モルディア国の聖女 3
日が暮れる前に野営地に到着した。
このあたりは戦の被害が大きかったと聞くが、終戦後一年経っているからか、それとも野営地に被害がなかったからなのか、目立った戦のあとはなさそうである。
兵士たちが野営地に天幕を張りはじめるのを横目に見やりながら、ヴィオレーヌはルーファスに教えられた泉に向かって歩き出した。
泉は近くの森の中にあるそうだ。
食事の時間までには戻って来いとルーファスに言われて、一応食事をくれるつもりはあるんだなと意外に思いながらヴィオレーヌは頷く。
ツンケンしているしヴィオレーヌを殺そうとしたとんでもない男だが、根はそれほど悪い人間ではないのかもしれない。
(ま、わたしが死んだら道連れになるから死なないようにしているだけかもしれないけどね)
心臓を繋いだと教えたときのルーファスの顔は見ものだった。
あんぐりと口を開けたと思うと見る見るうちに蒼白になって慌てだし、散々怒鳴ったあとでぐったりとうずくまって動かなくなってしまったのだ。
そのあと「もうお前など知らん!」と喚いてふて寝するようにベッドに横になってしまったときは、子供だろうかとあきれたものである。
まあおかげで、部屋のソファでヴィオレーヌも朝までゆっくり休むことができたのでよかったが。
野営地から十分ほど歩いた場所にある泉に到着したヴィオレーヌは、さっそく入浴の準備をはじめた。
もちろん、春先の冷たい泉に身をさらすほど愚かなことはしない。
泉の一角を魔術を用いて分離すると、中の水をこれまた魔術でお風呂のお湯くらいの温度まで温める。
適温になったら、ヴィオレーヌはばさりとドレスを脱いで裸になった。
「うーん、いいお湯」
自作した温泉につかって、ふーっと息を吐く。
見上げれば藍色に染まりはじめた空に、ぽつりぽつりと星が輝いていた。もう少し暗ければ満天の星空だっただろう。
お湯につかったまま、ヴィオレーヌは脱ぎ散らかしたドレスや下着を魔術で綺麗に丸洗いし、風の魔術で乾かしておく。これでルーファスも文句あるまい。
お湯の中で丁寧に髪を洗ってさっぱりすると、夕食の時間まで入浴タイムを満喫することにした。
マグドネル国王の養女になってから今日まで、考えてみればずっと気を張っていたように思う。
久しぶりに誰にも監視されずにのんびりできる時間に、ヴィオレーヌは幼い少女のように頬を緩めた
(お父様たち、お元気かしら?)
きっと心配しているだろうから、できることならルウェルハスト国の王宮に到着した後で父たちに手紙が書きたい。
さすがに道中で殺されかけたことは書けないが、無事に王宮に到着したことは伝えておきたかった。
(ひとまずわたしは死によって起こる戦争は回避できたから、大丈夫だとは思いたいけど)
しかしルーファスが、戦争を仕掛けたマグドネル国やモルディア国を恨んでいることには変わりないだろう。
今後モルディア国に被害が出ないように目を光らせておかなくてはならない。
ぼんやりと空を見上げてモルディア国の父たちの顔を思い浮かべていると、がさりと背後で物音がした。
ハッとして振り返ると、木々の間から顔を出したのはルーファスで、ヴィオレーヌは目を見張る。
「ルーファス殿下?」
「な――」
自作の温泉につかったまま振り向いたヴィオレーヌに、ルーファスは一瞬で顔を真っ赤に染めた。
「なんでこんな場所で裸になっているんだ‼」
怒鳴られて、ヴィオレーヌは自分が裸だったことを思い出した。
「き、きゃあ!」
つい悲鳴を上げて、両手で胸元を覆うと、湯の中に深く身を鎮める。
「な、な、何をしに来たんですか!」
「ドレスを洗えば着替えがなくなることを思い出して着替えを持ってきてやったんだ‼ それよりなんだ、これは!」
ちらりと肩越しに振り返れば、ルーファスの手には彼のものだと思われる男物の服があった。一応気を使ってくれたらしい。
「なんなんだと言われましても……、お風呂ですが」
「なぜ泉に風呂がある!」
「作ったからですわ。水あびをするには寒い季節ですので」
「はあ?」
ルーファスはぱくぱくと口を開閉させた後で、額を押さえて首を横に振った。
「もういい、考えたところで意味がわからん。とりあえず着替えはここに置いておく。あと三十分もしたら夕食だ。それまでに戻れ」
できるだけヴィオレーヌの裸を見ないようにしているのだろう。視線を足元に落としたまま、ルーファスは近くの岩の上に着替えを置くと足早に去って行く。
曲がりなりにも王太子が一人でこんな場所まで来るなんてとあきれたが、ヴィオレーヌだって一人でここまで来たのだから人のことは言えないだろうか。
(まあ、殿下の剣の腕はそれなりっぽかったから、この程度の距離なら大丈夫なのかしらね)
昨日は魔術で身体強化をしていたから彼の剣を簡単に弾き飛ばすことができたが、身体強化をかけていなければ難しかっただろう。魔術も含め総合力ではヴィオレーヌが上だが、剣術だけならルーファスに軍配が上がる気がした。
これでもモルディア国の騎士団長――義祖父からお墨付きをもらった腕なのに、ちょっと悔しい。
ヴィオレーヌは岩の上に置かれた着替えと、それから洗って乾かした自分のドレスを見て、うーんと首をひねった。
(せっかく持ってきてくれたものを使わないと……機嫌を損ねそうね)
親切はありがたく受け取っておくかと、湯から上がりながらヴィオレーヌは息を吐いた。
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