第47話 偽物

 サイラスとアイラは必死の思いで鎖の猛攻を躱していた。外れた鎖が床を叩き、石畳を砕く。こんなものが直撃したらただでは済まない。


「おい、エンバー! 正気に戻れ!」

「私たちのこと、仲間だって言ったじゃないですか!」


 躱しながら、大声で呼びかける。だが、エンバーの表情はまったく動かない。茫洋とした視線もどこを見ているのかわからなかった。


「ちっ、エンバー相手じゃいくらなんでもどうにもならん。一旦退くぞ!」

「逃がすと思うかね?」


 死霊術師が指を鳴らすと、背後の扉がひとりでに閉じられた。アイラが飛び蹴りを入れるがびくともしない。


「こうなったら<聖鎧>で……!」

「やめとけ! それで突破できなかったら詰みだ!」


 切り札を使おうとするアイラをサイラスが止める。<聖鎧>の効果時間が終わればアイラはろくに動けなくなってしまうのだ。


「とりあえず、こんなもんでお茶を濁すかね!」


 サイラスの手から小壺が投げられた。それは鎖によって迎撃され、空中で砕ける。中身の聖水が撒き散らかされ、エンバーと死霊術師の身体を濡らし、白い煙を上げた。少し遅れて床に散らばったものが沸騰し蒸気が立ち込める。道化師との戦いでも使った聖水の煙幕だ。


 視界が遮られたせいか、鎖の動きがでたらめになった。その隙に二人は広間に林立する柱のひとつに身を隠す。


「効くとは思えねえが、時間稼ぎにはなったか」


 煙幕の中からエンバーが出てくる気配がない。護衛のために死霊術師の側から離れられないのだろう。死霊術師自身に戦闘力はないという見立てには間違いがなさそうだった。


「しかし、エンバーはどうしちまったんだ。あの野郎に操られているのか、骸の王の后ってのが本当だったのか……」


 サイラスが白髪混じりの頭をかきむしる横で、アイラは口に手を当てて考え込んでいた。つい先程の光景に違和感をおぼえていたのだ。


「サイラスさん、あのエンバーさんってひょっとして偽物じゃないですか?」

「偽物?」

「だって、エンバーさんって聖水効かないですよね。それなのに、さっき聖水がついたら煙が上がってました」


 アイラが思い出したのは、メイズ郊外で死体の回収をしていたときのことだ。不死者が嫌うはずの聖水を、エンバーは平然と扱っていた。


「偽物なら、本物のエンバーさんほど強くはないかもしれません」

「それなら一丁試してみるか」


 サイラスが柱の陰から蒸気の中へ火霊石を投げつける。轟音とともに爆炎が破裂し、蒸気が吹き散らかされた。煙幕の晴れ間から黒い棺が垣間見えた。これを盾にして爆発を防いだらしい。


「ビンゴだな」

「はい! エンバーさんが攻撃を防ぐところなんて見たことありません!」


 エンバーの戦い方は特異である。その圧倒的な再生力に任せ、敵の攻撃など小雨ほどにも気にかけず、ひたすら攻撃に徹するのだ。


「少なくとも再生力は本物エンバーほどじゃねえって推測は立つな。それなら……うぉっと!」


 サイラスは咄嗟に身を屈めた。頭上を鎖が通り過ぎ、柱に叩きつけられ、大理石の小片が散った。


「さっきので場所がバレた! 移動するぞ!」

「はい!」


 サイラスが聖水の小壺を投げて煙幕を張る。二人はそれに紛れて別の柱の陰へと走り身を隠した。偽エンバーは煙幕の中をでたらめに攻撃していたらしい。その柱もひび割れだらけでぼろぼろになっていた。


「再生力が低いとしても、これじゃ反撃に移れませんね……」

「いや、攻め手はあるさ。半分博打だがな」


 サイラスの親指が先程まで隠れていた柱を指した。その瞬間、柱の根元で爆発が起きる。柱が斜めに傾いていき、ついに倒壊した。地響きとともに石礫が飛び散る。


「ちっ、惜しいな。もうちょっとで直撃だったのによ」


 倒壊した柱は王座の位置からは少しずれていた。火霊石や聖水では防がれてしまうが、大質量による攻撃であればさすがに防ぎきれないだろうと睨んだのだ。


「一体どうやって……?」

「これだよ、これ」


 サイラスがいま隠れている柱の根元を示す。そこには粘土状のものが細長く貼り付けられていた。道化師の迷宮で隠し部屋を発見する時に使った、火霊石の細粉を混ぜ込んだ爆発物だ。そして粘土からは油で濡らした縄が伸びている。


「いつの間に……!」

「歳を取ると抜け目がなくなるもんさ。さ、走るぞ!」


 火打ち石で縄の先に着火し、サイラスが駆け出す。アイラもそれを追って走る。二本、三本、四本と柱が倒壊するが、玉座に命中するものはない。


「小鼠がちょろちょろと! 無駄に足掻かず素直に死ね!」

「はっ、化け物の化けの皮が剥がれてきたな。おら、もう一本お代わりだ!」


 土煙の向こうから聞こえる死霊術師の怒鳴り声に、サイラスが怒鳴り返す。爆発音が轟き、五本目の柱が倒壊した。柱は今度こそ玉座に向かって倒れていく。偽エンバーが両手で棺を掲げ、それを受け止めた。


「エンバーさんなら、それくらい片手で払ってますよ!」


 その隙をつき、アイラが一気に間合いを詰める。勢いのまま三節棍を振るい、玉座に座る死霊術師の頭を撃ち抜いた。頭部を覆っていたフードが破ける。骸骨に干からびた薄い皮を貼り付けたような素顔が明らかになった。


 木乃伊ミイラのような肉体を持つ死霊術師――その正体はすなわちリッチだった。秘術によって朽ちゆく肉体に無理やり魂を固定させた上位の不死者だ。


「小娘が!」

「三百歳のおじいちゃんから見たら誰でもそうでしょうね!」


 激昂する死霊術師リッチをアイラは容赦なく追撃する。三節棍が振るわれるたび、乾いた骨が枯れ枝のような音を立ててへし折られていく。


 痛覚がないのか、リッチは呻き声ひとつ上げない。その代わり、口の中でぶつぶつと何かを呟いている。何かの魔術詠唱だろうか。術式を完成させるわけにはいかない。


 幸いにして偽エンバーも柱への対応でまだ動けない。

 このまま仕留める――アイラがそう決意したときだった。


 天井から異音が響いた。

 砂埃がぱらぱらと落ちてくる。

 続いて、無数の石塊が降ってきた。

 散々柱を壊したせいで、天井が崩落したのだ。


 巻き込まれてはたまらない。

 アイラは慌てて飛び退いた。

 アイラの眼の前で、轟音とともに瓦礫が降り積もる。

 玉座のリッチも、その脇の偽エンバーの姿も瞬く間に見えなくなった。


「これで決着……じゃないですよね?」

「願わくばくたばっていて欲しいもんだが……」


 まだまだ油断などできる状況ではない。サイラスは改めて小剣を構え、アイラも瓦礫の山に三節棍を向ける。


「どこまで……どこまで儂を……骸の王の威光を虚仮にするかっ!!」


 死霊術師の叫びとともに、瓦礫の山が吹き飛んだ。

 土埃をまとって姿を表したのは、山羊の頭に、背に蝙蝠の翼を持つ巨人だった。

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