モルディア国の聖女 5

 意を決して水を全部飲み干して、ふるふると顔を横に振って顔に溜まる熱を発散させたのち、ヴィオレーヌは改めてルーファスに向き直った。


「わたしが知りたかったのは、王宮でのわたしの扱いがどうなるのかということです」

「どう、とは?」


 きょとんとした顔をされて、ヴィオレーヌは逆に驚いた。


「どうとはって、わたしはルウェルハスト国の王宮でどうなるんですか?」

「どうなると言われても、お前は俺の正妃として嫁いで来たんだから、そのような扱いになるだろう。他に何がある」


 ヴィオレーヌを殺そうとしたくせに、やけにあっけらかんと答えてくれるものである。

 捕虜のように扱われるか、王宮に部屋を賜ったところで幽閉と変わらない扱いになると予想していたヴィオレーヌは目を丸くした。


「正妃、として遇されるんですか?」

「正妃なんだからそうだろう?」

「……捕虜のように扱われると思っていました」

「さすがに、終戦後の和平協定のために嫁いでくる姫を捕虜にはできん」

(殺そうとしておいてよく言うわ)


 だが、それとこれとは別の話ということか。

 ヴィオレーヌの死を皮切りに戦を起こそうとしていたルーファスだが、それが失敗に終わった今、次の作戦を考えているわけでもなさそうだった。


「……あの、マグドネル国の騎士や侍女を全滅させましたよね。あれはどうするつもりですか?」


 訊ねると、ルーファスはついと視線を逸らした。


「け、獣に襲われたことにする。聞けば、すでに獣に食い散らかされていたらしいしな」


 ずいぶん強引な手だが、ルーファスが兵に命じて襲わせたとわかればそれはそれで問題だ。何も言ってこないようならそのまま強引に押し通せばいいだろう。兵士やヴィオレーヌが口裏を合わせれば疑う者も少ないと思われる。

 つまり、奇跡的に生き残ったヴィオレーヌを連れて王宮に戻り、当初の予定通り正妃として遇する、というのがルーファスの結論らしい。


「では、わたしの自由はどこまで認められますか?」

「なんだ、出歩く予定でもあるのか?」

「そういう意味ではないです」

「何が言いたいのかはよくわからんが、別に部屋に閉じ込めておこうとは思っていない。常識の範囲内で好きにすればいいだろう。ルウェルハスト国での常識がわからんのなら、何かする前に俺に聞けばいい」

「そう、ですか」


 拍子抜けするほどあっけない答えに、ヴィオレーヌの肩から力が抜ける。

 すると、ルーファスはにやりと笑った。


「お前は、予想以上に使い勝手がよさそうだからな。思うところはもちろんあるが、使える人間は嫌いじゃない」

「……大人しく使われてやるつもりはございませんが?」

「お前はルウェルハスト国の王太子妃だ。ルウェルハスト国のために働くのは当然だろう?」


 いったい何をさせるつもりなんだと警戒していると、ルーファスがおかしそうに笑う。ルーファスは確か二十歳だが、笑うともう少し幼く見えた。


「別に戦を起こそうというんじゃない。警戒するな。それに、お前がおとなしく俺に従うとも思っていない。力づくで言うことを訊かせようとは考えていないから安心しろ。――だが」


 ルーファスはそこで表情を引き締めると、じっとシルバーグレイの瞳をこちらへ向けた。


「俺以上に、マグドネル国やモルディア国に対して恨みを抱いている人間は多い。お前の周りは敵だらけだ。そして俺もお前をかばってやろうとまでは考えていない。まあ、俺の命の問題もあるからな、死なないようには見張りをつけておくが、基本的に俺の助けはないと思え」


 さすがに、そこまでは期待していない。

 多少歩み寄りを見せていても、ルーファスはヴィオレーヌに心を開いたわけでも、これまでの恨みが晴れたわけでもなかろう。むしろ彼に心を許すほうが危険だ。


 今日のところは、王宮でルーファスの正妃として扱われ、それなりに自由がありそうだとわかったところでいいだろう。

 細かいことを訊いたところで、この場で判明するわけでもない。

 誰かに守られずとも、ヴィオレーヌは己の身は己で守れる。

 ヴィオレーヌはこの国に幸せになるために来たわけではなく、モルディア国の平穏のために来たのだから。


「話は終わりか? ではそろそろ休むぞ。明日も早いからな」

「わかりました」


 コップを片付けて天幕を出ようとしたヴィオレーヌは、「待て」と呼び止められて振り返る。

 ルーファスが怪訝そうな顔をしていた。


「どこに行く。お前の天幕は俺と同じでここだ」


 枕が二つ並んでいるだろうと言われて、ヴィオレーヌは硬直した。




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