まずは収入源が必要です 1

 王宮は、完全男子禁制とまではいかなくとも、王と王子、そして王宮で働く使用人以外の男性は無暗に入ることができない場所だという。女性に至っても、そこで働く人間以外は許可がなければ入ることは許されない。

 いわば王や妃、王子たちの私邸に近い存在なので、つながりを求めて勝手に入り込まれては迷惑ということだろう。


 モルディア国では禁止まではされていなかったので、ルウェルハスト国の王宮の厳格なルールには驚いたけれど、過去に何度も戦をしていた大国ならば、王族の安全を守るためには必要不可欠なルールなのなのだと思い至った。


(モルディア国は、マグドネル国に巻き込まれるまでは戦争とは皆無の穏やかな国だったからね)


 小国だから周辺諸国と戦になっても勝てないという理由もあるが、穏やかな気質の国民が多いのも理由の一つに上げられよう。

 そして逆に小国だから主変諸国と同盟を組まなければ生き残ることができず、ゆえに今回の戦争に巻き込まれたともいえる。


「ヴィオレーヌ様、お着換えをなさいますか?」


 朝起きて、ライディングデスクに向かって書き物をしていたヴィオレーヌは、背後から聞こえてきたジョージーナの声に振り返った。

 まだ侍女のいないヴィオレーヌのために、護衛騎士であるジョージーナが侍女の仕事の一部を引き受けてくれているのだ。


 メイドにお湯を頼んでくれたようで、ジョージーナの手には湯の入ったたらいがある。洗顔用に用意してくれたようだ。

 魔術を使えば湯くらいすぐに沸かせるが、せっかくの気遣いを無駄にしたくないので言わずに置いた。


 ジョージーナの後ろにはルーシャもいて、焦げ茶色の瞳をきらきらと輝かせてこちらを見ている。

 昨日、荒らされていたこの部屋を片付けるのに魔術を使ったところ、ルーシャの様子がちょっと狂信者っぽくなってしまって困る。

 ジョージーナは普通だが、それでもヴィオレーヌを見る目が少し変わった。

 モルディア国でも魔術師は少なかったが、ルウェルハスト国では輪をかけて魔術師の数が少ないようで、剣が扱えて魔術、聖魔術が行使できるヴィオレーヌは、「まさしく聖女以外の何ものでもない」らしい。言い換えれば、規格外の普通ではない子、ということだ。


(お母様の祝福もあるし、規格外なのは自覚していたけど……そんな目で見られると、ちょっとね)


 モルディア国ではここまでではなかった。

 みんなヴィオレーヌの行動に慣れていたのだろう。多少魔術を使ったり聖魔術を使ったりしたところで感謝はされたけれど崇め奉るような目はしなかったのだ。早いところルーシャを何とかしないと居心地が悪すぎる。


「二人とも、何度も言うけど……」

「大丈夫です。もう一つのお力については絶対に口にいたしません」


 もう一つの力とは聖魔術のことである。

 聖魔術を切り札に取っておきたいことも秘密にしておきたい理由の一つだが、周囲に知られたくないのはもう一つ理由がある。


 聖魔術の使い手は、魔術の使い手に輪をかけて少ないのだ。

 モルディア国でも神殿長ただ一人。

 ルウェルハスト国でも、現在は一人の大司祭だけだと聞いている。もう一人いたそうだが、戦時中に力を使いすぎて亡くなったらしい。


 そして問題なのがここからだ。

 モルディア国の神殿長もそうだったが、簡単な傷や病気の治癒はできるが、聖魔術の使い手の多くは、大規模な聖魔術は使えない。

 魔術以上に扱いが難しいのだ。

 野盗の襲撃があった日にヴィオレーヌが使ったような広範囲にわたる高度な治癒魔術はモルディア国の神殿長も使えなかったし、恐らくこの国の大司祭もそうだろう。


 もしあの魔術が使えるなら、ヴィオレーヌがモルディア国の兵士たちに与えた加護も使えたはずだ。戦死者の数からして、使えないはずである。

 となると、規格外な聖魔術を使えるヴィオレーヌは、この国で唯一の聖魔術の使い手の領分を犯すことになってしまう。


 聖魔術の使い手は、どの国でも神のようにあがめられて、かなりの特権が与えられると聞く。

 ヴィオレーヌが大司祭以上の力を使えると知られれば彼の力はかすむし、今まで与えられていた特権も地に落ちる。下手な恨みは買いたくない。


 ルーファスもヴィオレーヌと同じ懸念を抱いているそうで、戦後の大変な時に教会側と対立するのは勘弁だと言っていた。

 ヴィオレーヌが思っていた以上に、聖魔術の隠蔽にはルーファスが力を貸してくれそうだ。


 モルディア国の家族に向けて手紙を書いていたヴィオレーヌは、書きかけの手紙を引き出しの中に収めると、ジョージーナが持ってきてくれたお湯で顔を洗って、彼女にドレスの着替えを手伝ってもらった。

 王都に来るまではほとんど毎日ルーファスと同じ部屋で眠っていたが、昨日は違う。

 部屋は隣でも寝室は同じではないようで、ルーファスは夜にこちらにやってこなかったから、久しぶりにゆっくりと眠ることができた。


「朝食は一階のメインダイニングだったわね」


 昨夜の晩餐の際に、国王とルーファスの弟王子クラークとも顔を合わせた。

 二人とも穏やかそうな外見をしていて、意外にもヴィオレーヌのことを受け入れているようだった。敵国の姫だった女、と邪険にされるかもしれないと警戒していたヴィオレーヌとしては肩透かしを食らった気分だ。


 同時に、王宮内での明確な敵はアラベラ一人に絞られた。

 今のところリアーナはヴィオレーヌに危害を加えるつもりはないようだ。

 王宮内の全員が敵になることも想定していたので、思っていたほど状況は悪くない。もちろん油断もできないので警戒するに越したことはないが、ルーファスと、アラベラを排除したいという目的が一致している今は王宮内でも動きやすいだろう。


(でも、どうして追い落としたいのかしらね?)


 アラベラは確かに面倒くさそうだが、王弟ファーバー公爵の娘だ。彼女の持つ権力はルーファスにいいようにも作用するはずである。扱いは大変でも、手元に置いておいた方が都合がいいこともあろう。王太子なのだからそのあたりは割り切ればいいのにと、思わなくもない。

 ヴィオレーヌとしては、生活スペースから敵を排除できるのに越したことはないので、ルーファスの気の変わりそうな余計なことは言わないけど。


「ヴィオレーヌ様、いかがでしょう?」


 ジョージーナがドレスの背中のリボンを結んでくれて、鏡越しに訊ねてくる。

 今日のドレスも、王都の近くの町でルーファスが買ってくれたドレスだ。アラベラに言わせれば「安っぽくて品格が足りない」ドレスである。


(可愛いと思うけどね)


 ルーファスが選んだのか、はたまた店主に選ばせたのかはわからないが、センスは悪くないと思うのだ。

 一着当たり金貨が何枚……下手をすれば何十枚も飛んでいくような高価なドレスではないが、派手過ぎず落ち着いたデザインで、けれども地味でもない絶妙なドレスだと思う。


「朝なので明るい色にしてみましたが、この若葉のような薄い緑のドレスはヴィオレーヌの様の少し紫の入った銀髪によく映えますね」

「とってもお似合いですよ‼」


 ジョージーナの誉め言葉に、ルーシャが拳を握り締めて追随する。


「ヴィオレーヌ様はもとがとってもいいので、無暗に着飾らなくても気品もあるし誰よりも美しいです‼ さすが聖女様……いえ、女神様といっても過言ではございません!」


 それは褒めすぎだと思う。


(どうしよう、ルーシャがどんどんおかしくなっていくわ……)


 困惑していると、ジョージーナがルーシャの肩をポンと叩いた。


「ヴィオレーヌ様が困っていらっしゃるから、そろそろおやめなさい。……気持ちはわかるけど」


 ジョージーナがルーシャを諫めて、そして苦笑をこちらに向けた。


「ヴィオレーヌ様、申し訳ございません。でも、わたくしもルーシャがそう言いたくなるのもわかるのです。……ヴィオレーヌ様は本当に、神が使わしてくださった聖女様のようですもの」


 ジョージーナによると、野盗に襲われた時に重傷を負った者たちは、その場で殺されていてもおかしくなかったらしい。ヴィオレーヌがいなければ、苦しまないように、騎士たちが止めを刺しただろうと、そしてそれが自分の役目だったかもしれないと目を伏せる。


「戦争のさなかは、どこでもよく目にした光景でした。助からない、助けられないものはがその場に捨て置かれたり、せめて殺してくれと泣くものに止めを刺したり……本当に、そのような光景は日常茶飯事だったのです」


 ジョージーナもルーシャも、騎士として戦争に参加していたという。

 二人とも、騎士として小隊を任されていたそうだ。

 命を落とす仲間も大勢いた。

 まだ心臓が鼓動を打っているのに、見捨てざるを得ない状況もたくさんあった。

 この前の野盗襲撃は、その時のことをまざまざと思い出させるもので、ジョージーナもルーシャも重傷者を前に血の気が引いたという。


 そんな、本来ならば見捨てられていた彼らを、ヴィオレーヌは隠しておきたかったであろう力を使ってまで救った。

 救われた彼らは当然のことながら、その場にいたものたちは誰もがヴィオレーヌの力に、神の慈悲に感謝したという。


「それまでわたくしたちは、敵国の姫であったヴィオレーヌ様に対して……思うところがございました。今でも思うところはあります。しかしそれ以上に、あなたの力はわたくしたちにとって暖かなものでした。傷ついた兵を助けたところで、あなたには何の得もなかったでしょう。それどころか、わたくしたちはマグドネル国からあなたが乗って来た馬車を襲撃し、あなたの従者や護衛をすべて皆殺しにした。恨まれていて当然なのに、あなたはそれでも手を差し伸べてくださった」

「あの日から、ヴィオレーヌ様はわたくしたちの希望です」

「さらには、昨日の大規模な魔術……。あのようなものを見せられては、崇拝せずにはいられません」


 どうしよう、ジョージーナは普通だと思っていたのに、頭の中は普通な状態ではなかったらしい。

 けれども、こんなことを言われたら「やめて」と言えないではないか。

 おろおろしていると、ジョージーナとルーシャがその場に跪いた。


「わたくしたちは、この命を懸けてヴィオレーヌ様にお仕えする所存です。わたくしたちの主はヴィオレーヌ様以外におりません。どうぞ、わたくしたちの生涯の忠誠をお受け取りいただけないでしょうか」

(命を懸けて⁉ 生涯⁉)


 ギョッと目を見開いたが、跪いているジョージーナもルーシャも本気の目をしていた。冗談で言っているのではないのだ。ここでヴィオレーヌが断ったり冗談で返せば、彼女たちを傷つけることになる。


 ごくり、と喉を鳴らす。

 ここまでの忠誠を誓ってくれた二人だ。生半可な覚悟ではその忠誠を受け取ることはできない。受け取るヴィオレーヌにも相応の覚悟が必要なのだ。

 生涯彼女たちの面倒を見て、主として守る覚悟が。


 ヴィオレーヌは大きく息を吸い込んで、ゆっくりと吐き出す。


「ありがとう。二人の忠誠を、受け取ります。そして、わたしも主として二人を守ると誓うわ」


 ジョージーナとルーシャが、ぱっと顔を輝かせて微笑む。


 これが、ヴィオレーヌが最初の側近を手に入れた瞬間だった。


 彼女たちはその誓いの通り、二人は生涯にわたってヴィオレーヌの信頼厚き側近として仕え続けることになるのである。





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