犯人の目的 2
入浴を終えてバスルームを出ると、ヴィオレーヌの部屋にはルーファスがいた。
夕食後一度部屋に戻っていた彼は、ヴィオレーヌよりも早く入浴をすませてこちらへ戻ってきたようだ。
ルーファスと夜を過ごすのにもすっかり慣れて、それほど緊張しなくなった。
彼はどういうわけか、ダンスタブル辺境伯領から戻ってきても、ヴィオレーヌを抱こうとはしない。旅先ではないので子ができても構わないはずなのに不思議ではあったが、ルーファスが「好きだ」なんて言ったせいで、そういう展開になると動転しそうなのでむしろ助かっている。
ミランダが入浴後のハーブティーを入れてくれたあとで髪を乾かすのを手伝ってくれる。
そして、ベッドサイドの間接照明以外の灯りを落とし、一礼して去って行った。
ベッドのフットベンチに座っていたルーファスが、ぽんぽんと自分の隣を叩いたのでソファからそちらへ移動する。
「今日は何をしていた? 何か問題は起こっていないか?」
一日の終わりにそう確認するのが、最近のルーファスの日課になっている。
ジークリンデとリアーナが来るのは毎日のことなので、ポーションを作っていたことと、特筆するような問題は発生していないことを告げると、彼はホッと息を吐き出した。
たまにアラベラが文句を言いに部屋の前に来るようだが、アルフレヒトがうまく追い返しているので部屋の中まで入ってくることはない。
ただ、アラベラが「自分が無罪になりたいがために王妃様に取り入っている」だの「自分で殺そうとして置いて図々しいにもほどがある」だのと王宮内で騒いでいるとは聞いていた。
おかげで使用人たちからは相変わらず冷たい目で見られるが、部屋に閉じこもっているので彼らと顔を合わせることも少ないので今のところ困ってはいない。
国王やルーファスが言ったところで聞く耳を持たないアラベラのことは、今は放置しておくのが正解だ。相手をするだけ疲れるし、相手にしたところで態度が変わるわけではない。
(まあ、何か仕掛けてくるなら応戦するけどね)
今のところキャンキャン喚いているだけなので、やり返すほどでもない。
話を聞き終えたルーファスが、そうかと頷いて立ち上がり、すっと手を差し出した。
寝ようという合図なので、素直に手を取って立ち上がる。
ベッドにもぐりこむと、ルーファスがベッドサイドの灯りを落とし、ヴィオレーヌを腕の中に閉じ込めた。少し前から、ルーファスはヴィオレーヌを抱き寄せて眠るようになっていた。最初はとても恥ずかしかったが、今は少し恥ずかしい程度までに慣れてきたので、ヴィオレーヌは素直にルーファスの腕の中に収まる。
ルーファスが、ヴィオレーヌの紫がかった銀髪を指にからめるようにしてもてあそぶ。ルーファスは、眠る前にヴィオレーヌの髪をいじるのが気に入っているようだ。
「先日捕らえたメイドだが、もう少しで口を割りそうだ」
寝物語にはやや物騒だが、ヴィオレーヌも気になっていたので、彼の腕の中で顔を上げる。
先日捕らえたメイドというのは、ジークリンデに毒入りの紅茶を運んだメイドである。ルーファスがこっそりと捕らえ、城ではなく、軍部大臣であるメイプル侯爵家のタウンハウスにて尋問しているそうだ。城に連れて行かなかったのは、城で働いている人間の中に犯人がいるかもしれないからだと言っていた。その点、メイプル侯爵は信用できるらしく、侯爵と、それからカルヴィン率いる第二騎士団が主体となって取り調べを行っているという。
「本当はもう一人の、お前の名前を出したメイドの身柄も確保したかったんだが、あちらはもう城の地下牢に収容されているからな。移動させられない」
もう一人の方のメイドへの尋問は、第一騎士団とファーバー公爵が主体となって行ったそうだ。もう一度尋問にかけようとするのは、すなわちファーバー公爵を疑うことにもつながるのでなかなか難しいらしい。
ファーバー公爵はメイドの証言からヴィオレーヌの身柄を拘束し罰するべきだと言っているそうだ。
メイド一人の証言だけでは信憑性に欠けると、国王とルーファスが突っぱねているのが現状だという。
「そういえば、解毒薬がない毒だとおっしゃっていましたけど、その毒は簡単に入手可能なものなんですか?」
「それについても軍医が調べている。最初の毒は、証拠品としてファーバー公爵の手に渡っていて、取り調べを終えたあとで公爵が処分させたため、こちらで回収できない状況だそうだが、同じ毒物だろうと言うのは軍医のおかげでわかったからな。あとは入手経路を探るだけだが、珍しい毒なのである程度絞り込めるだろうと軍医が言っていた」
メイドが口を割り、毒の入手経路が特定できれば、背後にいる犯人が絞り込めるだろう。
王族が口にするものは毒物の検査が徹底されているし、カトラリーに毒に反応しやすい銀が使われている。毒物検査をかいくぐり、銀食器にも反応しない猛毒を仕込んでくるなんて、相当な殺意である。犯人が特定できれば死罪は免れまい。
「お前じゃないことは俺が一番わかっている。心配するな」
そういう心配をしていたわけではないが、考え込んでしまったからか、ルーファスにはヴィオレーヌが不安に思っているように見えたらしい。
後頭部に大きな手のひらが回って、ぐっと胸に引き寄せられる。
トクトクとルーファスの鼓動の音が聞こえてきた。
「もしお前が犯人だったら、こんなに回りくどいことをするはずがない。わざわざ毒など混入させずとも、証拠を残さず母上を殺すことは可能だろう。違うか?」
「違いませんが……、そんな言い方をされると、殺意があるように聞こえて落ち着きません」
不満そうに口をとがらせると、ルーファスがふっと笑う。
「俺の心臓を縛っておいてよく言う」
「そ、それも、別に殺すつもりがあってしたことでは……」
ルーファスと自分の心臓を繋いだのは、身の安全を確保するためだ。
ヴィオレーヌを殺せば自分も死ぬとわかれば、さすがに殺そうとはしないだろうと思ったからである。
ルーファスがヴィオレーヌの頭皮をくすぐるように撫でた。
「ああ、わかっているさ。冥府の女神のように苛烈なようでいて、お前は傷ついた他人を見捨てない優しい女だ」
「それは、買いかぶりすぎですよ」
ヴィオレーヌの手は、綺麗な手ではない。
嫁いでくるときに同行していたマグドネル国の兵士や侍女のように、ヴィオレーヌが生きるために犠牲にした命もある。
死んで巻き戻り、力をつけ、モルディア国の兵たちを救おうとしたことで、一度目の人生では死ぬ運命でなかった人が死んだかもしれない。
ヴィオレーヌは、自分のために、自分が守りたいもののために、誰かを犠牲にして生きている。
(優しくなんてないのよ……)
大切なものと天秤にかけられた時、ヴィオレーヌは迷わない。
この先も誰かを犠牲にすることがあるかもしれない。
そして犠牲になった人たちの十字架を背負って生きていくのだ。
冥府の女神よりも、よほど血みどろかもしれなかった。
「では言い換えよう。お前は、母上を殺さない」
「……はい」
ジークリンデと知り合ってまだ日は浅いが、義母と呼んでほしいと言ってくれた彼女への殺意はない。むしろ、ルウェルハスト国でできた家族だとも思っている。殺そうとするはずがない。
「お前を一度は疑った父上もクラークも、今はお前が犯人ではないとわかっている。あと、大司祭もな。ポーションについても、助けを求めてきた市民に配るときに、大司祭は王家からではなく、お前からの寄付だと言って渡しているそうだ。ヴィオレーヌに感謝して受け取れ、それができないなら受け取るなと突っぱねるくらいだと言う」
「そんなことをして大丈夫なんですか?」
「大丈夫だろう。お前が作ったと言っているのではなく、お前が寄付してくれたと言っているんだからな。例えばお前が嫁いできたときに持って来たものだとか、予算を使って購入したものだとか、都合よく考えるのではないか?」
「そういう心配ではなくて……」
寄付は、教会の王家への心象を改善するためにも王家からということにしている。市民に対しても同じだ。王家が戦後の大変な中、市民のために教会に大量のポーションを寄付してくれたと思わせておいた方がいいはずだ。
「何を心配しているのか知らんが、お前はもう王家の人間だ。お前の個人名を出したところで、まとめれば王家からということになる。その結果、市民に広がっているヴィオレーヌへの悪感情が払拭されればなおいいんだが……」
「そんなに簡単なものではないと思いますよ」
「時間はかかるだろうな。だが、教会側がお前のイメージアップキャンペーンをしているから、少しずつ落ち着くのではないかとは思っている」
「なんですか、それ」
「大司祭主導で、毒の影響が薄れてもなお体調不良だった王妃を救ったのはヴィオレーヌが持っていたハイポーションだった、と触れ回っているんだ」
「なんですって?」
そんなの聞いてもいないし出鱈目もいいところだと目を剥くと、ルーファスがクツクツと喉を鳴らして笑った。
「聖魔術を使えることは言えないから、モルディア国王が愛娘を心配してハイポーションをお守りに持たせたことにしておいたらしいぞ。神に仕える身でありながら堂々と嘘をつく大司祭はすごいな」
「……頭が痛いですよ」
嘘がばれた時が大変だ。
「それでもし、誰かがわたしにハイポーションを譲ってほしいと言ってきたらどうするんですか?」
「使い切ったことにするか……、作ればいいんじゃないか? 作れるんだろう?」
「作れますけど、わたしの作るハイポーションは、その、取り扱いが難しいんです」
軽く嘆息しつつ、以前作ったハイポーションが神殿長に取扱注意の危険物扱いにされていることを説明すると、ルーファスが我慢できないと言ったように噴き出して大笑いをはじめた。
「お前、どこまで規格外なんだ?」
「笑わないでください。改良版ポーションも、ハイポーションが使えないので仕方なくハイポーションを薄めてローポーションと混ぜることで色を誤魔化して作ったんですよ」
「なるほど、だからあの効き目か。薄めてあの効き目っていったいどうなんだ」
「神殿長によると、わたしが作ったハイポーションは、死んでいなければ回復させられるレベルの代物だそうです。死ぬ一歩手前でも完全回復だそうです」
「すごいな。逆に怖い。取扱注意になるはずだ。……って、ちょっと待て。お前の作ったハイポーションは元はモルディア国の兵士のために作ったんだったな。いったいその危険物はどれだけあるんだ?」
「兵士の数と、家族の分、それから、万が一に備えて神殿に置いてもらった分を合わせると、二万を超えますが……」
「値段が付けられない取扱注意のハイポーションが二万本以上か。神殿長がそのうちストレスで死なないことを祈る。ああ、ハイポーションがあるからそのときは飲めばいいのか。生き地獄だな」
さぞ心臓に負担のかかる生活だろうと言ってルーファスが顔も知らないモルディア国の神殿長に同情した。
ヴィオレーヌは青くなる。
「か、改良版ポーションの話をして急いで消費してもらった方がいいですよね? モルディア国にも魔術師はいますから、作り方さえわかれば改良版ポーションに加工できますもんね?」
「いや、それは少し待っておいた方がいい」
神殿長にとんでもない置き土産をしてしまったのではと青ざめたヴィオレーヌだったが、ルーファスがふと真顔になってそれを止めた。
ヴィオレーヌとルーファス以外誰もいないと言うのに、室内に誰かいないかを探るように視線を動かした彼が、声を落として告げる。
「まだはっきりとはしていないが、ダンスタブル辺境伯領の残党兵の件は、マグドネル国が関わっている可能性が出てきた。マグドネル国の中の誰が関わっているのかまではわからないが、もしそれが国の中枢であった場合、あちらが仕掛けてくる可能性も考えておいた方がいい。モルディア国の安全のため、ハイポーションはまだ加工せずに保管させておけ」
ヴィオレーヌは、ひゅっと息を呑んだ。
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