聖女の出陣 3
足場の悪い雪道を、二か月かけてダンスタブル辺境伯領へ到着したときには、王都では春の訪れが感じられる頃だったが、ルウェルハスト国の最北端に位置するこの地は、まだ深い雪に覆われていた。
ヴィオレーヌがルウェルハスト国に嫁いで、もうじき一年が経とうとしている。
もう四か月以上、マグドネル国軍とファーバー公爵軍の侵略に耐えていたダンスタブル辺境伯領の兵士たちは、大勢が負傷したようだが、幸いにして、ヴィオレーヌが作って届けた改良版ポーションのおかげで、大きな被害は出ていないそうだ。
「ヴィオレーヌ様、それから援軍を送ってくださった王家の方々には、深く御礼申し上げます」
到着して早々辺境伯城の玄関で出迎えた辺境伯夫妻が深々と頭を下げるのを、ルーファスが手をかざして止める。
「よく持ちこたえてくれた。こちらも礼を言いたいが時間が惜しい。先に状況の確認をさせてくれ」
「かしこまりました。会議室を用意しております。こちらへ」
ダンスタブル辺境伯について会議室へ向かうと、そこには王都からの第一陣とともに辺境伯領に戻っていたアルフレヒトの姿もあった。
アルフレヒトにも目立った怪我はないようだ。
「ヴィオレーヌ様、殿下、ご足労を……」
「アルフレヒト、挨拶はあとでいい。戦況は?」
「は!」
ルーファスが訊ねると、アルフレヒトは立ち上がって敬礼し、説明をはじめた。
「現在、確認できている数でマグドネル国軍の兵おそよ二万、ファーバー公爵軍の兵、およそ八千ほどです。ファーバー公爵軍の兵は、近隣の領地の連合軍で足止めをしてもらっています。マグドネル国軍の兵は、我が領内の兵と、王都から派遣くださった兵や騎士とともに対応中です。ただし、向こうの数が多いため、こちらから仕掛けるようなことはしておりません」
「そうか。だが、防戦一方だと疲弊するな。隙を見つけて打って出たい」
ルーファスの意見に、アルフレヒトや辺境伯が頷く。
辺境伯の長男は、現在、兵士を指揮するために外にいるそうだ。
(マグドネル国の兵士が二万と言うことは、結構な数を動員してきているわよね?)
先の戦争で大勢の死者を出したマグドネル国だ。二万の兵士を導入したと言うことは、国内の守りに最低限の人数だけを残し、残りの兵すべてを侵略のために動かしたと考えていいのではあるまいか。
いくら何でも体当たりすぎる気がするが、逆を言えばそれだけ勝負をかけてきたと言うことだ。
ファーバー公爵軍の協力もあるため、ダンスタブル辺境伯領は簡単に落とせると思っていた可能性もある。
そうであるなら、ヴィオレーヌの改良版のポーションと、それから兵士たちにかけた加護がなければ落とされていた可能性もあるので、あながち読みは外れていないだろう。
マグドネル国やファーバー公爵にとって、ヴィオレーヌこそが想定外の因子だったということだ。
ならばその想定外の因子であるヴィオレーヌが動けば、もっと混乱させることが可能だろう。
「殿下、攻めに転じるなら、わたしが出ます」
「お前はまたそんなことを……」
「防衛のための兵士の数は減らさない方がいいでしょう? わたしと、数人の護衛とで、マグドネル国軍の一角を落とせば、あちらも混乱して攻め入りやすくなるはずです」
「だからと言って、総勢二万だぞ? 行かせられるはずがないだろう。いくらお前が強くても二万は無理だ」
一度では無理でも何度か繰り返せばある程度数は減らせると思う。
数が減れば、ダンスタブル辺境伯軍および王都から派遣した兵士たちで総攻撃も可能になるだろう。
戦略には明るくないが、単純計算では悪くない作戦だと思うのだが。
「お前を行かせるにしても、マグドネル国の兵たちを分散させてからだ。今の状態では一方を襲っているうちに挟み撃ちにされるぞ。せめて半分はほかで注意を引き付けておきたい。それから、お前と少人数の護衛だけで動くのは却下だ。出るなら俺も出るし、それなりの数の兵をつれていく」
「少数の方が動きやすくありませんか?」
「小回りはきくだろうが、何かあった時に対応ができない。少なくとも今の戦況では許可できない」
そういうものなのだろうか。
ヴィオレーヌは渋々頷いた。結構いい案だと思ったのに。
「お前はちょっと性急すぎるぞ」
「悠長に構えていて他に被害が出るよりいいじゃないですか」
「それでお前が怪我をしたらどうするんだ」
(別にいいのに)
自分が血を流しても、それで大切なものが守れるならヴィオレーヌは迷わない。
だがそれを言うとルーファスが怒る気がしたので、ヴィオレーヌは反論せずに黙っておいた。
ヴィオレーヌの「わたしが出る」という意見は無視されて、ルーファスとアルフレヒト、それから辺境伯の間で、作戦会議が進められていく。
自分の力を過信しているわけではないが、それでもヴィオレーヌが出ることで被害が食い止められるなら出た方がいいと思うのに、とちょっと納得いかない気分でそれを見守っていると、突然、目の前に光の玉が飛んで来た。
「な⁉」
「なんだ⁉」
ルーファスや辺境伯が驚愕し声を上げる中、光の玉はふよふよとヴィオレーヌのそばまでやって来る。
「落ち着いてください。知り合いからの魔術の手紙です」
「魔術の?」
「手紙?」
魔術師でない彼らには見慣れない光景だったようで、誰もが不思議そうな顔をしている。
魔術の手紙は、魔術師同士でないとやり取りできないものではあるが、遠い距離でも瞬時にやり取りできる優れものだ。
(この気配は、師匠からね)
アルベルダは秋の終わりにふらりとどこかへ出かけて行った。
しばらく音沙汰がなかったが、手紙を送って来たということは何かあったのだろうか。
ヴィオレーヌが光のために触れると、光は姿を変えて一通の手紙に変わる。
猫がどうやって手紙を書いたのだろうかと封を切って確認してみると、手紙の差出人はアルベルダではなく、モルディア国の父からだった。父の手紙をアルベルダが飛ばしたのだろう。
「殿下」
手紙の中身を確認し、ヴィオレーヌは手紙をルーファスに渡した。
ルーファスが目を見開き、そして顔を上げた。
「作戦変更だ! モルディア国がこちらの味方に付く!」
手紙には、モルディア国がマグドネル国との同盟を破棄し、ルウェルハスト国に味方すると書いてあった。
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