第2話 死後に動く者は、不死者だけだ
葬儀人エンバーは少女吸血鬼の火葬も終わらせた。
背にした鉄棺を石畳に引きずり、一歩ごとに石臼を挽く音を響かせながら、再び迷宮の通路を歩きはじめる。
泣き喚く声が、すすり泣く声が通路の先から聞こえてくる。
女は歩調を変えることなく声の方へと向かう。
「起きてよ! 目を開けてよ、リック!」
「やめなさい。我々にできることは、もはや彼の冥福を祈ることだけです」
「嘘よ! あなた神官なんでしょう! 生き返らせてよ!」
「私が知る限り、そんなお伽噺のような聖術は存在しません。冥界を渡った者の魂は、二度と現世に帰らないのです」
通路を曲がった先に、男の死体に縋って泣く女がいた。
男の死体は金属で補強をした革鎧で、女はもっと軽装だ。男は前衛の戦士で、女は斥候役なのだろう。死体に縋る女の横にはゆったりとしたローブを身にまとった男。こちらは魔術士だろう。
前衛、斥候、そして後衛の魔術士。迷宮浅層ではよくある組み合わせだ。
その周辺には切り傷や焼かれた跡のあるゴブリンの死体が数体転がっている。ゴブリンとは迷宮が生み出す魔物の一種だ。緑の肌に汚らしい
――いままさに、ここで一人の冒険者が亡骸を晒しているように。
ゴブリンの死体は輪郭を失いかけ、半透明になっている。これは斃されてから長い時間が経っていることを示していた。迷宮が生み出した魔物は、斃れると魔力に分解され迷宮に還元される。迷宮内で死体が残るのは、冒険者や外から侵入した魔物、動物の類だけだ。
エンバーは歩調を変えぬまま、そこへ行く。
近づく石臼の音に、斥候の女がいち早く気がついた。
「何!? 葬儀屋!? あんたの出番じゃないわよ!」
「我々はこれから、彼の遺骸を連れて地上へ戻るところです。彼を待つ妹や弟に、せめて最後のお別れをさせてやりたい」
「そうじゃない! リックはまだ死んでない! 医者や神官が手当てをすれば目を覚ます!」
斥候と魔術士は、戦士の死体を守るように立った。斥候は短剣を、魔術士は杖をエンバーに向けている。石臼を挽く音が止まった。
「死者は生き返らない」
墓場で吹く風のような声――エンバーだ。
「だからリックは死んでない!」
「死んでいる」
エンバーの白い指が、戦士の死体を指す。
戦士の革鎧には胸から赤黒い染みが大きく広がっていた。その脇の石畳には黒く固まった血に塗れた小剣が転がっている。ゴブリンに突き立てられたものを引き抜いたのだろう。
その顔からはすでに血の気が失せている。見開かれたままの瞳に蝿が止まり両手を擦る。瞬きもしない。
「手遅れだ」
墓場の風が繰り返す。石臼を引く音が、一歩分。
「だから、まだ間に合う!」
斥候の女が泣きながら戦士の死体に覆いかぶさる。
「死は認めます。しかし、遺体は我々が持ち帰ります」
魔術士の杖が紫電をまとい、空気が灼ける匂いが漂う。
「正しく弔えば間に合った」
墓場の風が言った。
「ほら! 動いた! リックは生きてる!」
戦士の体がびくんと跳ねた。
斥候の女は狂喜し、そして戦士の体を抱き締める。それに応えるように、戦士の体が女を抱き締め――獣のようなうめき声を上げながら、斥候の白い首筋に歯を立てようとする。
その刹那。
太い鎖の先端が戦士の額を貫いた。戦士の体は釣り上げられた魚のようにびちびちと暴れ、腐臭のする血を撒き散らかしながら石畳の上をのたうち回った。
斥候は「ひっ」と短い悲鳴を上げ、跳ね飛ばされる。そして人であればあり得ぬ動きをする戦士の体を見た。
さらに鎖が宙を走り、戦士の四肢を貫く。
そのまま頭、両腕、両足。それを鎖に貫かれたまま、戦士の体は壊れた操り人形のように出鱈目に暴れる。
じゃりじゃりと金属が擦れる音がして、戦士の体は黒い棺に飲み込まれた。そして、黒い棺は洩れる炎で迷宮を仄明るく照らした。
「死後に動く者は、不死者だけだ」
呆然とする斥候と魔術士を残し、鉄棺を石畳に引きずる音だけが徐々に遠ざかっていった。
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