売られた喧嘩は買いますけど 2

 ルウェルハスト国王都の一歩手前の大きな町で、ヴィオレーヌはドレスを手に入れた。

 それはとてもありがたいのだが――ヴィオレーヌは、そのドレスを前に、宿の部屋で困惑していた。


 野営地でも宿でもそうだったが、基本的にヴィオレーヌはルーファスと同じ部屋を使っていて、それは今日も同じだった。

 ゆえにそれに対する困惑ではなく、純粋に目の前に並べられたドレスのとアクセサリーについてだ。


「殿下、ええっと……これは、ここから選べということでいいのでしょうか?」


 部屋中に並べられたドレスに、ヴィオレーヌがきっと選択の機会を与えてくれたのだと、自分自身が納得できる答えにたどり着いてホッとしていると、ベッドの足元に腰かけて湯上りの濡れた髪をタオルでぬぐっていたルーファスが怪訝そうな顔をした。


「選ぶ? ああ、今夜着るものか? それなら向こうに夜着が置いてあるから好きなものを着ればいい」


 思っていたのと違う答えが返ってきて、ヴィオレーヌは再び困惑した。


 先に風呂に入って来いと言われたので入浴をすませてバスルームから戻って来ると、しばらくして店のものだろうと思われる数人の人物が部屋にドレスやアクセサリーを運びはじめた。

 問いただそうにも、ルーファスはヴィオレーヌと入れ替わりでバスルームに消えてしまったので何も聞けず、ヴィオレーヌは宿の部屋に並べられていくドレスをただ茫然と見ているしかなかったのだ。


 ドレスやアクセサリーを運んできたものは、すべて運び終わると早々にいなくなってしまった。

 当方に暮れていたところにルーファスが入浴を終えて出てきたのだが、彼は部屋中に並べられているドレスを見ても眉一つ動かさなかった。


「さっきから何を突っ立っているんだ。さっさと着替えてこい。それから明日着るものも選んでおけよ。侍女がいないから一人で着られるものを選んでくれ。選び終えたら他は箱に詰めるように指示を出しておく」

「箱に詰めるように……? 持って帰ってもらうのではなく?」

「何を言っているんだお前は。着替えが必要だろう? お前の嫁入り道具がないんだ、このくらいは持っておけ」

「……このくらい」


 このくらい、で片づけられるような量ではない気がする。

 着替えは必要なので、もらえるなら数着はほしいと思っていたけれど、さすがにこれはない。数えただけで十五着はある。アクセサリーも一度につけられない量が並んでいた。靴もナイトドレスも然り。ちらりと視界の端に移った下着に頬を染めつつ、ヴィオレーヌはルーファスを軽く睨んだ。


「マグドネル国から渡された嫁入り支度より多いですよ」

「なんだと? マグドネル国は王女の嫁入り支度をそんなにケチったのか? これでも少ないくらいだぞ」


 平時ならそうだろう。

 だが、戦が終わって一年だ。嫁入り支度に大金をはたけるはずはないし、もっと言えばヴィオレーヌはマグドネル国の王女ではなくモルディア国の王女だ。マグドネル国側としては、最低限の準備さえすればいいと判断したのだろう。


「……そういえば、支度金らしきものは回収してきたが、宝石類はなかったと報告があったな」

「ええ。ドレスと支度金のみでした。……どうせ回収するならドレスも回収してくれればよかったのに」

「お前が生きている予定はなかったから不要と放置されたんだ。お前が生きていたとわかったあとで、一応、残っているなら改宗して来いとは言ったが、汚れていたり破れていたりして使えそうにないから放置したと報告を受けている」

「なるほど、確かにあの状況でドレスが無事とは思えませんね」


 馬車も引き倒されたし、散乱したドレスに気を使いながら戦ったりはしない。踏み荒らされ、血で汚れ、使い物にならなくなっていたに違いない。


「支度金については後で渡してやる」

「それはルウェルハスト国へお渡しするお金ですけど」

「……父上にはうまく言っておくから、持っていろ。こんなことはあまり言いたくないが、お前の予算がすんなり出されるとは思えない。妨害があるはずだ。金は持っておいた方がいい」

「そういうことですか」


 歓迎されないとは思っていたが、そういう方面の妨害があるとは思っていなかった。

 正妃ともなれば必要なものは多いだろう。正妃の品格にあったものが用意できなければ軽んじられる。特にルーファスは二人の側妃がいるのだ。ドレスやアクセサリーが彼女たちよりも劣っているのは、立場的には避けねばならない。


(モルディア国を守るためには、軽んじられるわけにはいかないわ)


 正妃として公に出る頻度がどのくらいかはわからないが、公の場で使えるものを用意しておかなくてはならないのだ。国が予算を割かないのであれば、自力で何とかしなければならない。


「俺がお前に贈るのは可能だが、すべて俺が用立ててやれるわけじゃない。そんなことをすれば俺の立場的にも問題があるしな」


 敵国に妃に骨抜きにされて散財している、なんて噂が立ってはたまったものじゃないとルーファスが肩をすくめる。


 それだけではないだろう。

 ルーファスには二人の側妃がいるのだ。正妃に贈るなら自分たちにもと言い出される可能性だってあった。

 戦後で物資が足りない今、王太子が妃たちに湯水のごとく金を使っているなどと噂が立てばどうなるか、深く考えなくともわかる。


「わかりました。ありがたく頂戴しておきます」

「ああ。……その金が尽きる前に対策を考える必要があるにはあるが、そこまでの責任は取れん。自分で何とかしろ。どうしても困ったら俺の予算から回させるが、周囲に気づかれないように動かす必要がある。毎回は無理だ」

「わかっています」


 むしろ、ルーファスがヴィオレーヌの王宮での生活に心を配ってくれている方が驚きだ。

 知らん、と放置されると思っていたのだが、意外にも彼は義理堅いのかもしれない。

 ヴィオレーヌが今夜身に着ける夜着と明日の着替えを選んでいると、ルーファスはタオルで髪を拭くのを止めて、迷うように視線を下げた。


「あまり言いたくないが、何も知らんよりはましか。……ヴィオレーヌ、王宮では特にアラベラとその父親のファーバー公爵……彼は俺の叔父にあたるが、この二人に特に気を付けておけ。あとはファーバー公爵派閥の人間だな」


 ファーバー公爵は王弟らしい。そしてアラベラはルーファスの従妹で側妃の一人だという。

 自分の側妃とその父親に気をつけろというルーファスに、ヴィオレーヌはドレスを選ぶ手を止めてきょとんと振り向いた。


「それは、わたしが命を狙われるかもしれないということであっていますか?」

「命まで狙ってくるかどうかは今のところわからん。だが、確実にお前を邪魔に思っているはずだ。……アラベラもファーバー公爵も、お前が正妃として嫁いでくることを疎ましく思っている。アラベラは自分が正妃になるべきで、敗戦国の王女が正妃に選ばれるのはおかしいと声高に主張していたからな」


 顔をしかめて息を吐き出すルーファスの表情からは、側妃であるアラベラに対する愛情は感じられなかった。どうやら彼は彼でいろいろな厄介ごとを抱えているのかもしれない。


(まあそうよね。王族の結婚なんて政略結婚ばかりだし、側妃も例外ではないんでしょう)


 とくに王弟の娘ならば断われまい。


「もう一人の側妃はどんな方なんですか?」

「リアーナか……。あれはあれで何を考えているのかわからん女だが、あちらはそれほど気にとめなくていい。出しゃばるようなタイプではないし、父親が軍部大臣だ。野盗襲撃の際にお前が使った聖魔術については秘密にしておくが、兵たちのお前に対する態度からある程度は推測するだろう。聖魔術まではたどり着かんだろうが、お前が特別だとは認識するはずだ。その状況で攻撃するような愚かな男ではないし、リアーナは良くも悪くも父親似だ。あちらも、お前が何者なのか、探りはするだろうが、兵士たちに持ち上げられているお前を不用意に攻撃したりはしないさ」


 もしどちらかを味方につけたいのならリアーナを選べ、とルーファスは言った。

 もう一人の側妃リアーナはルーファスにそれなりに信用されているらしい。

 ふむふむと頷きながら聞いていると、ルーファスは「わかっているのか?」と嘆息した。


「お前が今から向かう王宮は華やかなだけの場所じゃない。モルディア国の王宮と比べるなよ。お前の様子を見ている限り、我が国の王宮はモルディア国のそれと性質の異なる殺伐としたところだ。実際父上の側妃の一人は、十年ほど前に毒殺されている。その犯人もやはり側妃で、処刑された。おかげで父上の側妃が全員いなくなって俺的にはすごしやすいが、お前が嫁ぐことでまた王宮内が荒れる。過去と違うのは、正妃であるお前が標的になることだ」


 味方のいないヴィオレーヌはそれだけ狙われやすい。ましてや敵国だった国の王女だ。憎悪や怨嗟の対象になる。


「カルヴィンが王宮に戻り次第お前の護衛を選抜するとは言っていた。だが、それだけでは安心できないだろう。お前の実力はわかっているが重々気をつけろ」

「わかりましたけど、どうして殿下はそこまでわたしに気を使うのでしょうか?」

「お前に何かあったら俺も死ぬだろうが」

「まあ、そうですけど……」


 それだけで、ここまで丁寧に教えてくれるだろうか。

 むしろ護衛をつけて外出を禁じ、部屋に閉じ込めていたほうが、ルーファス的には安全だろう。

 ルーファスは肩をすくめた。


「真っ黒な本音を言えば、お前が側妃を追い落としてくれたら嬉しいとは思っている。特にアラベラの方だな」

「それはまた、ずいぶんと無茶なお願いをなさるのですね」

「お前が本気になればやってやれんことはないだろう?」

「買いかぶりすぎです」


 勝手のわからないルウェルハスト国に嫁いで来たばかりのヴィオレーヌが、どうして王の姪であるアラベラを追い落とすことが可能だろうか。

 追い落としたいなら自分ですればいいのに。


(まあ、無理なんでしょうね)


 詳しい事情は知らないが、アラベラとファーバー公爵はルーファスにとっての目の上のたんこぶでしかないのだろう。これまでもいろいろ強引な手を使われていたのではなかろうか。


「ともかく、俺はさほど手助けしてやれん。自分の地位は自分で何とかしろ」

「ええ、そうさせていただきます」


 ヴィオレーヌだって、ルウェルハスト国での立場を盤石にすることがモルディア国の平穏につながるとわかっている。覚悟を決めて嫁いで来た以上、モルディア国のためにこの命を使って駆け抜ける所存だ。


 ヴィオレーヌがドレスを選び終えると、二人の女性騎士が入ってきてドレス類を箱詰めしはじめた。

 ルーファスの護衛一行に女性騎士がいたことには気づいていた。

 ただ、直接話をしたことはないので、声をかけるべきか否か迷ってしまう。

 荷造りを手伝ってくれるお礼くらいは言った方がいいと思うが、馴れ馴れしく声をかければ嫌がられるかもしれない。


 じっと二人の動きを見ていると、そのうちの一人、茶色の髪に青い瞳の背の高い女性騎士が顔を上げてにこりと微笑んだ。


「ジョージーナと申します。正式な任命は王都に戻ってからになりますが、聖女様の専属護衛に決まりました。今後ともどうぞよろしくお願いいたします」

「ルーシャです。わたくしも聖女様の護衛騎士に決まっております。どうぞよろしくお願いいたします」


 もう一人の女性騎士も手を止めて微笑む。ルーシャは赤ワインのような色の髪に焦げ茶色の瞳をしていた。身長はジョージーナよりは低いが、女性にしては高めだ。


「なんだ、もう決まっていたのか」

「ほかはまだですが、わたくしたちは先に決まりました。……その、聖女様のお力を直接目にしたものからも選んだ方がいいだろうと、ファース団長が」

「確かにな」


 カルヴィンがヴィオレーヌに配慮してくれたらしいが、その「聖女様」という呼び方のまま仕えられるとちょっと困る。


「こちらこそよろしくお願いいたします。ところで二人とも、できればヴィオレーヌと呼んでほしいのだけど……」


 ジョージーナとルーシャは顔を見合わせて、お互いに微笑みあう。


「聖女様がそのようにお望みであれば」

「今後はヴィオレーヌ様とお呼びさせていただきますね」


 ほかの騎士と違って、二人はそのあたりは融通が利くようだ。

 ホッと息を吐いていると「聖女様」の方が早く周囲に受け入れられるんじゃないか、とルーファスが意味のわからないことを言う。


「自分を聖女と呼ばせる性悪女だと変な噂が立った方がやりにくくなります」

「考えすぎだろう」

「わたしのことを化け物とか魔女だとか言っていた殿下が何をいうんですか?」

「あれは……!」


 ルーファスが何かを言いかけて、ちっと舌打ちして押し黙る。

 そんな彼に、ジョージーナとルーシャが冷めた視線を向けた。


「殿下、女性に対してそのような言い方は問題ですよ」

「化け物とか魔女なんて……聖女様に失礼ですよ」

「ああもううるさい! お前たちはさっさと荷物を片付けて出て行け!」


 女性騎士二人に責められて居心地が悪くなったんだろう。


 ルーファスは二人を追い立てるように「早くしろ!」と怒鳴って、ぷいっとそっぽを向いた。



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