第49話 圧倒

「おお、骸の王の后よ! ついにお目にかかれるとは!」

「后ではない」


 エンバーが棺を引きずりながら、山羊頭の巨人ディアボロスに近づいていく。しかし、その背には常とは異なるものも背負われていた。


「サイラスさん……あれってもしかして……?」

「ああ、たぶんそういうことだろうな……」


 アイラとサイラスはエンバーの背中を見た。そこには、老若男女、そして異形を含んだ7つの生首が鎖に絡んで吊り下げられている。それらは苦悶の表情を浮かべ、瞬きをし、口を歪めている。まだ生きて・・・いるのだ。


「そ、それは我が魂の片割れ!? なぜ貴女がそれを!?」

「狩ってきた。お前が最後だ」


 エンバーが無造作に前蹴りを繰り出す。悪魔ディアボロスの片膝が逆に折れ曲がり、鮮血を吹き出し白い骨が露出する。


「どうやってそんなことが……」

「分かれた魂は引かれ合う」


 悪魔ディアボロスは片膝を付いていた。それはまるで、貴人に対して跪いているかのように見えた。


「フハ、フハハハハ! 分命の術にはそんな秘密もございましたのか! ああ、偉大なる骸の王よ! 御身の后よりまた新たな智慧を頂戴しました!」

「后ではないと言っている」


 悪魔ディアボロスの額に、エンバーの白い手が添えられる。エンバーと同じ大きさはある山羊頭がゆっくりと下がり、地面に押し付けられる。悪魔ディアボロスははっはっと荒い息を吐いていた。エンバーの剛力に抵抗しているのだが、それはまるで従順な犬が主人に伏せ・・をしているようで滑稽な有り様になっていた。


「骸の王はどこにいる?」


 エンバーは悪魔ディアボロスに問うた。墓場に吹く風のような冷たい声だった。


「后が知らず、私めなどが存じ上げる道理がありましょうか。王の后よ、御身こそ骸の王がいずこにおられるか……」

「后ではないと言っている」


 悪魔ディアボロスの頭が床に押し付けられる。石畳にびしりと罅が走った。山羊の眼球が半ば飛び出し、血の涙が溢れ出す。


「き、后よ。御身は骸の王に后となるべく創られたのでは……」

「そうだ」


 ごきり、と鈍い音がする。山羊の口腔からもどす黒い血が溢れ出した。エンバーの圧力によって歯が砕けたのだろう。


「わ、わからぬ。わかりませぬ……。御身は骸の王の后なのでは……」

「違う」


 ごきり、ごきり、ごきり、鈍い音が連続する。眉間が陥没し、エンバーの繊手が半ばめり込んでいた。耳孔からも血が溢れ、地面は血の海に変わっていた。


「相変わらず会話が通じてねえな……」

「こ、こうなると哀れに感じちゃいますね……」


 サイラスとアイラは、その光景を呆然と見ることしかできなかった。打とうと斬ろうと傷一つ入らなかった怪物が、片手でいいようにあしらわれている。エンバーの怪力は重々承知していたが、岩をも砕く巨人さえ腕一本でねじ伏せるほどだったとは。


「もう一度聞く。骸の王はどこにいる?」

ら……らぬ……」

「そうか」


 エンバーの腕がいっそう深く沈んだ。山羊の口からごぼごぼと血の泡が溢れ、全身がびくんと震えた。眼球がこぼれ、ねっとりと赤い糸を引いて地面に落ちた。


 棺桶の蓋が開く。鎖が蛇のように蠢き、その漆黒に七つの生首が吸い込まれ、さらに悪魔ディアボロスの肉体が引き込まれる。生木を裂くような音を立てて巨体が潰れ、ひしゃげ、折れ曲がり、狭い棺の中へとねじ込まれていく。


「ま、待てエンバー! まだ焼くな! そいつは証拠になる!」

「何の証拠だ」

「お前が裏切ったわけじゃないってことだよ!」

「何の話だ」

「ああっ! くそっ、少しは察してくれ!」


 サイラスは頭をかきむしりながら早口で事情をまくし立てる。メイズから姿を消したエンバーに裏切りの疑いがかかり、教会が追手を仕向けようとしていることだ。


「そうか」


 一気に話し終え、肩で息をするサイラスへの返事はその一言だった。サイラスは再び頭をかきむしり、がっくりと肩を落とした。「お前のせいでどれだけ胃が痛くなったと……」と呟いているが、それはエンバーには聞こえていないようだった。


「あ、あの、エンバーさん? 骸の王の后がなんとかって話ですけど、それってどういうことなんですか?」


 項垂れてしまったサイラスに代わってアイラが質問をする。エンバーに裏切りの疑いがかかったのは、魔導書から見つかった骸の王の后として作られた存在こそがエンバーだと推測されたためだ。それを否定できなければ、教会の嫌疑が解かれることはあるまい。


「どういうこととは何だ」

「な、何と言うか……」


 アイラはつい先程のエンバーと悪魔ディアボロスとの会話を思い返す。要領を得ないやり取りだったが、引っかかるところがあった。


「ええっと、エンバーさんは、骸の王の后になるために作られたけど、骸の王の后じゃないってことですよね?」

「そうだ」


 必死に考えた質問だったが、返事はそれだけだ。理由までまとめて話してほしいものだが、それをエンバーに期待しても仕方がないことはこれまでの付き合いで理解できていた。


「あの、なぜエンバーさんは骸の王の后ではないんですか? 后になるために作られたんですよね……?」

「嫌だったからだ」

「え……?」


 思いがけない答えに、アイラは思わず固まった。嫌だったとはどういう意味なのだろう。


 アイラが戸惑っていると、エンバーが二三度瞬きをして、首を傾げた。エンバーのこんな仕草をするのは初めてのことだ。


「お前は初めて会う男に結婚しろと言われたら、そのまま結婚するのか?」

「いや、しない……と思います」

「殴ったら逃げた」

「は?」


 脈絡がない返答にアイラは呆気に取られる。しかし、エンバーは説明は済んだとばかりにアイラを置いて歩き出した。アイラはしばらく固まって、それから慌てて追いすがった。


「な、殴ったって、骸の王をですか!?」

「そうだ」

「じゃ、じゃあエンバーさんが骸の王を探しているのって……」

「一発では足りん」


 エンバーの拳が握りしめられ、ぱきぱきと音がした。アイラは思わず背筋が寒くなった。表情は何一つ変わっていないが、明らかな怒気を感じたのだ。


「つまり、気に入らない男に言い寄られたから追いかけてもう一発ぶん殴りたいってことかよ……」

「そ、そういうことみたいですね……」


 サイラスが魂が抜けたように歩いてくる。


「こんなのどうやって説明すりゃいいんだよ!」


 パイプに火を付け、胸の奥まで思い切り吸う。教会最大の戦力にして最悪の潜在敵であるエンバーと骸の王の因縁がこんなくだらないことだとは、誰も信じてくれないだろう。


「で、でもこれでエンバーさんが骸の王の后じゃないことははっきりしたじゃないですか」

「それをどう証明するかが問題だって話だよ……」

「あの……こういうのってどうですか?」


 アイラの提案に、サイラスは「はあ!?」と頓狂な声を上げた。

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