駆けつけてきた黒猫 4
「ひどい顔じゃのぅ。昨日はそんなに激しかったのか?」
からからと笑いながら揶揄って来る黒猫を、ヴィオレーヌはじろりと睨みつけた。
「師匠、そういうのをセクハラっていうんですよ、知ってます?」
寝不足のヴィオレーヌは機嫌が悪い。
今朝隣で目覚めたルーファスは、くっきりと濃い隈を作ったヴィオレーヌ一目見て腹を抱えて笑っていた。あちらは熟睡できたようで結構なことである。
(少し前までわたしのことをすっごく警戒していたはずなのに、おかしいわ)
ひとしきり笑った後で、にやりと維持輪の悪い顔をしたルーファスが、「もしかしなくても何かした方が眠れたかもな」などと言い出したときは枕を投げつけてやろうかと思った。
ルーファスにしても師匠アルベルダにしても、男というものはどうしてこう下世話な会話が好きなのだろう。
むすっとしていると、ヴィオレーヌの目の下の隈を一生懸命化粧で誤魔化そうとしているミランダが、半ばあきらめたように息を吐いた。
「完全には誤魔化せませんが、もういいでしょう。殿下との夜が長くて眠れなかったと勝手に誤解してくれるはずです。その分は構いません」
ヴィオレーヌとしてはそのような誤解はされたくないが、特にアラベラには誤解させておいた方がいいらしい。
ヴィオレーヌは知らなかったが、ルーファスが王宮に戻ってから、アラベラはあの手この手でルーファスに部屋に来させようと画策していたそうだ。
王宮にはアラベラの息のかかったものが大勢いるので、このままでは押し切られる危険を感じたルーファスが、ヴィオレーヌの部屋を避難先に選んだようである。
「本当はヴィオレーヌ様が王宮の生活に慣れるまでは通わないつもりだったみたいですよ。殿下はあれでも一応、人には気を使えるタイプなんです」
「……そう」
ルーファスが人に気を使えるタイプだというのはなんとなくわかる。
そうでなければ、ヴィオレーヌの気持ちなど無視してさっさと初夜をすませているだろう。
(あの時も、わざわざ水浴びしている泉まで着替えを持ってきてくれたし……)
野盗に襲われた時も馬車の中にいろと言ってくれたし、ドレスも用意してくれた。一応、ここでの生活にも気を配ってくれている。悪い人ではない。
ミランダを伴って、朝食のためにメインダイニングへ向かう。
ジョージーナは昨夜夜の番をしてくれたので今日は午後までお休みだ。
ルーシャにも部屋でゆっくりしていてもらうことにしている。
二人で夜の番まで賄うとなると仕事量が多すぎるので、ルーファスに交渉して夜の番は騎士団の騎士にお願いしようと思っている。
本当は側近の護衛騎士を増やしたほうがいいのはわかっているのだが、まだ信頼できる人物がわからないので、こちらはおいおいだ。
(他国から嫁いで来た妃の周りは、当分は一緒に連れてきた人で固められるものだけど、全員この世にいないからね)
まあ、生きていたとしても、彼らはマグドネル国がつけた監視のようなものなので、それはそれで居心地が悪かっただろう。むしろ結果だけ見れば、ヴィオレーヌにとってはよくなったと考えていいかもしれない。
メインダイニングに降りると、今日は第二王子のクラークがいた。他の人はまだ降りてきていないようだ。
「おはよう、義姉上」
「おはようございます、クラーク殿下」
クラークはルーファスに似た金色の髪に、エメラルド色の瞳をしている。雰囲気は母のジークリンデに似ていて、どことなくおっとりとした感じだ。
年上の義弟に「義姉上」と呼ばれるのは少し落ち着かないものがある。
「あの、クラーク殿下。ヴィオレーヌと名前で呼んでいただいて大丈夫ですよ」
「そうはいかないよ。義姉上のことを名前で読んだりしたら兄上がうるさそうだからね」
「ルーファス殿下は、礼儀に厳しい方なんですか?」
とてもそうは見えないが、と首をひねると、クラークが楽しそうに笑う。
「違う違う。あーでも、勘違いしたままの方が面白そうだから、今はそう思っていていいと思うよ」
よくわからないが、肩を揺らして笑い出したクラークは、悪戯を思いついた子供のような顔になっていた。
「それはそうと、ミランダ、スチュワートは派手なことをはじめたね」
「あら、もうご存じだったんですか?」
「うん。昨日の時点でね。……城で、叔父上がオークウッド侯爵に噛みついてたからねぇ。他のようにならにといいけど」
「大丈夫です。他の紹介のように、裏から手を回して魔術師を奪い取るなんて不可能ですから」
「そう? ……なるほどね」
ちらり、とクラークの視線がヴィオレーヌに向く。
悟った顔をしたクラークは、けれどもそれ以上は何も言わずに、視線をダイニングの入口へ向けた。
ちょうどルーファスが入って来て、数分遅れでリアーヌが顔を出す。
しばらくすると国王夫妻が入室してきて、やはり最後にアラベラがやって来た。
パーティードレスのように大きく肩の開いた、目がチカチカするような派手な黄色のドレスに身を包んだアラベラは、ヴィオレーヌを見て、ふんっと顔を背ける。
昨夜、ルーファスがヴィオレーヌの部屋で過ごしたのを知っているのだろう。
食事が運ばれてくると、ヴィオレーヌはこっそり毒検知の魔術を使った後で口をつける。
しばらく食事を取りながら王と王妃がゆったりと会話をしているのに耳を傾けていたら、突然、ガチャン、と大きな音がした。
全員の視線が音のした方――アラベラへ向かう。
音は、アラベラがフォークを皿にたたきつけた音だったらしい。
(割れたらどうするのかしら?)
王宮で使われている皿は、王族が使用するものなのでとても高価なものだ。皿一枚で金貨が何枚飛ぶかわかったものではない。戦後の財政難に、皿を買い替えたりする余裕はないのだから、丁寧に扱えばいいものを。
「わたくし、少し小耳にはさんだのですけど」
全員の視線が厳しいのに、アラベラはまったく気にしていないようだ。
「オークウッド侯爵家が、何やら分不相応なことをはじめたのですって?」
アラベラの視線がヴィオレーヌの後ろに控えているミランダへ向かう。
「なんでも、ポーションの製造と販売に乗り出すことにしたとか。わたくしのお父様が国のために管理しているのを知らないはずでもございませんのに、どうして戦後の大変な時に、国内を乱すようなことをなさるのか……宰相家ですのに、ずいぶんと暗愚でいらっしゃること」
昨日の今日で、アラベラの耳にも入っていたらしい。
アラベラの側には、外の情報を逐一報告する人間がいるようだ。
視線を向けられたミランダは、にこりと微笑んだ。
「戦後の大変な時に、ポーションの値段を吊り上げるような、己の利益しか考えていない愚かな方がいらっしゃるから、わたくしの兄としても動かざるを得ないのですわ」
「――なんですって?」
「お人形のように着飾っていらっしゃる方が、政治や経済のことに詳しいはずございませんものね。あら、失礼、一生懸命虎の皮をかぶっていらっしゃる羊に、わたくしったらなんてことを」
(……羊質虎皮とは、ミランダ、なかなかきついわ)
おほほほほ、と笑うミランダにヴィオレーヌは顔を引きつらせた。
アラベラも、そして彼女の後ろに控えている侍女たちの顔も恐ろしいことになっている。
顔を真っ赤に染めたアラベラが、フォークを握り締めてその先をミランダに突きつけた。
「侍女の分際で偉そうに‼」
「頭が空っぽにくせに親の威光を借りたがる方が何をおっしゃるやら」
バチバチとミランダとアラベラの間で火花が散っているように見える。
もしかしなくても、この二人は犬猿の仲なのだろうか。
ミランダの主として、ここはヴィオレーヌが諫めるべきなのかもしれないが、怖いもの見たさと言うのか、もう少し見ていたいような気もしてくる。
止めるかどうするかと悩んでいると、ルーファスがパンと手を叩いた。
「やめないか二人とも。食事の席だぞ。喧嘩なら外でやれ」
「ですが殿下‼」
「アラベラ、何を勘違いしているのかわからないが、ポーションは別にファーバー公爵家でのみでしか製造できないという決まりがあるものではない。戦前はどこの商会もポーションを製造し販売していた。それが元に戻ろうとしているだけのことだ。そのように騒ぎ立てるようなことではないし、ましてやオークウッド侯爵家に文句を言うのはお門違いだ」
ルーファスが正論をぶつけると、アラベラは真っ赤な唇を一文字に引き結んでツンッとそっぽを向く。
「ミランダもミランダだ。お前は侍女という立場だ。喧嘩を売られたからと言って主人を無視して暴走するな。喧嘩を買うなら主人であるヴィオレーヌの許可を得てからにしろ」
(それはちょっと……)
喧嘩を買いたいたびに「喧嘩してきていいですか」と訊ねられてもヴィオレーヌが困る。
そしてヴィオレーヌも売られた喧嘩は買う主義なので、ミランダにそう訊ねられてダメとは言えない。結果を見れば同じになると思う。
ミランダが「申し訳ございません」と謝罪をする。
アラベラが謝るとは思えないので、あちらはみんな放置していた。
ルーファスのおかげで場が落ち着くと、こほん、と気を取り直したように国王が咳ばらいをする。
「あー、この場で何なのだが、ルーファス、来月から少し、北の砦に向かってくれないか?」
「北の砦ですか? あそこは、戦の爪痕が深い場所ですよね。何かありましたか?」
「復興の進みが遅い。北の砦の当たりは冬になれば雪に覆われるだろう? せめて冬を越す場所だけでも用意しておかなければ、今年の冬が大変なことになるんだが……、近くにマグドネル国の残党兵が住み着いているという情報がある。そのせいで、いまだに小競り合いが続いているそうだ」
「そんなことは初耳ですよ」
「私のところにも先日上がって来たんだ。どうやらマグドネル国の残党兵も、身を潜めて態勢を整えなおしていたらしいな。こちらからマグドネル国側にも苦情は入れるが、残党兵など知らないと言われるのがおちだと思っている」
「あなた……、それはつまり、ルーファスを戦地へ向かわせるということですか?」
さっと王妃ジークリンデの顔が青ざめた。
残党兵の規模はわからないが、小競り合いが続いているのならばそういう認識で間違いない。
国王が困ったように眉を下げた。
「戦後で人手も足りないなか、北の砦に大勢の兵士や騎士を向かわせるには、それなりの建前が必要だ。王太子が動くという建前があった方が、動かしやすい」
復興にあたっている騎士や兵士を移動させるということは、現在彼らが復興に携わっている場所が放置されるということだ。計画の見直しも必要だろう。何か理由がなければ動かしにくい。
残党兵の規模や詳細がわかってからならば騎士たちを動かすのも容易だろうが、その調査がされる前に動かしたいとなると、どうやら状況は芳しくないようだ。悠長に構えていたら、砦を落とされる危険もあるのかもしれない。
「わかりました」
「ルーファス!」
王妃が悲鳴のような声を上げた。
やっと戦争が終わったと思ったのに、また息子が危険な場所へ向かうとなると、母親としては血の気の退く思いだろう。
ルーファスは顎に手を当てて少し考えるそぶりをしてから、ヴィオレーヌに視線を向けた。
「ヴィオレーヌも連れて行きますが、構いませんか?」
「ヴィオレーヌがいいのであれば構わんが……、いいのか?」
ルーファスはニッと口端を持ち上げた。
「もちろん行くよな? ヴィオレーヌ」
ヴィオレーヌはそっと息を吐き出した。
ルーファスが死ねば、ヴィオレーヌも死ぬ。
もとより、行かないという選択肢はない。
「ええ、わたしは構いませんよ」
せっかく王宮に到着したのに、落ち着く間もなく移動かと、ヴィオレーヌはこっそり息を吐き出した。
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