モルディア国の聖女 4

 身長が高い分、ルーファスの服はヴィオレーヌには大きかった。

 ぶかぶかの服を着て戻れば、ルーファスは天幕のそばに焚かれた火の前に座っていた。

 足音に顔を上げたルーファスは、ヴィオレーヌを見て軽く目を見張ったのちに、ぱっと視線を逸らす。

 ぶっきらぼうに「座れ」と言われて、ヴィオレーヌは少し考えて彼の隣に腰を下ろした。


 ルーファスがどれだけヴィオレーヌのことを憎く思っていようと、彼はヴィオレーヌを殺せない。

 ヴィオレーヌが死ねば、自分も死ぬことになるからだ。

 いくらなんでも、自分の命を懸けてまでヴィオレーヌを葬りたいとは思わないだろう。


「……食べろ」


 ずいっと、パンとスープが差し出される。ルーファスの手元にも同じものがあった。

 野営とはいえ王太子が取るには質素な食事だと思ったが、戦時中はこんなものだったのかもしれない。戦が終わり一年が経過したが、たった一年で国が元通りになることはないだろう。おそらく今も物資は不足しているはずだ。


(そういう状況で、王族の権威を振りかざして贅沢をしようとしないことには、好感が持てるわね)


 ヴィオレーヌが知るルーファスという人物は、ヴィオレーヌを殺そうとした男というものだけだ。

 彼の本質がいったいどういう人間なのかによって、今後のヴィオレーヌの動き方が変わってくる。見極めねばならない。

 まだたった一日しか経っていないので判断材料が少ないが、ヴィオレーヌが思っていたよりはまともな男のように思えた。だからといって、心を許す気はないのだが。


 黙って食事を摂りはじめると、ルーファスは意外そうに眉を上げた。

 何をそんなに驚いているのだろうかと不思議に思ったが、もしかしたらヴィオレーヌが食事に文句をつけると思っていたのかもしれない。


(モルディア国でも、戦時中の食事はこんなものだったわよ)


 モルディア国の土地が侵略されたわけではないので、田畑が荒らされたわけではない。

 しかし男では戦に取られ、鍬などの鉄製品は溶かされて剣に変えられた。

 備蓄に至ってもマグドネル国に要求され多くを奪われたので、戦時中はモルディア国の国民も厳しい生活を強いられたのだ。


 ヴィオレーヌが魔術を用いて王都付近の王家直轄地の収穫量の底上げをしていなかったら、もっと厳しいものになっていただろう。実際一度目の人生では、食べるものがなく、ガリガリに痩せた国民が城に助けを求めてやってきていた。

 けれども城の備蓄もほとんど底をついており、ヴィオレーヌたちができたのは具のほとんど入っていないスープを配ることだけだった。


 今回は、ヴィオレーヌがマグドネル国に気づかれないようにこっそりと王家直轄地の収穫を上げたおかげで、一度目の人生よりはましだったけれど、それを国内で大々的に行うわけにはいかなかったので、やはり満足に食べられるような状況でもなかったのだ。


 戦が終わって、ヴィオレーヌがマグドネル国に連れて行かれるまでの間にモルディア国の田畑を回復して回ったので、今事は少し上向いていると思う。

 しかしルウェルハスト国では、ヴィオレーヌが行ったある意味規格外な魔術での底上げができなかったため、終戦から一年では収穫量はほとんど回復していないと思われた。


 塩味の味気ないスープを口に運びながら、顔色一つ変えず同じ食事を摂っているルーファスを見る。

 渡されたパンも保存用にかなり固く焼かれていて、正直美味しくないけれど、ルーファスは嫌な顔一つしない。


「そうしていると、魔女もまともに見えるな」


 無言で黙々と食事を摂っていると、ルーファスがちらりと顔を上げた。


(どういう意味?)


 この大きすぎて袖を折らなければ手も出ないようなぶかぶかな服を着ている方が、まとも?

 怪訝に思っていると、ルーファスが息を吐いた。


「さっきまでは、棺桶の中から蘇った死人にしか見えなかった」

「……なるほど」


 ヴィオレーヌはちらりと横に畳んでおいているドレスを見やった。

 洗って綺麗になっているけれど、さっきまではどす黒く変色した血がこびりついていた。色が白なだけに、死に装束にも見えただろう。

 もっと言えば、ヴィオレーヌの紫がかった銀髪にも顔にも返り血のあとがあった。ヴィオレーヌは色が白いので、そのような格好を見れば血の通っていない死人に見えたかもしれない。


「しかし本当に返り血だけだったのだな。傷は……いや」


 入浴中のヴィオレーヌの姿でも思い出したのだろうか。

 ルーファスの顔にパッと朱が散って、ヴィオレーヌも急速に恥ずかしくなってきた。


(や、やっぱり、見られたのよね……)


 さすがに裸の全身を見られたわけではないだろうが、一部でも見られたと思うと恥ずかしい。

 妻を二人も娶っているルーファスが照れると思っていなかったので意外ではあったが、裸体を見られて平然とされるよりはましだろうか。


(返り血といっても、ルーファス殿下の兵士の血ではないけどね)


 襲われた時、ヴィオレーヌは幻覚魔術で姿を消してその場を駆け抜けた。

 その際、ルウェルハスト国の兵士がヴィオレーヌの監視としてついてきていたマグドネル国の騎士たちや侍女たちを斬りつけた血を浴びただけだ。別にヴィオレーヌ自身が誰かを斬ったわけでも殺したわけでもない。


 だが、この場でそれを説明する必要はないだろう。

 ヴィオレーヌたち一行を襲ったルウェルハスト国の兵士たちも、マグドネル国の騎士たちに抵抗されて多少なりとも怪我を負っているだろうが、それがヴィオレーヌのせいではないと主張したところで信じてはもらえないだろうし、正直それを明確したところでヴィオレーヌに対する印象が変わるとは思っていない。


 ルーファスもそうだが、この場にいる兵士や騎士たちにとって、ヴィオレーヌは敵国であり敗戦国の姫なのだ。最初から快く思われていない。


(それにしても、格好だけでそれほど変わるものかしら?)


 血染めのドレスを着ていたときは、ルーファスは目をあわせるのも嫌だと言わんばかりの態度だったが、今はそれが少し軟化しているように思えた。

 今であれば、話くらいはできるかもしれない。


(今後のわたしの扱いとか、いろいろ聞いておきたいことがあるからね)


 一応妻として嫁ぐのだから、王宮に連れて行かれると思っている。

 立場上は正妃という扱いだ。何らかの役割が与えられることも考えられるだろう。

 食事を終えると、ヴィオレーヌは食後のお茶を飲んでいるルーファスの、炎に照らされた横顔をみやった。


「殿下、お聞きしたいことがあるんですけど」

「……わかった。だが天幕の中にしてくれ。この場で話すには多少不都合があるかもしれん」


 ルーファスは兵士や騎士たちに昨夜のことを話していないようだ。

 当然と言えば当然か。一見したところか弱そうに見えるヴィオレーヌに出し抜かれ、生殺与奪の権利まで握られたとあれば王太子の――いや、男のプライドはズタズタだろう。そんなこと、他人に口にできるはずがない。


 ヴィオレーヌとしても、黙っておいてもらえた方が何かと都合がいい。

 ヴィオレーヌが見た目通りのか弱い女だと周囲に認識されていたほうが、多少なりとも監視の目も緩むだろうし、いざというときに立ちまわりやすくなる。


 人前で下手なことを言われたくないらしいルーファスは、立ち上がるとさっさと天幕の方に向かって歩き出した。

 来い、というように顎をしゃくられる。

 ヴィオレーヌは脇に置いていたドレスを抱えて、彼のあとを追った。


 天幕の中はそこそこ広かった。

 王族用の天幕なので兵士や騎士が使うものよりいいものなのだろう。

 中は意外と温かく、中央に分厚いラグと敷布が敷かれていた。ここで休めということなのだろうが、気になるのはその敷布が大きく、枕が二つ並べられていることだった。もしかしなくともヴィオレーヌの数もカウントされているのだろうか。


 外で寝ろと言われるのと、ルーファスの隣で寝ろと言われるのの、どちらがましだろうかと一瞬考えてしまう。

 外は寒いが、一度目の人生でも今世でも男性と同衾したことのないヴィオレーヌは、自然と体に力が入るのを感じた。

 ルーファスとヴィオレーヌは夫婦だが、昨日まで彼を出し抜き生き抜くことしか考えてこなかったヴィオレーヌは、そういうことに対する覚悟がまだできていないのだ。


「適当に座れ」


 そう言われたので、ヴィオレーヌは近くにあったクッションを引き寄せると、できるだけ敷布から離れて座った。

 敷布の上に胡坐をかいたルーファスが「遠い」と文句を言う。


「外に聞かれたくない。もう少し寄れ」

「……わかりました」


 仕方なく、ヴィオレーヌはルーファスの方に寄って、敷布の手前に座った。


「お前が聞きたいことがあると言ったように、俺にもお前に訊ねたいことがある」

「わかりました。お先にどうぞ」


 だいたい察しはつくが、ルーファスを促せば、彼はコホンと咳ばらいを一つして口を開いた。


「昨日お前は、俺の心臓とお前の心臓を繋いだと言ったな。あれについて詳しく知りたい」

「詳しくと言いましても、そのままの意味ですよ。わたしが死ねばあなたが死ぬ、逆に言えばあなたが死ねばわたしが死ぬ、そういうことです」

「……聞き間違いじゃなかったのか」


 ルーファスはがっくりと肩を落とした。


「禁術を使ったと言ったな。それは解けるのか」

「解けませんよ。禁術と言ったでしょう? 禁術は代償大きいんです。この術は未来永劫解けません」

「くそっ」


 舌打ちしているが、たとえ解けるとしてもヴィオレーヌは解く気はない。どちらにせよ同じことだ。


「もしかして、もし解けるのならわたしの家族やモルディア国の国民を人質にして術を解かせようとか考えていましたか? やめておいた方がいいですよ。そんなことをする前に、わたしは殿下を殺せます」

「……そうだろうな。先の戦でモルディア国の兵士に死者がでなかったのは、お前のその力の影響か」

「ええ、まあ。詳しいことを教えるつもりはありませんけどね」

「それほどまでに力があるなら、何故戦場に立たなかった」

「立ってほしかったですか? わたした戦場に出れば、負けていたのはルウェルハスト国ですよ」

「別に戦場に出てほしかったわけじゃない。ただ、単純な疑問だ」


 ヴィオレーヌは肩をすくめた。

 話してやる義理はなかったが、今のルーファスは多少なりともヴィオレーヌに歩み寄ろうとしているように見えたので、それを突っぱねる必要もないと思えた。


(夫婦仲よくとはいかないでしょうけど、わざわざ険悪になる必要もないものね)


 昨日死ななかったことで、当初のヴィオレーヌの目的は果たされた。

 あとはルウェルハスト国でうまく立ち回り、モルディア国に被害がないようにするのがヴィオレーヌが自分に課した使命である。そのためには、ルーファスとの関係性についても考える必要があった。


「わたしが出れば、戦は終わっていたでしょう。マグドネル国側の勝利という形で。でも、同盟国と言いながらモルディア国に無理ばかり言って属国のように扱おうとするマグドネル国が、わたしは嫌いなんですよ。かの国のために動いてやる必要はないですし、わたしが動いたことで戦に勝利した場合、マグドネル国が次に何をするかは容易に想像できるかと思いますが?」

「そう、か」


 ルーファスは意外そうに目を見張った。

 ヴィオレーヌはそんな彼の様子に、少しムッとする。


「まさか、モルディア国が喜んで此度の戦に参戦したとでも思っていましたか? モルディア国は争いを好まないのんびりとした国です。わたしたちは穏やかな生活を望んでいます。むしろ巻き込まれて迷惑をしているんですよ」

「それは本心か」

「嘘をついてどうします」


 ヴィオレーヌは大きく息を吐き出した。


「わたしが動いてマグドネル国側を壊滅させることで戦が終わるのであればむしろそうしていましたよ。そうできないことは、殿下もご存じでしょう」

「同盟に反して同盟国を襲えば、他国からどう見られるのかは必至だな」

「それだけではありません。たぶん、そのようなことをすれば、ルウェルハスト国はモルディア国が脅威だと判断し襲って来たでしょう?」

「……否定はできない」

「わたしがどう動こうと戦になっていたのです。ならば、わたしは自国民を守りつつ戦の終結を待つ方が利があると判断しました。違いますか?」

「間違ってない。……だがそれにより、失われた命もある」

「マグドネル国側に至っては自業自得です。ルウェルハスト国に対しては……申し訳なかったとは思いますが、わたしはモルディア国の王女です。殿下がわたしの立場であれば、自国民を犠牲にしてまで他国を守ろうとしますか?」

「するはずがない。……理解できた」


 降参するように両手を上げて、ルーファスは息をついた。


「俺も大切なものを失った。だから、お前に対しても思うところがないわけではない。お前ほどの力があれば、被害を最小限に抑えて戦を終結さえることは可能だったと思うしな。ただ、お前の言い分も理解できる。……お前の死を利用し、マグドネル国に再び戦を仕掛けようとしたことについては謝罪しよう。許せとは言わんがな」


 今度は、意外そうに目を見張るのはヴィオレーヌの番だった。

 ルーファスがヴィオレーヌの表情を見て、ムッとしたように口端を曲げる。


「なんだ」

「いえ……。謝るとは、思っていなかったので」

「俺だって謝罪くらいできる」


 そういう意味ではなかったのだが、まあいい。


(もっと、疎まれていると思っていたわ)


 疎まれているのは間違いない気がするが、謝罪したということは、ルーファスはヴィオレーヌが思っていた以上にこちらに歩み寄ろうとしてくれているのだろうか。


「俺の話はいったん終わりだ。もっと訊いてみたいことはあるが、訊ねたところで今の俺には教えてもらえんだろうしな。それで、お前の話とは? ああ待て、喉が渇いた」


 ルーファスが一度立ち上がり、天幕の中から酒の入った瓢箪を持って来た。ちゃぷちゃぷと揺らしながら「飲むか?」と訊かれたので頷くと、コップに三分の一ほど入れられて手渡される。

 ルーファスも同じくらいコップに酒を注いぎ、彼が口をつけるのを見た後でヴィオレーヌは恐る恐る口をつけた。


 酒は乳白色で、少しとろりとしていた。ヴィオレーヌは見たことのない酒だ。

 ルーファスが勢いよく飲み干したのを見るに、それほど酒精も強くないのだろうと口に入れたヴィオレーヌは、けほっと大きく咳き込んだ。


「なっ、何ですかこれは!」


 ほんの少し口に含んだだけで、喉の奥が焼けるように熱くなり、顔に熱がたまった。


「口にあわなかったか?」

「そ、そうじゃなくて……!」


 酒自体は少し甘みがあって美味しいと思うが、呑気に味わっていられるような酒ではなかった。強すぎる。とてもじゃないが、コップに残っている分を飲み干せそうにない。

 喉を押さえて涙目になりながら文句を言えば、ルーファスが目を丸くした後でぶはっと噴き出した。


「は、はは! そうしていると魔女も普通の人間の女だな!」


 どうやら普通の人間でないと思われていたらしい。

 ムッとすると、ルーファスが無造作にヴィオレーヌの手からコップを奪い取った。

 残っていた酒をぐいっと煽った後で立ち上がり、空になったコップに水を入れて戻って来る。


「ほら、水だ。飲んでおけ」


 素直に受け取って水を飲んだヴィオレーヌは、そこで、このコップにルーファスも口をつけたことを思い出して真っ赤になった。

 ルーファスが不思議そうな顔をする。


「なんだ? たったあれだけで酔ったのか?」


 酔ってはいなかったが、酔いが回りそうだ。


 コップに残った水を見下ろして、ヴィオレーヌは残りも飲むべきかどうするべきか、途方に暮れた。




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