第9話

「ぜー、ぜー、押しても引いても、蹴ってもびくともしないあの正門。 この地獄の罠地帯を作った悪魔のことですの、きっとあの正門はフェイク! 言われてみれば当然の結果ですの。 あそこまで捻くれている、かつ性格の悪い罠を大量に作った悪魔ですわ。 あれはきっと堂々と門に見せかけたハリボテすの!」


 憎たらしげなぼやきを呟きながら城壁の前に移動したガーメール大尉。 彼女はマテウス中佐と違い、進む道に石ころを投げて安全確認したり、熱いお湯の温度を足先で測ろうとしているような足取りでの移動のため、正門についてから三時間近く経過している。


 ようやく正門の扉は普通に開かないとわかり、今回は魔法でぶち壊すのをやめて城壁の方へ移動した。


「さて、この城壁にも忌々しき鏡鉱石が仕込まれている可能性が拭えない以上、ここで魔法をぶっ放すのは悪手。 あえて魔法をぶっ放して鏡鉱石があるのかないのかを調べたいところですが、またあの罠地獄を攻略するのはもううんざりですわ! 魔族としては不本意ながら、よじ登るしかありませんの!」


 ガーメール大尉は決意を込めた瞳で、ゆっくりと一人で頷く。 そして、助走をつける予定の直進路に石を転がし安全確認。 助走をつけようとしている距離は約十メーター程度。 石と自らの足で安全確認する作業は十分程度で完了した。


 いざ、助走をつけて城壁を駆け上がるため、ガーメール大尉は仁王立ちして息を整える。


「今度こそ、今度こそこの忌々しい罠地獄を攻略する日が来たのですわ!」


 一ヶ月に及ぶ過酷な日々を思い出し、ガーメール大尉は一人、物思いに耽る。


「思えばあのぬるぬる坂で顔面強打してから一ヶ月。 何度メルファ鉱山の攻略を断念しようとしたことか……」


 まだ城壁を登り切ってもいないと言うのに、なぜかほろりと涙をこぼしながら脳内回想シーンに感動しているガーメール大尉。 この後史上最大の危機におちいることなど考えてもいないだろう。


「いつもこのわたくしを支えてくれた、参謀のブラヒム。 わたくしの無茶振りを涙ながらに実行してきた、斥候のデルカル。 彼女たちの励ましがなければ、わたくしはきっとあの地獄の罠地帯を前に、膝を折ってしまっていたでしょう」


 力強い一歩を踏み出し、前傾姿勢で城壁を睨むガーメール大尉。


「わたくしの部下たちが、ここまでの道のりを支えてくれたのです! わたくしがここで城壁を突破し、あの性格の悪い罠地獄を作った超本人を捕らえて見せますわ! 今に見ていなさい罠の悪魔め! このわたくし、灰燼公ガーメール大尉が、あなたに引導を渡してあげますわ!」


 勢いよく駆け出すガーメール大尉。 ちなみに、ガーメール大尉は魔族のため身体能力が極めて低い。 言い方を変えれば運動神経が良くない、と言うより悪い。


 ガーメール大尉が決意と共に駆け出したその足取りは、前傾姿勢のまま駆け出すかっこいい走り姿ではなく……


 体の軸はブレブレで、両腕の振りは大袈裟なのに足が前に出ていない。 メトロノームのように体をブンブン振り回しながら、ぬいぐるみが腕を振り回しているような腕の振り。 わかりやすく記述するなら、襟巻きトカゲの全力ダッシュに似た走り姿だった。


 こんな恥ずかしい走り姿を部下に見られていないのは僥倖だったのかもしれない。


 襟巻きトカゲダッシュで城壁前に辿り着き、思い切り屈んで高々と……とはお世辞でも言えない高さを飛び上がる。


 マテウス中佐と違って綺麗な垂直跳びのフォームとは言えない、右腕と右足を跳ぶ方向に突き出したジャンプフォーム。


 右掌が城壁に触れる、遅れて右足のつま先も。 そして城壁を掻くようにして高さを稼ぎ、左腕と左足を伸ばそうとしたのだが、ここで異変に気がつく。


 右掌と右足が、城壁から離れない。 そのため壁を引っ掻いて高さを稼ごうとしていたガーメール大尉はバランスを崩し……


「ゔへっ!」


 カエルを踏み潰したような呻き声と共に、全身を城壁に叩きつけてしまった。 こうしてガーメール大尉は、生まれたての子鹿のような情けない格好で全身を城壁に貼り付けてしまい、涙目になってしまう。


「な、な、な……なんですのこれわぁぁぁぁぁ!」


 例に従って口以外何も動かせないガーメール大尉。 しかし、ガーメール大尉が壁に張り付いたやいなや、城壁の向こうから何者かが飛び込んでくる。


「ガーメール大尉! 貴様の運命もここまでだ! 覚悟するがいい!」

「そ! その声は! マテウス准将!」


 首が動かせないガーメール大尉は声の主を音だけで判断し、狼狽の声を上げる。


「ちょっと~! マテウス中佐~! マスクつけたの~?」

「はて? マスクとはなんですか?」

「話聞いてから突進してよ~。 あぁ~…… もういいや、建築士くん、やっちゃって~?」


 城壁の上に造られた物見櫓から、眠くなりそうな声が響き、ガーメール大尉はダラダラと全身から汗を吹き出す。


 このままではまずい、そうは思っているのだが体は全く動かない。 絶体絶命のピンチ。


 にも関わらず、物見櫓ではここまでの罠を製作した悪魔たちが、余裕そうな声音で会話を続けている。


「え? でもアミーナちゃん、そしたらマテウス中佐も……」

「話聞いてない中佐が悪いんだし~、どうせ体に害はないからだいじょ~ぶでしょ~」

「そ、そう言うことなら……えい!」


 物見櫓から何かが投げ落とされる。 それを見たマテウス中佐は目を見開きながら慌てふためいた。


「待ってくだされ建築士殿! それは! 永眠蝶の睡眠胞子ではありませんか!」

「睡眠胞子ですってぇぇぇぇ!」


 マテウス中佐の動揺の叫びに、ガーメール大尉が発したこの世の終わりのような叫びが重なる。


 生まれたての子鹿のような格好のまま滝のように汗を吹き出し、ガーメール大尉は必死に脳を稼働させる。


(ここで眠らされたらわたくしはこの悪魔たちに捕まってしまいますわ! どっどどどどうしましょう! あわわわわ、捕まってしまったら一貫の終わりですの! 息を止めればすぐに眠ってしまったりはしませんが、わたくしは体育会系の武族と違って息を止めていられるのはせいぜい三十秒!)


 急のあまり心臓が早鐘を打つ、ガーメール大尉の背後ではどさりと何かが倒れる音がした。 しかし首が張り付いてしまって確認はできない。


「む、無念……すぴー、すぴー」

「あ、マテウス中佐が寝てしまいました」

「マテウス中佐、この城壁ととことん相性が悪いね~」


 物見櫓の方からあっけらかんとした女性たちの声が響く。 あの声はこの地獄のような惨状を作った元凶、憎むべき悪魔たち。 それは分かっているガーメール大尉だが、このまま何もしなければ眠ってしまい、気がついたら牢獄の中なんてことすらあり得る。


 息も止めているせいで脳に酸素が回らず、焦っているあまり半ばやけくそに思い付いたのは一か八かの大博打。


(こうなったら、やるしかありませんわ!)


 周囲の温度が急激に上昇する。 城壁に貼り付いたガーメール大尉の掌に、途轍もない量の魔力が収束していく。


「あ! やばいですよお師匠様! あいつ、極大魔法を使おうとしてます!」

「え? 嘘でしょ? せっかく捕虜にできると思ったのに!」


 残念そうな声が響いてきた。 この瞬間、ガーメール大尉はこの後起こることをなんとなく察してしまった。


 ガーメール大尉の掌に収束した魔力が巨大な炎塊に変わると同時に、城壁の中で歪な光が煌めき出す。


 ——やっぱりな。


 そう思った頃には、ガーメール大尉の体は城壁の残骸に貼り付いたまま、大空の彼方に吹き飛ばされていた。


 どうやら城壁の中にも、厚さ十ミリの鏡鉱石板が仕組まれていたようだ。


「これで、これで終わりだなんて思いませんことよぉぉぉぉぉぉ!」


 涙ぐんだ叫び声と共に、星になってしまうガーメール大尉。


 数日前にも同じような光景を見ていたせいか、物見櫓の上に立ち尽くしていた三人の人影が、星になったガーメール大尉を眺めつつゆっくりと口を開く。


「デジャブだね」

「デジャブですね」

「デジャブだったね~(笑)」

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