第二部 運命共同体の夫が、やたらと甘いです
プロローグ
「俺は、お前が好きだ」
ヴィオレーヌを、綺麗なシルバーグレイの瞳が見つめている。
彼の瞳の中に映るヴィオレーヌは、大きく目を見開いて、明らかに動揺した顔をしていた。
ルーファスの視線にからめとられたように、ヴィオレーヌは動けない。
ヴィオレーヌの顔の両脇についていた彼の手が一度離れて、ヴィオレーヌの頬に触れた。
壊れものに触れるように、優しくなでて離れていく。
「俺は一度、お前の命を狙った。信用なんてできないだろう。だから信じてくれとは言わないし、愛してくれとも言わない。だが、俺がお前を好きなのは、俺の自由な感情だ。だから俺は自由にお前を想う。そのくらいはいいだろう?」
いいだろう? と訊かれても、ヴィオレーヌには何も返せない。
ドキドキと心臓がうるさくて、頭の中が真っ白だ。
だいたい、好きだのなんだのと言うけれど、どのみちヴィオレーヌはルーファスの妻だ。彼の宣言によって、ルーファスとヴィオレーヌの関係は変わらない。変わらないはずだ。なのに何故、彼はそんなことを言うのだろう。
そして何故、ヴィオレーヌはこんなにもドキドキしているのだろうか。
何も言えないでいると、ルーファスの手がまたヴィイレーヌの頬を撫でる。
温かくて、剣だこのある少し硬い手のひらに頬を撫でられるのは――不思議と、嫌じゃない。
しばらくヴィオレーヌの頬を撫でていた手が名残惜しそうに離れて、すっと目の前に手のひらを差し出された。
「俺の傷は治ったし、お前の怪我もポーションで癒えているはずだ。歩けそうなら行こう。カルヴァンたちが探しているはずだ」
「は……い」
ここでこのままルーファスと見つめあっているのは、ヴィオレーヌの心臓的にもまずい。
動き回っていたら落ち着くかもしれないし、いつまでもここにいるわけにもいかないので、ルーファスの意見には賛成だ。
彼の手を取ると、ぐいっと手を引いて立ち上がらせてくれた。
しかし、ヴィオレーヌが立ち上がった後も、その手は離れない。
むしろ指をからめるようにしっかりとつなぎなおされて、ヴィオレーヌは狼狽えた。
今までも気遣われてはいたけれど、目の前のルーファスは今までとは雰囲気が異なる。
何といえばいいのだろう――甘い?
どうしてそう思うのかはわからない。
だが、つながれた手が、ぬくもりが、壊れものを扱うような力加減が――すべてが、甘い。
おろおろと瞳を揺らしていると、ヴィオレーヌを見下ろした彼が面白そうに双眸を細めた。
「お前でもそんな顔をするんだな。……いつも余裕そうなのに、なんだか新鮮だ」
そんなことを言われても困る。
余裕があったのは、常に自分の方が優位に立っていると思っていたから。
心臓をつなげ、ルーファスの生殺与奪の権利を握っていたから、何かあっても大丈夫だと思っていたからだ。
それが、こんな――
(好きなんて、言われるとは思っていなかったもの)
向けられたのが悪意であれば強くいられる。
弱みを見せたら負けだと、毅然とした態度を取れる。
だが、好きだと言われたら、どうしたらいいのだろう。
妻の義務を果たす覚悟はしていた。
国のためだと割り切っていたから、それは仕事だと、義務だと割り切れた。
でも、愛情を向けられるなんて、そんなこと、想定すらしていなかったのに。
「崖の上に向かうにはぐるっと迂回する必要がありそうだな」
「そう、ですね……」
風は操れても、さすがに空は飛べない。
気長に歩いていくしかなさそうだ。
「ヴィオレーヌ、カルヴィン達に無事を知らせることはできるか? 入れ違いになったら困るし、捕縛しているとはいえ残党兵たちの見張りの数を減らしたくない」
「それなら……」
ヴィオレーヌは少し考えて、近くの木の枝を一本魔術で切り落とした。
そのまま細長い板のようなものを作成すると、魔術で文字を彫っていく。
――殿下もわたしも無事です。こちらから合流するので動き回らず待っていてください。ヴィオレーヌ
「これでいかがですか?」
「ああ、大丈夫だろう」
ルーファスに文字を見せて許可を得たので、風魔術で崖の上に飛ばした。
おそらく数名は崖の上にいるだろうと思ってのことだったが、案の定、板を飛ばした直後、上の方から「殿下ー!」と声がする。
「俺は無事だ! 今からそちらへ向かう!」
ルーファスが声を張り上げると、声が届いたのだろう、木の棒に騎士の服を結び付け旗のようにしたものがブンブンと振られるのが見えた。了解、ということだろうか。
ルーファスがヴィオレーヌと手を繋ぎなおして「行くぞ」と促す。
「夜通し歩くことになるかもしれんが、夜が明ける前に合流したい」
「そうですね。戻るのに時間がかかると、ダンスタブル辺境伯も心配するでしょうから」
「ああ。無理をさせてすまないな」
「い、いえ……」
労わるように、すりっと絡められた指先が手の甲を撫でて、ヴィオレーヌは小さく肩を震わせる。だから、そういう甘いことをしないでほしい。
(もうっ、これからどうやって接したらいいの……?)
好きだと言われた。けれども愛は期待しないとも言われた。だからと言って、今まで通りでいられるはずもなく、ヴィオレーヌはルーファスの行動やまなざしにこの先も翻弄され続けるような気がしている。
「しかし、お前が作った改良版のポーションはすごいな。お前の傷が深くて、かなり焦ったんだが、ポーションを飲ませたらすぐに回復した」
(うぐっ)
飲ませたら、とか言わないでほしい。
意識がない人間に何かを飲ませたというのならば、それはすなわち口移しだろう。
気を失っていたからまったく覚えていないけれど、想像するだけで血が沸騰しそうになる。
「あ、あとで、また差し上げます。まだあるので……」
「助かる」
「で、殿下も、無事で、よかったです」
「ああ。お前のおかげだな」
ふっ、とルーファスが笑ったような気配がした。
ヴィオレーヌは心臓がうるさくて顔を上げられなかったが、こちらを見られている気がする。
(うぅ、さっきの場所まで、どのくらいの距離があるのかしら……?)
早く戻らなければ心臓が持たないかもしれない。
おそらく赤くなっているだろう顔を見られたくなくて、ヴィオレーヌは下を向いたまま、早くジョージーナたちと合流したいと、そればかり考えていた。
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