聖女の力 2

「死者はいないが、予想以上に重傷者が多いな……」


 ルーファスが途方に暮れたような声を出した。

 ルーファスたち一行がいたのは山を迂回する道の途中で、この先で野営をする予定だったことから考えても、次の町までそこそこの距離がある。軽症者であれば応急処置ですむが、重傷者が多いとなると一刻も早く処置する必要があるのに、町まで遠いのは非常に困る。


(殿下が連れている軍医一人じゃ、全員診ることはできないでしょうし)


 自分で動けない人間を大勢連れて行くことはできない。

 動けない重傷者は、この場に放置される可能性が高いだろう。

 けれども、この状況で放置されれば、彼らに生き延びることは困難に思えた。

 それを理解しているのか、重傷者たちの顔色は暗い。

 彼らの怪我の具合を見ていた軍医が、首を横に振った。


「……このままでは長く苦しむことになりましょう」


 そのあとの言葉は続かなかったが、軍医は、せめてもの慈悲に殺してやれと言っているのだろうとわかった。


 ヴィオレーヌは、ぎゅっと拳を握り締める。

 ルウェルハスト国の兵士たちはヴィオレーヌを敵視しているし、ヴィオレーヌ自身も彼らに対して何の情もない。

 彼らも、守ろうとしたのはルーファスで、ヴィオレーヌのことはついでくらいにしか思っていなかっただろう。


 わかっているのだが、それでも、馬車を守ろうと必死に戦ってくれた彼らを見殺しにするのは胸が痛かった。

 町が近ければ、すぐに医者に診せることができれば助かるのに、そうでないからここで死なせるしかない。


 ルーファスを見れば、ぎゅっと歯を食いしばって、小さく震えているのが見えた。

 見捨てたくない。けれども、見捨てるしかない。そんなルーファスの葛藤が手に取るようにわかった。


(わたしなら、助けられる、けど……)


 ヴィオレーヌは己の手のひらを見つめる。

 聖魔術は、いざというときの切り札として隠しておくつもりだった。


 しかしヴィオレーヌがためらったのは一瞬で、顔を上げると、軍医に向かって苦渋の決断をしようとしていたルーファスに向き直る。


「殿下、今から見せることを、秘密にしていただけますか?」


 ルーファスが了承したところで、人の口に戸は立てられない。

 これだけ多くの人間がいるのだ、誰かの口から洩れる可能性は重々承知している。


 でも、救える命があるのに見捨てるのは、ヴィオレーヌは嫌だった。

 元は敵国の兵でも、ヴィオレーヌはルウェルハスト国に嫁いだのだ。そして彼らは、馬車を守ろうと必死に戦ってくれた。


「……何をするつもりだ」


 ルーファスが警戒したように眉を顰める。


「それは、見ればわかります。……彼らの命を、助けたいのでしょう?」

「できるのか?」

「ええ」


 ヴィオレーヌが頷くのと、軍医が「冗談を言っていい状況ではありませんぞ!」と怒るのは同時だった。

 ルーファスの側に控えているカルヴィンもヴィオレーヌに厳しい目を向けている。

 死を待つばかりの重傷者に、無用な期待をさせるのは残酷だと言いたいのかもしれない。


 ヴィオレーヌはじっとルーファスを見つめて彼の答えを待つ。

 しばらく黙って考え込んでいたルーファスだったが、「わかった」と一つ頷いた。


「やってみろ」

「殿下!」


 軍医が咎めるような声を出すが、ルーファスは首を横に振るだけで彼を黙らせた。

 ヴィオレーヌが重傷者たちが寝かされている場所へ向かうと、ルーファスと、それからカルヴィンも後をついてくる。

 ヴィオレーヌは大きく深呼吸をすると、胸の前で両手を組んだ。

 ゆっくりと目を閉ざす。


「大地を司る癒しの女神よ、我が声を聞き届け、彼らに癒しを与えたまえ――エリア・ヒール」


 ヴィオレーヌの足元から魔法陣が浮かび上がった。

 ゆるく回転しながら魔法陣が重傷者たちが全員入るほどの大きさに拡大する。

 魔法陣から白い光が溢れ、きらきらと星屑のような輝きがあたりを包んだ。


 ひゅっと息を呑む声が背後から聞こえてくる。

 すべてのきらめきが大地に戻り、魔法陣がすうっと溶けるように消えていくと、ヴィオレーヌは目を開けた。


 完全に傷の癒えた重傷者たちが、己の手足や腹に手を当てて、信じられないと騒いでいる。


「傷は癒しましたが、念のため先生に診察してもらってください。今の聖魔術では傷は癒せますが体力までは回復させることはできません」

「聖、魔術……」


 振り返ってルーファスに言えば、彼は愕然と目を見開いたまま固まっていた。


「……モルディア国の、聖女」


 ルーファスの隣にいたカルヴィンが茫然とつぶやく。

 ヴィオレーヌは肩をすくめた。


「聖女なんて大袈裟な呼び方はやめてください。それは我が……モルディア国の国民が、勝手に言いはじめただけですから」


 ルウェルハスト国の兵士たちに憎まれているヴィオレーヌがここにいては、彼らも休むに休めないだろう。


 早々に馬車に引き返そうとしたヴィオレーヌは、背後から「「「聖女様‼」」」という複数人の叫び声を聞いてびくりとして振り向いた。

 何事かと思えば、重症だった彼らがその場に膝をついてヴィオレーヌを見つめている。

 ぱちくりと目をしばたたくヴィオレーヌに「聖女様」と呼びかけて涙を流しながら感謝の意を伝える彼らに、ヴィオレーヌはどうしたらいいのかわからなくなった。


 おろおろしていると、ルーファスが苦笑して軽く手を振る。


「聖女は力を使って疲れているらしい。言いたいことがあるなら今度にしてやれ」


 行っていいぞとルーファスが許可を出してくれたので、ヴィオレーヌは彼に向かって軽く頭を下げてから急いで馬車まで駆けていく。

 馬車の中に入ると、ドキドキと早い鼓動を打ちはじめた心臓の上を押さえて、ヴィオレーヌは座席に深く腰を下ろした。


 ヴィオレーヌを聖女と呼んだ彼らの目には、嫌悪一つ見当たらなかった。

 あれだけヴィオレーヌを憎んでいたというのに、だ。


 そのことに大きく戸惑いながらも、何故か少し嬉しくて――


 ヴィオレーヌは、しばらくの間、心臓の上を押さえたまま動けなかった。




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