駆けつけてきた黒猫 2

「ミランダが侍女になったんですって? 安心したわ」


 王妃ジークリンデの部屋には、初夏のフルーツを使ったケーキが並べられていた。

 お茶会と言っても、ジークリンデとヴィオレーヌの二人だけだ。今日はルーファスの側妃の二人は呼ばれていない。


 聞けば、ジークリンデはルウェルハスト国の属国の一つである小国フレイジア国の姫らしい。

 フレイジア国がルウェルハスト国の属国に下る際に人質同然で嫁いで来たそうで、ゆえにルウェルハスト国内では王妃でありながら軽んじられる傾向にあるという。後ろ盾が属国の小国で、本人の性格もおっとりしているため周囲に舐められるのだろう。


 ただ、おっとりした性格が幸いしてか、穏やかな気性の国王とはうまくいっているようで、国内の煩わしい問題がなければそれなりに幸せなのだと言っていた。

 ただし、ルーファスとクラーク、二人の王子の生みの母が王妃でありながら立場の弱いジークリンデのため、特にファーバー公爵家のような権力のある家が相手だと強く出られないのが悩みの種だそうだ。


「その点、ヴィオレーヌはモルディア国とマグドネル国の二国が後ろ盾で、さらに魔術も使えるでしょう? あなたのような人がルーファスに嫁いでくれてよかったわ。ミランダが侍女についたとなればオークウッド侯爵家のバックアップも受けられるでしょうし」


 バックアップどころかがっつり金儲けに関わっているとは言えないので、ヴィオレーヌは曖昧に笑ってやり過ごした。


「それに……ふふっ、あなたが物おじしないタイプでよかったと思っているの」


 くすくすとジークリンデが笑い出したので、もしかしたら、先日の朝食の席でのことを思い出しているのかもしれない。

 ヴィオレーヌがやり返したからか、あれ以来食事は普通のものが出てくるようになった。また魔術で交換されてはたまらないと思ったらしい。おかげで安心して食事が摂れているが、アラベラからの視線が痛いには痛い。


(そういえば、アラベラがやけに静かなのよね)


 部屋の中を荒らしたり朝食で嫌がらせをしたりした割に、あの朝食のあとからアラベラはこれと言った嫌がらせをしなくなった。

 廊下ですれ違ったときに睨まれたり嫌味を言われたりするが、その程度だ。

 ジョージーナやルーシャは、嫌味を言われるたびにピリピリしているが、まだ爪も尖っていない猫の子どもが喚いているだけのようなものなのでまったくと言って実害はない。


 ジークリンデとのお茶会は、よそ者同士仲良くしてね、という穏やかな雰囲気で終わった。

 ルーファスからも、できればジークリンデを立ててほしいと言われているので、それとなくサポートしようとは思っている。


(嫁いで来た妻を殺そうとしたルーファス殿下の母親とは思えないほどのんびりした方だけど……、逆にジークリンデ様がおっとりしているからルーファス殿下が尖ったのかしら?)


 この推測はあながち間違っていない気がした。

 今は、現王の側妃はいないけれど、側妃が問題を起こしていなくなるまでは二人の側妃がいたという。ジークリンデが側妃たちに狙われないように、ルーファスは必死に守っていたのかもしれない。


 そう考えると、ルーファスもなかなかいいところがあるように思えてきた。

 まあ、殺されそうになった――というより一回目の人生では殺された――恨みが完全に消えることはないだろうが、今の状況ではうまくやっていけそうな気がする。


(だからこそ問題は……夜ね)


 今夜、ルーファスはヴィオレーヌに部屋に来ると言った。つまり、泊るということだ。


 夜に夫が部屋に訪ねてきてそのまま泊まると言われて、理由がわからないほどヴィオレーヌは子供ではない。

 マグドネル国を立つ前に閨についても教わったし、いよいよそのときが来てしまったという感じだ。


 妃として嫁いで来た以上、一番大きな仕事は子をなすことである。

 側妃もいるが、正妃に子ができる前に側妃に子ができればトラブルのもとになりかねない。ましてや、アラベラの方に子ができたりしたらそれこそファーバー公爵家の圧力がすごそうだ。

 ルーファスとしてもそれは避けたいだろうし、かといってリアーナの方と仲がいいのかと思えば、どうもそういうわけでもなさそうだ。リアーナの方はリアーナの方で、お互いに無関心という感じがする。


 ヴィオレーヌが王宮に来てからルーファスが側妃の部屋に通ったという情報はないので、二人を側妃に迎えたのは政治的な問題からなのかもしれない。

 もしヴィオレーヌに子ができなければ、恐らくルーファスはリアーナとの間に子を作る選択をするだろうが、正妃に子ができるか試してみる前にそちらと子を作ることは彼の性格上なさそうだ。


(あー……)


 せめてもっと前から言ってくれれば、心の準備ができたのに。

 嫁いだ以上、嫌だと騒ぐつもりはないが、あまりにも急すぎた。


(いえ、急じゃないわよね。わたしがここにきてもう一週間は経っているし……、待って、くれていたのよね)


 一週間あって心の準備をしていなかったヴィオレーヌの方に問題があったのだ。何も考えていなかった。というかお金問題をどうにかすることしか考えていなかった。嫁失格だ。

 これはどうあっても避けられないと悟ったヴィオレーヌは、内心かくりとうなだれながら自室へ戻る。

 王妃の部屋に一緒についてきてくれていたミランダとともに自室へ戻れば、部屋の中でジョージーナとルーシャが追いかけっこをしていた。


「何をしているの?」


 真坂部屋の中で鍛錬でもしているのだろうかとギョッとする。

 ヴィオレーヌに気づいたジョージーナとルーシャが、ハッとして振り返った。


「お帰りなさいませヴィオレーヌ様。申し訳ございません、今追い払いますので!」

「はい?」

「開けていた窓から入って来たんです。ここは二階なのに、外壁を登って来たのでしょうか。本当にもう、すばしっこいったら! あっ、こら! シャンデリアの上に乗るなーっ!」

「え――って、えええええええ⁉」


 何のことだと思いながら二人の視線を追ったヴィオレーヌは、シャンデリアの上にいた「それ」を見つけてあんぐりと口を開けた。


「師匠⁉」

「そう、ししょ……え?」

「師匠? え?」


 鞘に入ったままの剣を天井に向かってぶんぶん振り回していたジョージーナとルーシャが、大きく瞠目してヴィオレーヌを振り返った。


「師匠? 師匠って、え? この猫が⁉」

「黒猫ですよ⁉」


 二人がシャンデリアを指さして叫ぶ。

 ミランダが面白い見世物を見つけた顔になって、シャンデリアの上でくつろいでいる黒猫を見上げた。

 黒猫は器用に後ろを組んで、ヴィオレーヌに向かって右の前足を振った。


「久しぶりじゃのぅ、元気じゃったか?」


 あちゃー、とヴィオレーヌは額に手を当てた。


「久しぶりじゃのぅ、じゃないですよ! 自由気ままな旅に出るっていなくなったくせに、いったいここで何をしているんですか‼」


 そう――ヴィオレーヌに魔術を教えてくれた師アルベルダは、ヴィオレーヌが十一歳の時に人間だった生を終えた。ヴィオレーヌと出会った時点で高齢だったから、それは仕方がない。が、何を思ったか、アルベルダは人間の生を終えた瞬間、ちょうど出産していた猫の子の一つにその魂を宿してしまった。出産に時間がかかって、最後の子猫が生まれた瞬間に命を落としたらしく、ちょうどいいからと言って猫になってしまったのだ。

 アルベルダが使ったのは禁術の一つで、命を落とした直前の人間、もしくは動物がいなければ発動できないものだったのだが、運よくその対象を見つけた彼は迷わず猫になってしまったというわけだ。


(普通、あっさり猫になったりしないわよねえ?)


 そう思うものの、本人は満足そうだったし、猫になったとはいえアルベルダとまだ一緒にいられるとわかって嬉しかったのも本当だ。

 アルベルダは子猫の体が大人になるまでヴィオレーヌのもとでごろごろしながら過ごして、そしてふらりと旅に出てしまった。元気にしているか心配していたのだが、この様子だと心配する必要はなかったかもしれない。


 黒猫――アルベルダが、ぴょんっとシャンデリアの上から飛び降りる。

 がちゃがちゃとシャンデリアが揺れるのを、落っこちてこないだろうかと不安に思いながら、ヴィオレーヌはアルベルダに向き直った。


「よくここがわかりましたね」

「弟子のいる場所くらいわかるぞぃ。異国に嫁いだ弟子が心配で来てやったんじゃ、感謝して飯の一つくらい用意してほしいものじゃのぅ」

「……つまりお腹がすいて来たんですか」

「残飯を食い漁るのに飽きたんでな」


 はあ、とヴィオレーヌはため息を吐く。

 自由気ままな旅にはもう飽きたらしい。この様子だとここに居座る気満々だ。

 猫になっても高名な魔術師には変わりないし、幼いころから面倒を見てくれていた師匠でもあるので、アルベルダが一緒にいてくれるのは嬉しいが、王宮は猫を飼ってもいいのだろうか。

 ミランダがくすくす笑いながら、軽食を用意させましょうと、メイドを呼んで指示を出してくれる。

 軽食が運ばれてくると、アルベルダがソファにふんぞり返るように座った。


「猫が二足歩行したり、人間みたいに座ってる……」


 ルーシャが奇妙なものを見る目でアルベルダを見た。

 両前足でサンドイッチを掴んでもしゃもしゃと食べはじめたアルベルダは、しばらく食べ物に夢中になっているだろう。


「ミランダ、王宮って猫を飼ってもいいのかしら?」

「いいと思いますよ。あとでわたくしのほうで申請を出しておきます。……ですので、ヴィオレーヌ様はあちらへ。今週の納品分をお願いします」


 お茶会が終わったんだからポーションを作れと、ミランダが窓際の机に手のひらを向けた。

 机の上にはポーション用のガラス瓶が三十本ほど置いてある。

 出窓に置いたプランターには、ヴィオレーヌの魔術で大きく成長した薬草が、ちょっと窮屈そうなくらいぎゅうぎゅうに植わっていた。

 何かしていたほうが今日の夜のことを考えなくてすむので、ヴィオレーヌは言われるままに薬草を摘み取って机に向かう。


 ミランダに水を用意してもらって、その中に薬草を入れると、魔術で薬草の成分を抽出し、ポーションを作っていく。

 ポーションは薬草の成分を抽出して作るが、抽出しただけでは作れない。魔術で溶けだした成分を調整し、合成し、さらには魔力も込めて置かなけばならないので、並みの魔術師では数本分を作れば疲れてしまうだろう。


 が、母の加護のおかげで規格外のヴィオレーヌには、ノルマの三十本を作ろうとまだまだ余裕がある。

 せっせとポーションを作って瓶に詰めていくと、ミランダが翡翠色の瞳をきらきらと輝かせて出来上がったポーションを箱詰めしていく。


「金貨が一枚、二枚、三まーい。うふ、うふふふふ」


 ミランダが変な歌を歌いはじめた。

 そんなミランダにジョージーナとルーシャがドン引きしている。


(……変わった侍女……いえ、変わった侯爵令嬢ね)


 ルーファスが、気を付けておかないと金儲け一択になると忠告した理由がわかった気がした。


 ミランダと、そして先ほど突撃してきたアルベルダのおかげで、ルウェルハスト国での生活は、思いのほか濃いものになりそうな嫌な予感がしてきたヴィオレーヌだった。





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