聖女の出陣 6

「やりすぎだろう……」


 森の中に突如として現れた深い深い穴の中に、先ほどまで目の前にいた兵士が全員吸い込まれて見えなくなった。

 唖然とそれを見ていたルーファスは、こめかみを抑えてそっと息をつく。


 圧倒的。

 もう、この一言に限る。


 ルーファスの、容赦のない妃は、きょとんとした顔で首をひねった。


「え? でも、落としただけですよ?」


 燃やしたのでも切り刻んだのでもないのだからむしろ優しい方だろう、と言いたそうな顔だが、ルーファスは騙されない。

 重たい鎧を着こみ、武器を手にした男たちを穴底に落としたのだ。おそらく、それだけで半数以上が息絶えたのではなかろうか。


(気づいていないのか? ……言わぬが花というやつだな)


 当人は本当に無邪気に敵兵を穴の中に閉じ込めたつもりでいるのかもしれない。ここは紳士らしく、黙っておくのが得策だろう。

 穴に落とされ、風で吹き飛ばされ、マグドネル国軍が次々に戦意を喪失していくのが見える。

 モルディア国がマグドネル国へ攻め入ったこともあり、この場にいるマグドネル国軍の兵たち全員が戦意を喪失するのは時間の問題だろうか。


「殿下、あの人、見たことがあります。確かオブライアン将軍です」

「誰だそれ?」

「マグドネル国の騎士団のトップですよ。ほら、あの頭頂がちょっと寂しい感じの」

「言ってやるな、そういうことは……」


 女よりも男の方が禿げやすいんだぞ、とルーファスはつい情けない声を出した。

 もしかしてこの先年を取って頭頂が寂しくなったら、ヴィオレーヌに指摘されるのだろうか。それは嫌だ。


「だが、誰がオブライアン将軍かはわかった。するとつまり、あれが総指揮官だろうな」

「そうだと思います。ということは、オブライアン将軍が降伏すれば、全員降伏しますよね」

「たぶんな」


 ルーファスが答えるや否や、ヴィオレーヌがふわりと繊手を振った。

 動きは柔らかだが、その直後に巻き起こった突風はえげつないものがある。

 うわあ、とか、ぎゃあ、という悲鳴を上げながら目の前にいる敵兵たちが次々に突風にあおられて吹き飛ばされ、森の木々や仲間にぶつかって意識を飛ばした。


(あれ、たぶん死んでいる人間も結構いそうだな……)


 これも、黙っておいた方がよさそうである。

 やっていることは容赦ないが、ヴィオレーヌは優しい女だ。相当数の敵兵の命を奪ったと知れば、魔術を使うのに躊躇いが生じるかもしれない。


(というか、俺の出番はまったくないな)


 ルーファスどころではない。

 兵士や騎士たちも、倒れている敵兵の捕縛以外にすることがなく、途方に暮れている感すらあった。


 たった一人。

 それだけでマグドネル軍の二万の兵士を圧倒するつもりなのだろうか。


 さすが妃に美味しいところを全部持っていかれるのはどうかと思うが、張り合ったところで無駄だろう。

 仕方ないので、ルーファスは自分のすべきことをする。


「降伏せよ‼ さもなければ、この場にいるもの全員、命がないものとを思え‼」


 ヴィオレーヌの圧倒的な力を目にしたのだ。

 マグドネル国軍はもはや戦意を喪失しているはずである。

 ルーファスの声に、大勢の兵士たちが武器を捨てて行った。

 だが、さすが総指揮者と言うべきか、オブライアン将軍だけはまだぎゅっと剣を握り締めてこちらを睨んでいる。


「オブライアン将軍、穴に落としますか?」


 つ、とヴィオレーヌがオブライアン将軍に視線を向けて、何でもないことのように言った。

 ルーファスは即座に首を横に振る。


「やめろ。指揮官は生かして捕らえたい。聞きたいことがたくさんあるからな」

「穴に落とすだけですけど……」

(だから、当たり所が悪かったら死ぬんだ。鎧は重たいんだぞ)


 ヴィオレーヌは身軽な格好だから知らないのだろうが、あんなものを着て数メートル下に落とされたら死んだっておかしくないのだ。

 生きていたとしても、穴から引きずり上げるのが面倒くさい。

 じゃあ吹き飛ばすかどうするかと言い出しはじめたので、ルーファスはヴィオレーヌが下手なことをする前に、もう一度声を張り上げた。


「もう一度言う‼ 降伏せよ‼ これは最後の忠告だ‼」


 頼むからヴィオレーヌがこれ以上張り切る前に降伏してくれ。

 そんなルーファスの願いが通じたのかどうなのか、オブライアン将軍が、カランと武器を捨てた。





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