第35話 見舞

 骸の王とエンバーとの関係について、正面から切り込もうとサイラスが決意したときだった。病室のドアが騒々しく開き、二人の女が入ってきた。


「おーす! 元気に入院してっかー?」

「どういう見舞いの挨拶だ。元気じゃねえから入院してんだよ」


 ひとりはツバキだ。この斥候役を務めるハーフエルフの少女は、身軽さと目端が効くことを買われて教会の臨時雇いになっている。城壁外でしばしば放置される遺体の捜索を任されているのだ。


 遺体ひとつにつき銀貨2枚で引き取る施策も続行しているが、それだけでは見落としが怖い。先日の戦で教会の人員も逼迫しており、サイラスの推薦でこの任務に当たってもらっている。


「それで、お連れさんはどちらさんだ?」


 もう一人はサイラスが知らない女だった。

 すらりとした長身を白いワンピースで包み、銀色の長髪を結い上げている。薄く化粧をしているが、もともと抜けるほどの白い肌をしていることがひと目でわかる。長いまつげに縁取られた真珠色の瞳は茫洋としていて、どうにも感情が捉えがたい。見舞い品なのか、細い腕に何かを包んだ袋を提げている。


「ちょっと、サイラスさん何を言ってるんですか。エンバーさんじゃないですか」

「は?」

「何?」


 アイラの言葉に、サイラスとゴゴロガが揃って間抜けな声を出した。


「ったく、野郎どもはホント節穴だね。女が化粧するとすぐにわかんなくなっちまうんだから」


 ツバキがからからと笑うのに、サイラスとゴゴロガは「うっ」と呻いて俯いた。サイラスは長年女っ気のない暮らしをしているし、ゴゴロガは妻がするたまのお洒落を見落としてよく叱られている。要するに図星だったのだ。


「いやー、本当におきれいですね! 服もお似合いです。エンバーさんもこういうの持ってたんですね!」

「いや、あたしが買わせたんだよ。真っ黒な服で棺桶背負って菓子屋に並んでるからさあ。営業妨害だからやめろって。ついでに化粧もしたら王都の高級娼婦も裸足で逃げ出す別嬪さんの一丁出来上がりってわけさ」

「しょ、娼婦って……」


 ツバキの例えにアイラは思わず絶句し、顔を赤らめる。孤児のアイラは物心ついたときから教会で育ったため、そういう話に免疫がないのだ。


「と、ところでお菓子屋さんって?」


 アイラはエンバーが黙って突き出した袋を受け取り、中身を見る。


「あ、この前エンバーさんが気に入ってくれたお菓子ですね!」


 入っていたのは以前アイラが並んで買い求めたパンケーキだった。あの店はメイズ市でも屈指の人気店で、いつも行列が出来ている。いくらこの街の人間がエンバーを見慣れているとはいえ、棺を背負った黒づくめの女が並んでいるのは確かに迷惑だろう。ツバキの気遣いに、アイラは目顔で感謝する。


「これ、が、エンバー……」


 エンバーの変身ぶりに最も衝撃を受けているのはサイラスだった。無論、エンバーの美貌については出会ったときから知っている。だが、それはどこか作り物めいた非人間的な美しさで、寒々しさを感じさせるものだったのだ。


 しかし、目の前の女にはそれがなく、はっきりと人間の美女に見えた。サイラスがもう十も二十も若く、エンバーの正体を知らなければ懸想していたかもしれない。余談であるが、すでに街では突如現れた謎の長身美女の噂が拡がりつつある。


 タネを明かせばチークと口紅で赤みを足しただけなのだが、化粧など知らないサイラスにはまるで想像もつかないことだった。


「ひょっとして、サイラスさん……。エンバーさんに服も化粧品も買ったことないんですか?」

「いや、その……そんなもの欲しがらなかったからな……」


 アイラの冷たい視線にサイラスは冷や汗を垂らす。エンバーが何か物を欲することがなかったのは事実だが、逆に言うとエンバーが黒衣を好んだわけでもない。なるべく目立たないよう、また下手に機嫌を損なわないよう、初めて出会ったときに着ていた黒いローブに似たものを用意し続けていただけだった。


「うわー、マジかよ。甲斐性のない男は捨てられるぞ」

「甲斐性って何の話だ!? 俺とエンバーはあくまでも仕事上の付き合いで……」

「二十年以上も一緒にいて何もないってことはないでしょ」


 にやにやするツバキに、サイラスは頭をかきむしる。本気で勘違いをされているようだ。助けを求めてゴゴロガへと視線を向ける。


「俺でもカミさんの誕生日には髪飾りのひとつも買ってやるぞ」

「おまっ!?」


 ゴゴロガまで敵に回ったことで、サイラスは完全に孤立した。誤解を解くべく、今度はエンバーに水を向ける。


「おい、エンバー。お前から何か言ってくれよ……」

「何かとは何だ」


 完全な無表情。抑揚のない声。

 ツバキはそれを痴話喧嘩だと解釈し、腹を抱えて笑う。


「くそっ、なんでこんな誤解を……。おい、アイラ、俺にも菓子を寄越せ」

「はいはい、エンバーさんの心がこもったお見舞い品ですからね。じっくり味わってくださいよ」

「わかった、わかったよ」


 サイラスはやけくそになって大口でパンケーキを頬張る。ふかふかと柔らかく、蜂蜜の甘みがしっかり効いていて確かに美味い。評判になるのも頷ける味だった。


「見舞い、ありがとな。……それから、すまなかった」


 サイラスは小声で感謝と謝罪を伝える。まさかエンバーが見舞いに来るなど想像もしたことがなかった。アイラが来てからの短い期間で、サイラスはいかに自分がエンバーを知らなかったのか……否、知ろうとしなかったのかを痛感させられていた。


 サイラスの痛恨が込められた言葉にも、エンバーの表情はぴくりとも動かない。サイラスがパンケーキを食べるのを黙って見つめている。そして食べ終わったとき、やっと口を開いた。


「しばらく出る」

「おう、そうか」


 踵を返して病室を出るエンバーの背中を、サイラスはいつものように見送った。迷宮に潜って不死者狩りをするのだろう。迷宮に潜るときのやり取りはいつもこのようにあっさりしたものだった。


「熟年夫婦みたいだねー」

「黙ってろ」


 からかうツバキをサイラスは苦々しい顔で睨みつけ、病室は笑いで包まれた。




 それからひと月が過ぎても、エンバーは戻らなかった。

 そして教会から、エンバーの討伐が正式に発令された。

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