聖女の出陣 5
マグドネル国軍の総指揮を執っていたオブライアン将軍は、目の前で何が起こっているのかを正しく判断できなかった。
本国からモルディア国がマグドネル国に攻め入ったという報告を受け、ただちに引き返せと命令が下った直後、それは起こった。
引き返せと言われてもどうしろというんだと頭をかきむしり怒鳴り散らしたオブライアン将軍は、しかしながら命令は絶対だと撤退指示を出そうとしたところで、今度は前方からルウェルハスト国の王太子が率いる軍が攻めてきたと報告を受けたのだ。
いや、それだけではない。
王太子ルーファスの隣には、紫がかった銀髪をなびかせた美少女が控えており、彼女の操る魔術で前線に展開していた三つの中隊のうち二つが一瞬にして壊滅したというのである。
一つの中隊の兵士の数は千。つまり、二千の兵士が、一人の少女が操る魔術によってなすすべなく地に伏したのだ。
そんな話、信じられるはずがなかった。
「何だ。何が起こっている⁉」
マグドネル国軍には動揺が広がり、オブライアン将軍がいくら落ち着けと怒号を飛ばしても、動揺と恐怖が感染した彼らは狼狽え右往左往とするばかりである。
とにかく急ぎ情報を集めろと叫んだ矢先、前線の残る一個の中隊も潰されたと連絡があった。
彼らは皆、突如として地面にあいた巨大な穴の中に落ち、這い上がることもできずに命を落とすなり捕縛されるなりしていると言う。
「もういい! 俺が出る‼」
次々に部下から届けられる報告では、オブライアン将軍は理解が追いつかない。
いっそこの目で確かめると前線へと向かったオブライアン将軍は、ルーファス王太子と肩を並べて崖の上にたたずむ女を見た。
(あれは……ヴィオレーヌ王女⁉)
モルディア国からマグドネル国王の養女となるべく連れてこられたヴィオレーヌ王女を、オブライアン将軍は知っていた。直接話したことはないが、顔ならば何度も見たことがある。
あれほど顔立ちの整った美しい少女だ。間違えようがない。
(ちょっと待て、では、魔術師というのは――)
オブライアン将軍の目の前で、ヴィオレーヌが細くしなやかな手を、まるで舞でも舞うかのようにふわりと振った。
その途端、あたりに突風が巻き起こり、兵士たちが次々と吹き飛ばされていく。
「くっ!」
咄嗟に木の陰に隠れて幹を掴み、吹き飛ばされるのを防いだオブライアン将軍は、あたりに広がる惨状に絶望した。
吹き飛ばされ、気を失った兵士が、折り重なるようにして倒れている。
「……あり得ない」
オブライアン将軍のつぶやきは、その場にいた、意識のある者たち全員の心を代弁していたと言えよう。
あり得ない。
なんだあの化け物は。
「降伏せよ‼ さもなければ、この場にいるもの全員、命がないものと思え‼」
ルーファス王太子のよく通る声が響き渡る。
たった、少女一人。
されど、その圧倒的な力の前に、味方が一人、また一人と戦意を喪失し、武器を捨てた。
オブライアン将軍は、ぐっと奥歯を噛む。
マグドネル国軍を率いるものとして、自分は、自分だけは、決して武器を捨てるわけにはいかないのだ。
「魔術師は……、魔術師はどうした‼ 連れてきていただろう‼」
「そ、それが……、全滅しました」
側にいた兵士の一人が、泣きそうな顔で答えた。
「何⁉」
「全滅、しました。つい先ほど……」
ひゅっ、とオブライアン将軍の喉が引きつったような音を立てる。
バッと崖の上を見上げると、ヴィオレーヌの綺麗な漆黒の瞳がオブライアン将軍の目を捕らえた、かのように見えた。
じっと、こちらへ注がれる視線。
ああ――、絶対的な強者の視線だと、オブライアン将軍は思った。
あれには逆らってはならない。
逆らったところで、ただの人間にはどうすることもできないのだから、と本能が告げる。
「もう一度言う‼ 降伏せよ‼ これは最後の忠告だ‼」
ルーファスの声が朗々と響く。
カラン、とオブライアン将軍の手から、剣が転がり落ちた。
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