第21話 氷棺

 腐った肉が弾け飛ぶ。腐った肉が弾け飛ぶ。肉が、肉が、肉が、べちゃりどちゃりと雨の如く降り注ぐ。


 乱打、乱打、乱打。

 鎖に繋がれた黒い棺が宙を躍る。腐った竜の全身が打ち据えられ、頬骨が、大腿骨が、肋骨が背骨が尾骨が露出する。


 乱打、乱打、乱打。

 露出した骨が繰り返し打たれ、ひび割れ、へし折れ、剥がれ落ちる。床に積もった腐肉の上に、骨の欠片が重なる。


 乱打、乱打、乱打。

 竜の身体が徐々に縮む。打たれるたびに小さくなる。威容を誇った巨体がただの肉塊に解体されていく。


 頭骨に鉄棺が振り下ろされる。無数の破片に割れて散る。後に残ったのは一面に広がる肉と骨と溶け落ちたはらわた。その中に立つ、棺を背負った白い裸身。赤と黒を出鱈目に混ぜた絵の具の上に、白を一筋垂らしたような。


「うはははは! うはははは! わたくしめの竜を一蹴! なんという苛烈! なんという可憐! 僭越ながらこの美にもう一色を加えましょう!」


 腐肉にまみれた道化師が蜥蜴の指で天を指す。天井が割れ、緑色の粘液が滝のように降り注ぐ。白い裸身が半透明の緑に覆われる。通路の天井まで届く粘った塊がエンバーの身体を飲み込んでいた。


「丹念に丹精に蝶よ花よと手塩にかけて育てたグリーンスライムでございます。まっとうに貴女を打ち倒すことを願うなら地上に太陽でも召喚せねば不可能でしょう。しかしッ! 封じ込めることならばどうかッ!」


 道化師の手から水色の花びらが放たれ、スライムを包み込む。花びらがスライムに張り付くたび、その箇所が瞬時に凍りつく。数瞬の後には緑の氷山が出来上がっていた。氷山の中心には棺を背負った裸身の女。


「傷は塞がりましょう。欠けた身体も再生しましょう。灰の一片まで焼き尽くそうとも、棺の中から復活されましょう。しかし、しかし、しかししかししかし、これならいかがでしょうか? 千年万年凍り続ける氷の棺でございましたらッ!」


 道化師は氷山を這い回り、あらゆる角度から氷漬けのエンバーを舐めるように眺める。エンバーは目を見開いたまま凍りつき、指一本も動かさない。


「うはははは! いひひひひ! 完璧だ! 時よ止まれ、お前はなんと美しいッ! ……ぎゃうっ!?」


 道化師が地面に落ちる。その背中には2本の楔状の武器が刺さっていた。


「このキモいのがエンバーが追っかけてったやつ? って、エンバー凍ってんじゃん!?」


 それはツバキが放った棒手裏剣だった。祝福された銀メッキが道化師の体液と反応して傷口を焼き、異臭を伴う煙を上げる。


「こんな奇妙な魔物、見たことがないぞ」

「ぎゃんっ!?」


 道化師の左足が飛ぶ。粘膜に覆われ両生類に似たそれはべちゃりと湿った音を立てて床に転がった。ゴゴロガの戦斧が切り裂いたのだ。


「尊き神の名のもとにあなたを成敗します!」

「おおおおお、危ない! 危ない!」


 道化師がごろごろと床を転がる。その後を銀色の三節棍が降り、石畳が次々に砕ける。アイラによる追撃だった。


「これはこれは存外に早い再会で! 皆々様も骸の王の復活を心待ちにされているのでございますね! 来賓は大々的に歓迎せねばなりますまい!」


 道化師は逃げ回りながら花びらを撒く。ワイト化か、爆破か、冷却か、鋸の如き切断か。その効果を知る者は道化師のみ。


「厄介な術は封じさせてもらうよ」


 その足元に小壺が投げつけられて砕ける。床に散った液体が沸騰し、もうもうと蒸気が立ち込める。蒸気に触れた花びらが次々に消え去っていく。サイラス特製の聖水蒸気だ。


「おお、皆様は準備万端意気軒昂と言うわけですな! これはわたくしの失態!

 歓迎の準備が不足しておりました! ここは一旦失礼して……があっ!?」


 道化師が壁を這い天井に張り付いた途端、そこに紫の雷光が発生して弾き飛ばした。


「<紫電結界>。一帯を雷の網で包みました。逃走も援軍もなしですよ」


 オドゥオールの魔術だ。サイラスから廃屋での戦いの様子を聞き、動きを封じるためにこの術をあらかじめ準備していたのだ。


 地に落ちた道化師にアイラとゴゴロガの追撃が殺到する。三節棍が骨を砕き、戦斧が肉を切り刻む。道化師は鮮血で全身を染めながらも死にかけの虫のように暴れ続ける。手足を切り飛ばしても、新たに別種の生き物の手足が生えてきて弱る気配がまるでない。


「痛い! 痛い! 痛ァーーいィーーーー! おお、偉大なる骸の王よ! 天に在し地底に眠る我らが王よ! わたくしめの卑しい血を! 肉を! 腐汁のしたたる魂を! どうか御身の復活の贄に加えたもう!」

「尋問どころか生け捕りも無理だな、こりゃ」


 サイラスが小型のスリングで赤い水晶を弾いた。それは道化師の片目に突き刺さり、内側で爆発する。薄い桃色の脳漿が辺りに飛び散り、首から上を失った道化師の肉体はようやく動きを止め、崩れ落ちた。

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