁や床に這わせるように放った。 そして鏡鉱石の場所がもう一度判明し、思わぬ結果に息を呑む。


「配置が、変わっている?」

「ブラヒム殿、そもそも勘違いされているようですが。 私はあなたに、一騎打ちで勝負しようだなんて、言ってませんからね?」


 ブラヒムは一瞬、マテウス中佐の言っていることがわからなくて首を傾げた。 が、


「な、なんだと!」


 ブラヒムが横っ飛びで飛び込んだ地面が陥没し、大きく深い穴が開く。


「バカな! そんなはずはない! あなたはこの部屋を走り回っていた! この場所もさっき、あなたが駆け抜けた場所のはず!」


 落とし穴に落ちていくブラヒム。 彼女は慌てて穴から這い上がろうとしたのだが、


「体が、動かない?」

「その落とし穴、瞬間接着液を垂らしてあります。 あの液体、職人じゃないと塗るのは難しいようなので、容器をひっくり返してもらいました」

「しゅ、瞬間接着液?」


 ブラヒムの体は落とし穴の底にぴたりと貼り付けられてしまう。 身動きが取れなくなった彼女は、唯一動く首から上だけを必死に稼働させ、穴の上から見下してくるマテウス中佐に憎悪に染まった視線を送る。


「なんでここに落とし穴が? さっきあなたがこの場所を駆け抜けていたことは、この目で確認していたと言うのに!」

「まあ確かに、さっきはそこに罠なんてありませんでしたからね」

「……さっきは?」

「知ってますかブラヒム殿、地中の温度は地上に比べて一定の温度を保っているのです。 今この部屋の温度がどんなに低くても、地中の温度は温度が下がる前とほぼ一緒」

「な、何が言いたい?」

「紹介しましょう、こちらは私の友人。 ナビアさんです」


 マテウス中佐が地面を指し示すと、地面の中からサングラスをかけたモグラが頭を出す。


「キューーー!」

「コルドラゴ? 貴様、魔物なんかを使って私を騙したのか! なんて卑怯な、軍人としての誇りは、本当に捨てたのですか!」


 顔を真っ赤にさせながら、唯一動く首から上だけで精一杯怒りをあらわにする。 しかしマテウス中佐はあっけらかんとした表情で、


「つい最近までは、罠なんて卑怯なもので魔族軍を圧倒するなど、恥ずべきことだと思っていましたよ? 私も」

「だったらなぜ!」

「けれど、今は違います」


 キッパリと、迷いが一切ない双眸でブラヒムを睨み返す。


「軍人が正々堂々戦えば、民たちは笑顔で過ごせるのでしょうか。 民たちを守るため、何人もの犠牲を出したと知ってしまったら、平和な世の中を心から笑って過ごせるのでしょうか?」


 マテウス中佐の淡々とした言葉に、ブラヒムは口ごもる。


「少なくとも私は、民が楽しそうに笑うためには、これ以上の犠牲を無闇に出す必要はないと思っています。 だからこそ、相手を殺さず捕らえようとする建築士殿のやり方を信じ、この先もついて行こうと決めたのです」

「そんな、くだらない理想論。 あなたを守るために死んでいった部下たちは、それを聞いてどう思うのでしょうね? 無様に生き延び、卑怯な手で相手を貶めるあなたの姿を見て、一体何を思われるでしょうね? この状況も、仇を取る絶好の機会を逃すようなものではありませんか! 今のあなたを見た部下たちは、一体どんな気持ちになると思いますか?」


 ブラヒムの、精一杯の皮肉のつもりだった。 しかしマテウス中佐は清々しい表情で微笑む。


「無論、誇りに思ってくれるでしょう」


 迷いのない即答だった。 その堂々とした返事に、ブラヒムは悔しそうに俯くだけで、何も言い返そうとはしない。


 明後日の方向、おそらく部下たちが弔われているであろう地に視線を向けながら、マテウス中佐は一筋だけ涙を流す。


「なんせ彼らは、私がこの国に平和をもたらすと信じ、命懸けで私を守ってくれたのですから」

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