やり直し王女、夫の生殺与奪の権利を握る 1

 モルディア国第一王女ヴィオレーヌは、一度、死んだことがある。


 感覚的には十八年前――、正しくは『本日』、ヴィオレーヌは夫となるルウェルハスト国王太子ルーファスの指示で殺害された。

 先ほどの、渓谷で襲われたときである。


 あのときのヴィオレーヌは弱い女だった。


 マグドネル国の王女のかわりに嫁ぐことになり、不安でいっぱいになりながらルウェルハスト国までの道のりを馬車の中で震えながら、夫となるルーファスはどのような人物なのだろうかと考えた。


 嫁ぎ先が敵国だった国だ。

 ヴィオレーヌが歓迎されるとは思えない。

 扱いは粗雑なものになるだろうし、夫から大切にされるとも思えなかった。


 人質同然の扱いであるヴィオレーヌのこの先の人生は厳しいものになるだろう。

 すでに側妃を二人娶っているルーファスがヴィオレーヌに関心を示すことはないだろうが、少しでもいいから仲良くなれないだろうか。

 周囲をマグドネル国の人間で固められたヴィオレーヌには味方は一人もいない。

 ルウェルハスト国で頼れるのは、夫であるルーファスただ一人なのだ。


 重たいため息を、ぐっと喉元で我慢していたヴィオレーヌは、突如として響きはじめた怒号にハッと顔を上げた。


 乱暴に馬車が停まって、つんのめった前の座席に体をしたたかに打ちつける。

 いったい何が――、そう思って馬車の窓から外を伺ったヴィオレーヌは凍り付いた。


 ヴィオレーヌと同じく外を確認したマグドネル国につけられた侍女が、大きな悲鳴を上げてパニックを起こす。

 馬車を囲んでいた騎士たちが、大勢の武装した男たちに襲われていた。


 野盗のような恰好をしているが、三百人はいるだろうと思われる彼らの動きは洗練されていて、統率が取れている。

 野盗というよりは、野盗のふりをした兵士や騎士、と表現した方がしっくりきた。


 それと同時に、まさか、という思いが脳裏をよぎる。


 馬のいななきが聞こえて、馬車がまたがくんと揺れた。

 必死に馬車の座席にしがみついていると、ガッと馬車の扉が乱暴に蹴破られる。


 侍女が乱暴に外に引きずり出された。

 尾を引く侍女の悲鳴を聞きながら、ヴィオレーヌはこちらに向けられる鈍色の光に視線を落とす。

 にやり、と男の口端が持ち上がった。


「ヴィオレーヌ王女とお見受けする。主の命により、ここで死んでいただく」


 剣の柄に掘られた紋章は、ルウェルハスト国のものだった。

 野盗を装うなら武器も違うものを使えばいいのにと冷静に思えるヴィオレーヌは、きっと、死を前にしてすべてを諦めてしまっていたのだろう。


 ルウェルハスト国に嫁ぐと決まったときに、ある程度は死を覚悟していた。

 まさかこんなに早く訪れるとは思わなかったけれど。


 でも、最後に一つ訊きたくて。

 凪いだ黒い瞳を男に向けて、ヴィオレーヌは訊ねた。


「主とは、ルーファス王太子殿下ですか?」


 男は答えない。

 ただ、肯定するようににやりと笑うだけだ。


 それで充分だった。

 どうやったところで、この場から逃げられるとは思えない。

 ヴィオレーヌの生みの母――ヴィオレーヌを生んですぐになくなったという母ならば、この状況を打開することはできただろうか。

 力の強い魔術師だったという母のようにヴィオレーヌが強ければ、違う未来もあったかもしれない。


 きゅっと、ヴィオレーヌは唇をかむ。

 ここでヴィオレーヌが殺されれば、このあとどうなるかは火を見るより明らかだ。


 再び戦が怒るだろう。

 少なくとも、モルディア国の父と義母、そして弟たちは激怒する。

 同盟国マグドネル国がどう動くかはわからないが、ここでヴィオレーヌを殺害するのだ、ルーファスの狙いは、これを皮切りに再び戦を起こすことである可能性もあった。

 そうなれば、小国であるモルディア国は壊滅するかもしれない。


 父や義母、弟たち、国民……。ヴィオレーヌが愛し、そして愛してくれた大切な人たちの命が奪われる。

 そう思うと、凪いでいた心に、怒りの感情が沸き起こった。

 けれどやはりどうすることもできず。


 ヴィオレーヌは彼女を嘲笑う男の手によって、命を落とした――はずだったのだ。



     ☆



 体を斬りつけられた激痛も一瞬のことで。


 ハッと目を覚ますと、見覚えのある場所だった。


 いったいどうなっているのだろうかと、起き上がろうとしても起き上がれない。

 言葉を発しようとしても「あ、ぅ」という赤子のような声しか出ず、ヴィオレーヌは駆けつけてきた人物を見てギョッとした。


 それは、ヴィオレーヌがよく知る乳母だった。

 しかし記憶の中にある乳母よりも十歳……、下手をしたら二十歳くらい若い気がする。

 一体どういうことなのだろうかと茫然としたヴィオレーヌは、乳母に抱き上げられてさらに衝撃を受けた。


「ヴィオレーヌ様、お腹がすきましたか? それともおしめですか?」


 よしよしと優しく揺らされる。


「ぁ、うー」


 やはり口からは赤子のような声しか出ず、ヴィオレーヌは衝撃のあまり固まってしまった。


 どうやらヴィオレーヌは、十八年前――生まれたばかりのころに、巻き戻ってしまったようなのだ。



 

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