第46話 不死の王国

 死霊術師の長い長い語りが始まった。

 それは咳混じりでひどく聞きにくいものだったが、くらい情念が滲み出るような語りだった。


 * * *


 ――それは万年の昔に遡る。


 一人の男がいた。

 男は神の敬虔な信徒で、陽神ソリスを敬い、陰神ノクスを崇めていた。神をより深く知るために、経典を熱心に研究し、日々祈りを捧げ神との対話を試みた。


 何年、何十年とそんな日々を過ごしたが、彼に恩寵が授かることはなかった。神の恩寵がなければ、奇跡の顕現は出来ない。奇跡の強さは信仰の深さに比例すると言われる。男は誰もが認める信仰心を持っていた。だが、なぜか神は男を選ばなかった。


 それでも男は信仰を止めなかった。そもそも己の解釈が間違っていたのかもしれないと、より研究にのめり込んだ。経典の外にも知識を求め、医術を学び、錬金術を学び、魔術まで修めた。男は信仰者として以上に賢者として名を高めた。


 ある時、ひどい疫病が男の国を襲った。聖職者たちは熱心に祈ったが、癒やしの奇跡もこの病には太刀打ちできなかった。麦の穂が刈られるように人々の命が瞬く間に失われていった。


 男の周囲も例外ではなかった。妻と娘が病に斃れた。師や友人を幾人も失くした。家畜も全滅し、財産を失った。男自身も病に冒され、一命を取り留めたものの全身に醜い爛れの跡が残った。男は人目を避け、引きこもって何かの研究に打ち込みはじめた。


 疫禍が収まる頃には、国の半分以上が死んでいた。死体は路傍に放置され、それを喰らう禽獣や魔物が街中に蔓延った。神殿を野良犬がうろつき、屋根に蝙蝠が巣を作るほどの荒れようだった。


 隣国の王はこれを好機と見た。兼ねてよりこの国の土地を欲していたのだ。隣国とは奉じる神が異なっていた。疫病は彼らの神が齎した奇跡であると喧伝し、すべてを奪い去るべく軍を発した。


 隣国の軍は思うままに奪い、犯し、殺した。見目のよい若い女と子どもには首輪をかけて奴隷とした。踏み躙られる民たちは隣国に災いあれと神に祈ったが、それが叶うことはなかった。


 半分に減った民のそのまた半分を狩り尽くした頃に、王の軍勢の前に一人の男が現れた。男の顔は醜く爛れ、目は白濁して見えているのかもわからない。歯もほとんどが抜け落ちて、口はぽっかりと空いた黒い穴になっていた。手足は枯れ枝のように細く、その身からは死臭を漂わせていた。


 王はこの不敬者に声をかけた。この哀れな男を甚振り、絶望の内で殺してやろうという戯れだった。


「余は偉大なる王である。これは余が率いる偉大なる軍勢である。この偉大なる道行きを遮る愚か者よ。余に跪き、己の神を呪ったならば命だけは助けてやろう」


 神を呪った者は冥府に行けず、煉獄で焼かれ続けるというのがこの国の教えだと王は知っていた。命惜しさに信仰を捨てるか、あるいは何ひとつ助けない無力な神に縋るのか。王はにやにやと厭らしく笑った。


 だが、男の返答は予想とはまるで異なるものだった。


「神など居らぬ。居るのは偽物だ」


 白濁した目が王を睨む。黒く変色した指が王の顔を指差す。


「貴様も偽物だ。貴様が作った偽物の神に踊らされた哀れな偽王だ。地の支配者は人である。人こそが神である。偽神に縋る者などはすべて人間ではない」

「人こそが神だと言うのなら、貴様は神なのか」


 王の声は震えていた。男の指先から言い知れぬ不吉を感じていた。


「そうだ。我は神だ。地も水も風も火も支配し、生死をも司る神だ」


 男が言い終わると、王の眼球が腐ってこぼれ、眼窩から黒い血が溢れ出した。王は馬を降りると、よろよろと男まで歩き、跪いた。


 男は王には一別もくれず、痩せた身体からは想像もつかぬ大音声だいおんじょうで告げた。


「我は骸の王。偽神に代わって地上を治める神なり。我が威に従う者は生者として繁栄を享受させよう。逆らう者にも死者として礎となる栄誉を与えよう。どちらも神の道だ。好きな方を選べ」


 軍勢はざわめいたが、すぐに別の声が轟いた。勇猛で知られる弟王が男に槍を向けた。


「怪しげな術に王が誑かされた。全軍、彼奴きゃつを討ち取れ。王をお救いするのだ」


 男に向けて、全軍が一斉に槍を向けた。


「礎となるか。挺身、天晴である」


 男が軽く腕を振るった。万余の軍勢は王と同じく目玉が腐れ落ちた。


 それだけで隣国を屠った男は、以後己を骸の王・・・と名乗った。

 骸の王は死人の軍を従え、荒廃した国土を再興した。数え切れぬほどの死者で畑を耕し、狩りを行い、井戸を掘り、大河の流れをも意のままに変えた。豪壮な宮殿を建て、勇壮な城を造り、壮麗なる神殿を築き上げた。逆らう者は、死者の群れの一員となった。


 男は己が突き止めた生死の秘密を惜しげなく広めた。己の魂を二十と二つに分割し、僅かな生者に教えて回った。死者を呼び起こし、自在に操るその術はやがて死霊術と呼ばれるようになった。


 もはや己の手で泥で汚して畑を耕す者はいない。冷たい川で凍えながら魚を獲る者もいない。人々は音楽を聞き、物語を編み、詩を吟じ、美酒や美食に夢中になった。魔術や錬金術の研究が隆盛し、不死の王国はますます栄えた。


 時折、国外に遠征しては人を狩る。

 労働力となる死者の材料を得るためだ。低位の不死者であるゾンビやスケルトンは風化に耐えられない。その補充をするのだ。幸い、偽神を祀る愚か者たちは殺し尽くさなければすぐ増える。地上は王国の放牧場のようなものだった。


 己を不死者に変えることも流行った。ある者は生き血により長らえる吸血鬼となった。ある者は頑健な人狼となった。肉体が煩わしくなった者は魔力と霊魂のみで生きるレイスとなった。だが、彼らとて不滅ではなかった。幾百年、幾千年と経つうちに魂が摩耗し、消滅する者が増えていく。真の不滅に辿り着いたのは骸の王のみであると畏怖された。


 不死者は子を為せない。王国の民は緩やかに減っていく。千年ほど前のことだ。奴隷を除く人口・・が百に満たなくなった頃だ。


 王が宣言した。


「我と共に永遠を生きるものを創る。その引き換えに我は千年の時を眠る。殉ずるも自由にするも好きに致せ」


 こうして王は眠りについた。国民には共に眠りに就く者も、そうでない者もいた。こうして万年を誇る不死の王国は、しばしの眠りについたのだ。


 * * *


 死霊術師の長広舌が終わった。

 サイラスは皮肉な笑みを浮かべ、ぱちぱちとおざなりに拍手をした。


「万人の死体の上に築かれた繁栄かい。骸の王とそのお仲間たちはよっぽど性格がよかった・・・・んだな」

「これを聞いてなお愚弄するか。やはり偽神にまつろう者共は哀れだな」


 今度は死霊術師が皮肉げに笑った。


「で、あんたはその王国の生き残りかい? それとも、魔導書なりで後からかぶれたにわか・・・かい?」

「にわかとは言ってくれる。儂は三百年前に骸の王の偉大なる智慧に触れた。魂も13にまで分割できた。骸の王に最も遠いにもかからわず、その深奥に最も近づいたのが儂なのだ!」


 死霊術師が声を荒げ、直後に咳き込む。


「そのわりにゃ、ずいぶん弱って見えるがね。あんたの手先の方がよっぽどぴんぴんしてたぜ。さてはお前、魂の分割・・・・とやらで弱ったんじゃねえか? で、偉大なる骸の王様が蘇ったら、その失敗をなんとかする方法を教えてもらおうと目論んだ。違うか?」

「失敗などしておらぬ! これは骸の王の偉大なる御業の一部なのだ!」

「そうかい。じゃ、偉大なる御業とやらの力を見せてもらおうかね」


 サイラスとアイラは武器を構える。およその情報は得られた。何より、死霊術師が弱っているのは明白だ。捕縛して尋問することも可能だろう。そうすれば、エンバーの件で教会を説得する材料も得られるかもしれない。


「儂に刃を向けるか、度し難い愚か者どもめ。骸の王に最も近い力、見せてくれよう」


 死霊術師が右手を軽く上げる。すると、王座の背もたれの陰からもうひとつの人影が現れた。


 それは長身で、黒い外套を羽織っている。それは長身の女だった。腰まで伸びる銀髪に、感情の読み取れない真珠色の瞳。そして背中には黒い棺を背負っていた。


「エ、エンバー……?」

「エンバー……さん?」


 二人に向けて、蛇のようにうねる鎖が襲いかかった。

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