森の中の戦い 4

 ピーッと甲高い笛の音がした。


(合図だわ!)

「行くぞ!」


 ヴィオレーヌが笛の音を耳にした直後、ルーファスが声を上げる。


「作戦通りに! 一人も逃がすな‼」

「御意‼」


 騎士や兵士たちが大きく声を上げ、茂みから飛び出すと剣を手に勢いよく走り出した。

 ヴィオレーヌとルーファスはここから別行動だ。

 魔術が使えるヴィオレーヌは先回りして北西の崖へ向かい、追い詰められて崖に集まる残党兵を捕縛するために待ち構えておくのである。

 日の落ちた暗い森の中を駆けるので、ヴィオレーヌは自分とルーファスの目に魔術をかけて視力を強化しておく。こうしておくと、暗い中でもはっきりと見えるのだ。


「一人残らず捕らえる。殺すことはあっても絶対に逃がすな」

「わかりました!」


 ルーファスは今日この場で残党兵を殲滅するつもりなのだ。

 もちろん、ヴィオレーヌにも異論はない。

 モルディア国を再び戦禍に巻き込む可能性のあるモルディア国の残党兵に、情けをかけてやる必要はどこにもないからだ。


 北西の崖まで到着すると、ヴィオレーヌは崖を背にして立った。

 ルーファスがヴィオレーヌの少し前に立ち、剣を構える。

 ヴィオレーヌは剣を抜かない。

 これは正々堂々の決闘ではなく殺し合いだ。ならば剣ではなく得意な魔術で対応するのが一番いい。

 何より、ルーファスは「殺すことはあっても絶対に逃がすな」と言った。


(尋問にもかけたいのだろうから、最優先は生きて捕縛だけど、捕縛できそうになかったら容赦はいらない。……絶対に逃がすわけにはいかないから)


 ならば魔術の方が効率がいい。捕縛するにしても、息の根を止めるにしても。

 周囲に神経を張り巡らせながら、ヴィオレーヌはちょっと自嘲した。

 一度目の人生と比較すると、ずいぶん血なまぐさい王女になったものだ。いや、結婚したから妃か。


(一度目の人生では、血を見るだけで震えてたなんて言っても、きっと誰も信じてはくれないでしょうね)


 剣を持ち、魔術を使い、ヴィオレーヌは戦うことを選んだが、別に戦うことが好きなわけではない。

 血を見なくてすむならそれに越したことはないし、可能であれば平穏な人生を送りたいとも思っている。


 けれど、大切なものと自分の人生を天秤にかけたとき――、ヴィオレーヌの天秤はあっさりと大切なものの方に傾く。

 大切なモルディア国を守るために人生をかけると決めたのだ。

 一度決めたら迷いを見せてはならない。――義祖父からそう教わった。

 人を殺め、この手が真っ赤に染まることがあっても、ヴィオレーヌは迷わないし止まらない。そう決めている。


 それなのに――


「ヴィオレーヌ」


 背中を向けたまま、ルーファスがヴィオレーヌの名を呼ぶ。

 何かの指示かと思って「はい」と返事をすると、彼が肩越しにちらりと振り返った。


「お前はそこで支援と捕縛に専念しろ。俺が危なくなったら話は別だが、俺が対応できているうちは、お前は前に出なくていい」


 逃がすくらいなら殺せと言った口で、支援に徹していろと言う。

 ヴィオレーヌが目を瞬くと、ルーファスがちょっと笑った。


「お前の魔術は期待している。だが……、お前に重荷を背負わせたいわけじゃない」


 重荷とはすなわち、命のことを言っているのだろうか。

 人の命を――人を殺めて、その命を背負わなくていいと、ルーファスはそう言っているのだろうか。


「……いまさら、ですよ」

「それでも、増やさなくていいならそれに越したことはないだろう?」


 そうして、ヴィオレーヌの分も彼が背負うというのだろうか。

 なぜ――


(この人は、わたしが憎いはずなのに)


 死ぬなというのならわかるのだ。ヴィオレーヌとルーファスの命はつながっているから、ヴィオレーヌが死ねばもれなくルーファスも死んでしまう。

 だが、今の言葉はそれとは違う。つながっている心臓にはまったく関係のない言葉だ。

 ただ単に、ヴィオレーヌを気遣い、守ろうとするような言葉。

 胸の奥が、締め付けられるように痛い。


 ルーファスの真意がわからず瞳を揺らして彼の背中を見つめていると、ルーファスが低い声を出した。


「来るぞ」


 その声にハッとする。

 ここは戦場だ。

 動揺している暇はない。

 遠くで響いている怒声や剣戟の音とは別の、複数人の足音がだんだんと近くなっている。

 騎士や兵たちはうまく残党兵を崖に誘導することに成功したのだろう。

 さがさがと茂みを揺らす音がして、数名の男が姿を現した。


「くそっ! ここにもいるのか!」


 男の一人が舌打ちして「やああああああ!」と大きく声を上げて、太刀のような大きな刀を振りかぶってルーファスに襲い掛かった。

 ルーファスが男と切り結ぶ。

 ヴィオレーヌは即座に魔術を展開させて、他の男たちに風の塊をぶつけて吹き飛ばした。

 何人かがぶつかった衝撃で気を失うのを確認し、続けざまに何発か同じ技を使って残党兵を次々に失神させていく。

 そうしながら、ヴィオレーヌは眉を寄せた。


(……残党兵なのに、鎧が新しい気がするわ)


 彼らはしっかりとした鎧を身にまとっていた。

 しかも、どれも真新しそうに見える。修復して使っているのではなく、買ったばかりのように見えるのだ。


(おかしい……)


 違和感がどんどん膨れ上がる。

 髪やひげが伸び放題なところを見るに、それほど身ぎれいにしているわけではないにもかかわらず、装備だけが新しいのはあまりにも不自然だ。


(どこかから配給を受けているかのように見えるわ……)


 やはり背後にモルディア国がいるのだろうか。

 厄介だなと思いつつも、今は余計なことを考えている暇はないのだと頭を振り、新しく逃げてきた残党兵を吹き飛ばして意識を奪っていった。

 そうしている間に、ルーファスが数名の男たちを切り伏せている。

 やはり彼は強い。純粋に剣術のみで勝負したら、ヴィオレーヌは彼から一本も取れないかもしれない。


「なんなんだこいつら、強いぞ!」

「奥の女は魔術師だ! 気をつけろ!」


 崖に集まってくる残党兵の数が徐々に増えていた。

 失神させた残党兵が十数名、ルーファスが切り伏せたのが七名。今目の前で剣を構えているのが十八名。

 残党兵は百余名と聞いているが、崖に追い込む前に第一軍第二軍が片付けたのも数十名いるだろう。


(もう半分も残っていないわね)


 作戦がうまくいっているようでホッとする。

 常に襲撃する側だった残党兵たちは、逆に攻め入られて混乱しているのだろう。全然統率が摂れていないように見える。

 混乱し、動揺している彼らを倒すのは簡単だった。


 ヴィオレーヌが残党兵に風の魔術をぶつけている間に、ルーファスがさらに数名を切り伏せていく。

 しばらくすると、カルヴィン率いる騎士たちが数名駆けつけてきた。追い込み作戦は完了したようだ。

 意識を失っている残党兵を、騎士たちが次々に縄で捕縛していく。


「ジョージーナ、あちらはどうなったの?」


 カルヴィンとともに駆けつけてきたジョージーナに訊ねると、彼女はきりりとした顔で答えた。


「残党兵四十八名のうち、生存者七名。彼らは全員捕縛し、逃げられないように第二軍が見張っています。こちらの被害は最小、死者はおりません。負傷者は何名か出ましたが、ポーションにてほぼ治癒しております。傷が大きくて傷の完治までが難しかったものもいますが、命に別状はありません」


 ポーションがなければ危なかったかもしれませんが、ジョージーナが答える。

 ルーシャの姿がないと思ったら、ルーシャは腕に軽い怪我を負ったらしい。ただそれはポーションで完治しており、今は第二軍に協力して捕縛者の見張りと、それから残党兵の天幕の中などを捜索し、生き残りがいないかを探っているそうだ。


 味方に死者がいないと聞いて、ヴィオレーヌはホッと息を吐き出す。

 ジョージーナが一礼して、カルヴィン達の手伝いに戻った。

 ルーファスに斬られた男たちも、うめき声をあげながら縛られていく。

 数名は息絶えているようだが、ルーファスもできるだけ生かして捕らえることを優先したのだろう。傷は深そうだが、意識は保っている男が何名かいた。


「ヴィオレーヌ、怪我はないか?」

「大丈夫です。殿下は?」

「問題ない」


 返り血が飛んでいるのでわかりにくいが、ルーファス自身は怪我を負っていないらしい。

 あれだけの数を相手にして無傷とは恐れ入る。

 全員の捕縛を終え、第二軍と合流して捕縛した残党兵たちを連行する準備に入ろうとしたときのことだった。


「この――魔女がぁあああああ‼」


 重傷を負い、縄で縛られていた残党兵の一人が、突然起き上がって走り出した。


「ヴィオレーヌ‼」


 ルーファスがハッとし剣を抜いたが、彼が斬りかかるより先に、残党兵がヴィオレーヌに体当たりをくらわすように襲い掛かる。

 咄嗟に魔術で防御壁を張ったヴィオレーヌだったが、大男に全体重をかけてぶつかられたせいでバランスを崩し、その場でたたらを踏んだ。

 後ろに数歩下がったヴィオレーヌが体勢を立て直そうとした時、右足ががくんと下に落ちる。


 崖が崩れたのだと理解したときには、ヴィオレーヌに体が宙に投げ出された後だった。


「きゃ、きゃあああああああ‼」

「ヴィオレーヌ‼」


 突然のことに悲鳴を上げたヴィオレーヌを追って、剣を投げ捨てたルーファスが崖から飛び降りた。


(な――)


 空中でルーファスが大きく腕を伸ばして、落下中のヴィオレーヌの腕を取る。

 そのまま抱きしめられ、ヴィオレーヌは青くなった。


(何を考えて――)


 この崖は高い。

 このまま落下したら、間違いなく命はないだろう。


 ヴィオレーヌは必死に魔術を練った。

 とにかく、落下の衝撃を抑えなければならない。

 落下速度が速すぎて、完璧な術が展開できないが、それでも何もしなければ即死だ。


 ヴィオレーヌを守るようにぎゅっと抱きしめているルーファスの背に腕を回して、ヴィオレーヌは地面に向かって、風の魔術を叩きつけた――





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