第二章 新人葬儀人アイラ・モルト

第5話 エッセレシア聖光教会退魔庁不死者対策省メイズ分局

 迷宮での仕事を切り上げたエンバーは地上に戻った。


 行く先はメイズの西街区にある煉瓦造りの二階建てだ。それには『エッセレシア聖光教会退魔庁不死者対策省メイズ分局』と小さい文字がぎっしりと書かれた表札がかかっていた。だが、この長すぎる正式名称で呼ぶ物はおらず、部外者どころか関係者さえも、ただ「葬儀屋」と呼んでいる。


「おつかれさん。首尾はどうだった?」


 ドアを開けたエンバーを出迎えたのは、デスクでパイプを咥える壮年の男だった。

 分局長のサイラスだ。白髪混じりの短髪で、最近は顎髭にも白いものが混じり始めている。襟付きの白シャツにベスト、両手にはインクの汚れを防ぐための腕抜きという、聖職者と言うよりも商家の事務員という雰囲気だ。


「吸血鬼が2匹。あとは忘れた。それから胸に穴が空いた」

「忘れたってな……報告書を書く身にもなってくれ。って、胸に穴って大丈夫か?」 

「服が破れた。新しい服をもらう」

「そうじゃなくてな……」


 エンバーは黒い外套を脱ぐと、血で汚れたそれを丸めてゴミ箱に突っ込んだ。フードに隠されていた背中まで伸びる銀髪が、オイルランプの灯りを反射して妖しくきらめく。続けてシャツまで脱ごうとするのを、サイラスが慌てて止めた。


「一応、女のなりをしているんだ。少しは気を使え」

「私は気にしない」

「こっちが気にするんだよ……。それに、新人に悪影響があるだろ」

「新人?」


 エンバーは問い返す。

 この都市での不死者対策はエンバーだけで足りている。何しろ怪我とも疲れとも無縁で、睡眠すら不要なのだ。ひとりで何人分もの仕事ができる。新人が配属されることなどもう十年以上もないことだった。


「本店からの通達で、明日から研修生が配属されるんだとさ。ぜひメイズ分局でって申し出たらしい」

「なぜ?」

「まあ、十中八九お前さんが理由だろ。不死人駆除の実績じゃ、お前がダントツなんだから」

「私には関係ない」


 サイラスは白髪頭をぼりぼりとかく。


「そうじゃない、話を聞いていなかったのか? お前が原因なんだよ。研修生の指導はお前にやってほしいって言われるに決まってるじゃねえか」

「面倒だな」

「面倒でも仕方がねえだろ。反対派のスパイかもしれんから、接し方には気をつけるんだぞ。まずは着替えは更衣室でやれ。服の在庫はまだあったろ」


 根本的に、不死者は教会の――いや、人類の敵だ。ゾンビや吸血鬼の大感染で滅びた村や町は数知れないし、死霊に憑り殺される例もある。エンバーに人肉や人血への嗜好はない。だが、不死者というだけで脅威と考えるのは当然だった。それ以前に、そもそもエンバーが教会の組織で働いているのがあり得ないことなのだ。


 教会の内部にはエンバーを討伐すべきだと強く主張を続ける一派が存在しており、その防波堤として胃を痛めているのがサイラスだった。この事務所が教会の敷地内にないのも、反対派への配慮なのだ。


 正直、サイラスにもエンバーが何を考えているのかははっきり理解できていない。だが、せっかく味方となってくれた強力な不死者を、率先して敵に回すべきでもないと思っていた。エンバーが本気で敵となったなら、どれだけの戦力が必要になるかわかったものではない。


 ようやく更衣室に向かったエンバーの背中を見ながら、サイラスは深いため息をついた。

 明日やってくる相手も、一筋縄ではいかない人間であるのは間違いない。


 * * *


「初めまして! アイラ・モルトと申します! 本日からお世話になります!」

「初めまして、ようこそ。メイズ分局長のサイラス・ホワイトだ。でこっちはアイラの教育係となる――」

「エンバーだ」


 やってきた赤毛の少女にサイラスは拍子抜けしていた。てっきり、やってくるのは研修を騙るベテランだと想像していたのだ。しかし、やってきた少女は十代半ばほど。神学校を出たばかりの本物の新人にしか見えないのだ。


「わあー! 初めましてエンバーさん! 本当に背が高くてお綺麗ですねえ。羨ましいなあ」


 アイラはエンバーに握手を求める。エンバーと並ぶと頭の高さは胸くらいだ。まだ成長期なのかもしれない。なんというか、見ていると栗鼠を連想させる。


 しかし、油断はできない。

 何らかの秘術を用いて無害な外見を装っているのかもしれない。


「エンバー、研修生に何かないよう気をつけろよ・・・・・・

「わかった」


 念押しでエンバーに声をかけたが、伝わっている気がしない。そもそも、もう長い付き合いになるというのに、エンバーが表情を動かすところも見た記憶がないのだ。


 思わずこっそり後をつけようか悩む。しかし、このアイラという少女の実力が未知数だ。尾行を気取られれば、逆に痛くもない腹を探られ兼ねない。ならば、いっそ同行を申し出るか。その場合の理由は――


 そんな逡巡をしているうちに、エンバーとアイラは事務局を出てしまった。

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