北へ 1

 北の砦へは、一週間後に王宮を出発することになったので、ヴィオレーヌはその一週間、ポーション作りに励んでいた。

 ポーションの販売をはじめると言った矢先に在庫切れを起こすのは避けたいと、ミランダに泣きつかれ、留守にしている間に製造できなくても問題ないだけの在庫を用意する羽目になったのだ。


 長期間戻って来られなくなることも想定し、師匠であるアルベルダにも手伝わせて、ヴィオレーヌは一週間で延べ二千個のポーションを作り上げた。

 それと並行して旅支度も整える。

 王都から北の砦までは、片道馬車で二か月もかかるというのだ。


 北の砦はルウェルハスト国の最北端に位置する場所だが、それでも王都から二か月とは。モルディア国は、国の端から端まで移動しても馬車で一週間もあればたどり着くことができるような広さだった。大国の国土の広さには恐ろしいものである。

 ヴィオレーヌを最東のエインズワース辺境伯城に迎えに来て、一か月も経たずにまた北へ向かうとは、ルーファスも忙しい立場だ。

 けれどもルーファスは、王宮にいるよりは外にいた方が気が楽だと、むしろ機嫌がいいくらいだった。


 旅支度で足りなかったものは、ミランダ経由でスチュワートが手配してくれた。

 ミランダも、ジョージーナもルーシャも一緒に向かうことになるので、留守中に部屋の中を荒らされないように、ヴィオレーヌは侵入防止の魔術をかけておく。

 ポーションを納品して得た大金は、箱に入れてベッドの下に押し込んで、念のためこれにも魔術をかけておいた。

 ジョージーナとルーシャへの給料は半年分前払いで、それ以上の滞在になるようなら帰ってから支払うことにしてある。


「ミランダ、お金ってどのくらい持って行けばいいのかしら?」

「殿下が一緒ですし、公務ですから旅の間にかかった費用は必要経費で国が出します。ですので、念のために金貨二、三枚持っていたら充分だと思いますよ」

「そうなのね。あと、必要なものはあるかしら?」

「可能なら、薬草の種を持って行ってほしいです。北の砦にもポーションは送られていると思いますけど、軍からの支給分で足りているのかわかりませんし、個別で補給しようにも現在の価格設定では充分な数は購入できないでしょう。兄から、状況によっては大銀貨五枚くらいまでに価格を抑えて販売してきてもいいとお達しを受けています」

「タダじゃないのね」

「当然です、商売ですから! ただし、国――つまり、殿下がその分のお金をあとで補填してくださるのなら、タダで配ることも想定しています」


 ちゃっかりしてるなと思いつつ、一度無償で配ってしまったら、こちらにもよこせという声が上がるのだろうから仕方がないのかもしれない。国からの無償配布なら構わないが、スチュワートの商会が無償配布はできないのだ。


「わしのクッションも忘れるんじゃないぞぃ」

「師匠も一緒に行くんですか?」

「あたりまえじゃ。ヴィオレーヌがおらんと、わしの食事が出て来んかもしれんじゃろうが。わしはもう残飯生活に戻るのはいやなんじゃ」


 美味しいご飯を食べてごろごろする生活を送るのだというアルベルダに、ヴィオレーヌはあきれ顔で息を吐いた。すっかり飼い猫生活を満喫している。数年前に自由を求めて旅に出た孤高の魔術師はどこに消えたのか。


「それに、わしは役に立つぞぃ」

「師匠が役に立つのはわかっていますけど、その姿で当たり前のように人語をしゃべって魔術を使ったら怖がられますから、普段はちゃんと猫をしていてくださいね」

「わかっておるわ」


 言いながら、前足で顔を洗う動作をする。これはアルベルダの中の猫らしい動作の一つらしい。

 仕方がないので、アルベルダが最近愛用しているクッション――部屋の中で一番気にいったのを我が物顔で分捕ったともいう――を大きな籠の中に入れ、アルベルダ専用のベッドを作ると、これも旅の荷物に入れておく。

 荷物の確認を終えると、ジョージーナとルーシャが手分けをしながら玄関前に停められている馬車に運び込んでくれた。


 出立は本日の昼過ぎだ。

 マグドネル軍の残党兵がいるという情報があるにもかかわらず、多くの騎士や兵たちが自ら動向を志願したと聞く。

 多くはルーファスがヴィオレーヌをエインズワース辺境伯城に迎えに来る際に同行していた騎士や兵士たちだという。ジョージーナによると、ヴィオレーヌの力を目にした彼らはすっかりヴィオレーヌの信者のようになっているらしい。……それを聞くと、先が思いやられる。


(でも、マグドネル国の残党兵、か……)


 野盗の襲撃を受けたことを思い出して、ヴィオレーヌは眉を寄せる。

 マグドネル国の残党兵が相手ならば、野盗よりはるかに強いだろう。


(またあんな風に大怪我をしない保証はないわね)


 大怪我になると、ポーションでは癒せない。聖魔術で作れるハイポーションならば可能だが、ヴィオレーヌが作るハイポーションは効果が高すぎて取扱注意に認定されている代物だ。作れるからと言って騎士や兵士たちに配るわけにはいかない。


「師匠、ハイポーションより少し効果を落としたものって作れますか?」


 ミランダたちに聞かれないように、ヴィオレーヌはこそっとアルベルダに問いかけた。


「効果を落とし――あー、お前さんのあれはなあ……。そうじゃのぅ、薄めるのは一つの手かもしれんな」

「薄める?」

「ハイポーションを作った後で、水で十倍くらいに希釈するんじゃ。それでもお前さんのは規格外じゃからな、どれほど強い効果が出るかはわからんが……。ついでにそれと普通のポーションを混ぜておけば、聖魔術を扱えんもの以外には普通のポーションにしか見えんはずじゃ。少し効力を高めたポーションとでも言っておけばよかろう」


 適当すぎるが、確かに普通のポーションと混ぜてしまえば、聖魔術が使える人間が分析にかけない限り、ハイポーションが混ぜられていることには気がつかないだろう。

 ポーションとハイポーションは、作り方が異なるのだ。


(大量に配るんじゃなくて、一部の人にお守りとして渡す分には問題ないかしら……?)


 出発までまだ時間がある。ポーションを作る時間は充分だろう。


「ミランダ、ポーション用の空き瓶ってまだあったかしら?」

「ありますよ。……納品ですか⁉」


 きらん、と瞳を輝かせたミランダには申し訳ないが、今から作るポーション――さしずめ、ポーション(改)といったところだろうか――を、市場に卸すつもりはない。


「ううん、持って行く分よ。少し瓶を分けてほしいのだけど」

「そのくらいはかまいませんよ。ヴィオレーヌ様のおかげで、兄もがっぽりって言っていましたからね」


 親指と人差し指で丸を作って、ミランダが黒い笑みを浮かべる。まだ市場に卸してそれほどたっていないのに、ファーバー公爵家が販売しているポーションの半値とあって、飛ぶように売れているらしい。連日、店頭に並べた分は完売だと言っていた。

 ミランダからポーションの空き瓶を十本ほどもらって、ヴィオレーヌはプランターに薬草の種をまいて魔術で成長を促進させた。

 それから水に聖魔術をかけてハイポーションを作っていく。ハイポーションは回復魔術を水に溶かしたものなので、薬草は不要だ。

 そのあと、さらにそれを水で十倍に希釈し、薬草を少し入れて、ローポーションを作る要領で薬草成分を抽出する。


(これでたぶん、大丈夫なはず……)

「どれ」


 アルベルダが出来上がったポーション(改)を見て頷いた。


「まあいいじゃろう。見た目的には普通のポーションじゃ。……効果がどのくらいあるのかは試してみんとわからんが、普通のポーションの比ではなかろうて」

「え? どういうことですか⁉ さらに強力なポーションが⁉」


 アルベルダの言葉を聞いたミランダがすっ飛んできてヴィオレーヌの手元のポーションを確かめた。


「見た目は同じですが何か違うんですか⁉」

「えっと……効果がさらに強く出るように作ってみたのよ。効果のほどはわからないし、効果が違うものを市場に卸したら混乱するだろうから、これは出さないつもりだけど」

「出さないんですか⁉」

「わたしが、周りの人に配る分だけよ。……ミランダも、売らないって約束してくれるなら一本あげるわ」

「う、売らない……ぐっ」

「いらない?」

「い、いります! もちろんいりますとも! 売れないのが残念ですが、いただかないという選択肢はございません」

(ないんだ……)


 苦笑しつつ、ヴィオレーヌはミランダにポーション(改)を一本渡す。

 荷物を運んで戻って来たジョージーナとルーシャにも一本ずつ。アルベルダにも一本渡しておいた。これはアルベルダの籠の中に入れておく。


「普通のポーションより効果が高いはずだから、大きな怪我をしたりして、どうしようもないと判断したときに使ってくれるかしら? 普段はお守りのように持っていてくれると嬉しいわ」


 一部の人にしか配らないから内緒ね、と言うとジョージーナとルーシャが満面の笑顔で頷いてくれる。


 残りのポーション(改)を鞄に入れて、ヴィオレーヌは「行きますか」と王宮の玄関前へ向かった。



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