第四章 不死累々
第20話 牛挽肉
轟音。
迷宮が震える。
鉄棺が床に突き刺さり、爆発したかのように石畳が砕け散る。瓦礫に混じって飛び散るのは腐肉の欠片。黒く変色したはらわた。千切れた太い腕。蹄のついた足。そして牙を生やした牛の生首。
牛頭人身の魔物の群れが、黄燐の火をまとってエンバーに押し寄せていた。道化師によってワイト化されたミノタウロスだ。不死者になったことにより、生者だった頃より膂力も耐久力も増している。
長身のエンバーだがミノタウロスの巨体に比べれば遥かに小さい。倍以上は大きい体格のミノタウロスワイトを、エンバーは鎖に繋がれた棺をフレイルのように振るって軽々と吹き飛ばし、そして叩き潰して肉塊に変えていく。
「うはははは! うはははは! これはこれは恐ろしい! さすがは骸の王の最高傑作! 恐ろしや恐ろしや!」
燐火の群れの先には天井を這う道化師がいる。厚塗りの化粧で覆われた顔が狂笑に歪む。その顔面に向かって鎖が伸びる。道化師は六本足で壁面を這ってそれを躱す。
「三十余りのミノタウロスをワイト化しても一瞬で挽肉でございますか! これはこれは喜ばしい! 悦ばしい! ああ、偉大なるは骸の王よ!」
迫りくる鎖の本流を道化師は踊りながら避けていく。燕尾服はあちこちが破れ血と泥で汚れている。今や異形と化しているのは左腕の虫の肢だけではない。右腕は蜥蜴のそれに、両足は腫瘍と粘液にまみれた何かに変わっていた。
「こちらはどうか!? 骸の王の
通路の先から小山のような黒い影が現れる。人間を一飲みにできる巨大な
――ドラゴン
魔物の頂点に位置する種族。それが腐った肉汁を全身の穴から――虚ろな眼窩から、耳孔から、鼻孔から、肛門から、だらりと垂れた性器の先から――どろりどろりと垂れ流しながら、地響きを伴ってエンバーに迫る。
ドラゴンゾンビ。物語の中ですら滅多に現れない怪物が通路を埋め尽くす質量を持って現れたのだ。
「ブレース! 毒息を! 鉄をも溶かす高熱の毒息を! 一息で鼻血ぶー! 肺が腐って泥を吐き! はらわたをひり出すような下痢になる! そんなブレスを! 最高のガスを! すべて骸の王の最高傑作に吐き出すのです!」
道化師の長広舌。
ドラゴンゾンビの口から大量の黒い息が吹き出される。わずかに残っていたミノタウロスワイトの肉が一瞬で溶け、高熱で炙られた骨は砕けて細かな灰へと変わる。
エンバーは避ける素振りもない。
表皮が一瞬で溶け、焼け、ぶすぶすと沸騰しながら筋肉が露出。眼球が白濁し、即座に炭化。その下の肉も腐り落ち、白骨が剥き出しになり、それもまた粉々になって毒の濁流の中で跡形もなく消え失せる。
「うはははは! いひひひひ! 何も! 何もなくなった! 骸の王の傑作に! 仰ぎ見る御身に! 偉大なる御身に! 眩い太陽の如き御身が創り上げし最高傑作にッ! 道化師如きの、わたくし如きのお巫山戯が倒してしまったぁーーーーッッ!!」
赤熱する通路に道化師の哄笑が響く。生ゴミを煮しめたような腐臭を漂わせるそこには黒い棺だけが残されていた。その周囲には蛇の抜け殻を思わせる鎖がだらりと床に伸びている。
「いひっ! いひひひひ! これでは骸の王は蘇らないッ! 骸の王は失われてしまった! しかしッ! わたくしこそが骸の王の最遠にして最近の者、物、モノ! ああッ、目覚めの接吻はわたくしに権利が! つまりそういうことッ!」
道化師は異形の六肢をでたらめに振り乱しながら棺の周りを這い回り、踊り狂い、唾液を吐き散らかしながら哄笑する。止めどもない涙を流しながら、厚塗りの化粧をどろどろと溶かしながら泣き喚く。
「いぎー! ぎぃぎぃぎぃ! 骸の王よ! 千年の眠りにつきし王よ! 千年紀に目覚めし王よ! ああ、いずこに去られてしまったのか! ああッ、偉大なる御身よ! 再臨を! 卑賤で卑屈で卑怯なるわたくしめを打擲せしめんがため、再臨を願い奉りますッ!」
――我が身よ、煉獄より来たれ
黒い棺から冷たい声が響いた。
――我が身よ、煉獄より来たれ
棺がぎちぎちと震える。
――我が身よ、煉獄より来たれ
蓋が開く。
鏡面のように真っ黒な平面から、真っ白な裸身が立ち上がる。星空のように輝く銀髪。白磁のように透き通る肌。細く滑らかな人形のような肢体。
その繊手が道化師の首を無造作に掴んだ。
「骸の王はどこにいる?」
白く長く、細い指が道化師を締め上げる。肉に食い込み、皮膚が破れ、隙間から血が溢れる。
「げぎゅうっ!? げっ、げっ、げっ、ぶぎゅっ」
道化師は首の肉を引きちぎりながらエンバーの手から逃れる。血に塗れた頚骨を晒しながら、胸元を血で染めながら、血を吐きながら道化師が謳う。
「うはははは! うははははは! 喜ばしい! 相応しい! 美しい! 輝かしい! まさにまさにこれはこれは骸の王の至技! まさしくただしく王の傑作!」
真紅を撒き散らかしながら道化師はぐるぐると踊る。
そして腐ったドラゴンが、一歩、また一歩と地響きと共に迫った。
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