モルディア国の聖女 1

 ヴィオレーヌがいるエインズワース辺境伯城から、距離にして馬車でおよそ一か月。


 ルウェルハスト国の王宮のサロンでは、華やかな装いに身を包んだ二人の女性が顔を合わせていた。

 贅を凝らしたルウェルハスト国の王宮は、四年間にも及んだ戦を感じさせないほどに美しいままである。

 王都は戦場にならなかったため被害はほぼなく、豪華な調度に彩られたサロンに集った二人の女性――ルーファスの側妃たちの生活も優雅なものだった。


(……被害はなくとも、この方には思うところがあるみたいですけど)


 ルーファスの側妃であるリアーナ・メイプルは、正面に座る同時期に召し上げられたもう一人の側妃アラベラ・ファーバーを見やって、こっそりと息を吐く。

 蜂蜜色の髪に紺色の瞳を持ったリアーナは、メイプル侯爵家の娘だ。おっとりした外見とは裏腹に、軍部の大臣を父に持つため武芸にも明るい。


 一方、丸いテーブルを挟んだ反対側で優雅に紅茶を飲んでいるアラベラの方は、外見こそ波打つ赤みがかった金髪に吊り上がり気味の緑色の目の、気の強そうな苛烈な雰囲気からは想像できないほどに貧弱だ。


 いや、貴族女性というものは貧弱なものが多いけれど、ひと睨みで他人を石化させてしまいそうな雰囲気のアラベラが達者なのは口ばかりである。


 アラベラはファーバー公爵家の娘で、ルーファスの従妹にあたる。

 リアーナが万が一の際のルーファスの護衛として側妃に選ばれたのに対し、アラベラの方は戦時に国内の結束をまとめるためというリアーナからすればちょっと意味のわからない理由でルーファスの側妃に選ばれた。


 おおかたアラベラがルーファスの妃になれるように父親にねだったのだろうとリアーナは見ている。

 リアーナは側妃という立場ながらルーファスのことを護衛対象としか見ていないが、アラベラは違う。彼女がルーファスを見つめる時、その緑色の瞳に焦がれるような熱が生まれることをリアーナは知っていた。


 公爵令嬢であれば王太子の正妃として扱われても何らおかしくなかったが、アラベラが側妃となったのは、国王が戦況を見ていたからだと思う。


 リアーナとアラベラが嫁いだのは二年前。

 戦が終結する一年前のことで、その時点で戦況はルウェルハスト国が優勢だった。

 穏健派の国王としては、その時点でマグドネル国側からルーファスの正妃を娶ることで戦を納めようと考えていたに違いない。

 本来正妃にもなれたアラベラは、自分より敗戦国の姫が優遇されると聞いて荒れに荒れたが、リアーナはそれは仕方のないことだと思っている。


(ましてや、嫁いでくるのが噂の『聖女』であるなら、正妃として遇するのが妥当でしょう)


 ルーファスに嫁ぐのはモルディア国の聖女だと言う。

 マグドネル国が自国の姫を出さなかったのだ。

 その傲慢さは、敗戦国としての認識が甘いと言わざるを得ないが、何のとりえもないマグドネル国の姫を娶るよりも、「モルディア国の奇跡」を起こしたと噂の聖女の方がルウェルハスト国としても利がある。


 モルディア国の奇跡――四年も続いた戦においてかの国の戦死者が一人も出なかったという異常事態に、モルディア国の第一王女ヴィオレーヌが関与しているという噂の真偽はわからないが、何か特別な秘密があるのは間違いない。

 そうでなければ、ルウェルハスト国にもマグドネル国にも多大なる戦死者を出した戦で、モルディア国の兵士だけが誰も死ななかったというのはおかしいのだ。


 特別な力か、それとも知略に長けた王女なのか、それはわからない。

 だが、聖女と言わしめるだけの力がヴィオレーヌにはあるはずなのである。


(問題は、ルーファス様が素直に姫を受け入れるか、でしょうね)


 ルーファスはマグドネル国が起こした戦に激怒しかの国に強い憎悪を抱いている。

 マグドネル国の同盟国にしてかの国に協力したモルディア国に対しても然り、だ。

 むしろ、ルウェルハスト国は戦を仕掛けられて大勢の戦死者を出したのにも関わらず、戦死者が一人もおらず、人的被害がほぼ皆無と言っても過言でないモルディア国への恨みの方が強いように思えた。

 戦が長期化したのは、モルディア国のせいだと思っている節がある。


 小国であるモルディア国の兵士の数はたかが知れていて、いくら戦死しなかったとはいえ戦力としてたいしたことはない。

 リアーナはモルディア国は被害者だと思っているけれど、戦で親友を失ったルーファスの恨みは深く、誰が何を言ったところで無駄だろう。


「ちょっと、聞いてるの‼」


 この状況で嫁いでくる聖女に同情していると、アラベラがキンキンと耳に響く声で怒鳴った。


(アラベラ様もモルディア国の聖女を完全に敵視しているようですし)


 アラベラはルーファスを愛している。その思いが一方通行なのは見ていて明らかだが、どうやら本人は気づいていない。

 そんなアラベラにとってモルディア国の聖女は、自分とルーファスの愛の邪魔をした目障りな存在なのだ。


(愛も何も、形だけの側妃でしょうに)


 ルーファスは確かにアラベラとリアーナを娶った。

 けれども、リアーナもアラベラも、ルーファスと夜を共にしたことは一度もない。

 この婚姻は彼が望んだことではなく、戦時中においてそうせざるを得なかったからにすぎないのだ。


 リアーナは護衛として。

 そしてアラベラの方は、公爵家からの圧力があった。


 他国との戦時に国内でもめるほど馬鹿なことはない。

 公爵家を納得させ、国内をまとめ上げるのにアラベラを娶らざるを得なかったのだ。

 けれども、アラベラはそれがわかっていない。

 愛されているから側妃に選ばれたのだと本気で思っている。父親を使って王家に圧力をかけたにも関わらず、だ。


「敵国の王女がルーファス様の妃なんて冗談じゃないわ! いつ寝首をかかれるかわかったものじゃないじゃない! 何としても排除するわよ、協力しなさい!」

「排除、ですか」


 それは得策ではないだろう。

 少なくとも聖女にどんな秘密があるのかわからない状況で、下手に手を出さない方がいいと見ている。

 それに、聖女が知略に長けた人物であるなら、ルーファスの寝首を掻くなんて馬鹿な真似はしないはずだ。再び開戦となれば、負けるのはマグドネル国側である。


(王太子の立場ではありますけど、ルーファス様一人を落とせばどうにかなるわけではございませんからね)


 ルーファスには一つ下に弟王子がいるし、大国ルウェルハスト国には王族も多い。

 彼の首一つで崩壊する国ではない。


「正妃として嫁いで来た以上、ヴィオレーヌ様はわたくしたち側妃よりも上の立場です。下手に動くと、こちらの方が痛い目を見ますわよ」


 それに巻き込まれるのも勘弁である。

 ぬるくなった紅茶を口には媚びつつアラベラを伺えば、彼女は赤い唇をにやりとゆがめて笑った。


「敗戦国の人質が、わたくしたちより立場が上のはずないでしょう?」


 傲慢なその発言に、リアーナは面倒なことにならなければいいけれどと、そっと目を伏せた。




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