第10話 ワイトで気をつけることは?
「エンバー! その道化は任せた! 絶対に取り逃すな!」
サイラスの叫びに、エンバーは視線すら寄越さず窓枠から中二階に飛ぶ。道化師のいる辺りだ。
「はあ……知ってはいたが冷たいこって。おい、新人。1階は俺たちの受け持ちだぞ」
サイラスはパイプを咥え、ため息とともに紫煙を吐いた。
「煙草なんて吸ってる場合ですか!」
アイラは荒縄を解いて懐から武器を取り出す。三本の棒を鎖で繋いだそれは三節棍。祝福を受けた聖銀を練り込み、不死者に対して強力な効果を発揮するものだった。
アイラはそれを振るい、押し寄せるワイトたちの脛や膝を打つ。黄燐の火が飛び散り、打たれたワイトは呻きながら床に倒れる。不死者の生命力は強い。一撃必殺は狙わず、まずは機動力を奪うのが対不死者戦の基本だ。
「教本の復習だ。ワイトで気をつけることは?」
「黄色い炎に触れないこと!」
アイラの三節棍がまたひとりのワイトを打ちのめす。中年の女だった。彼女もまた冒険者に騙されてゾンビにされたものだろうか。
「正解だ。生命素を吸い尽くされたら俺たちまでワイトの仲間入りだぞ!」
サイラスは胸いっぱいに吸い込んだ煙を吐き出す。紫煙が周囲に広がる。煙に触れた黄燐の火がゆらめき勢いを減じる。
「この匂いは退魔香!?」
「ああ、俺は<祝福技師>でな。こういう小細工で戦うんだよ!」
サイラスの手から宝石の粒が放たれる。それは執事服をまとったワイトの額に命中し爆発。頭部を失ったワイトが、首からどす黒い血を噴き上げながら崩れ落ちる。
「ならば私は従士として前衛に立ちます!」
「従士? ……いや、そんな場合じゃねえか。お言葉に甘えて、俺は支援に集中させてもらうよ」
サイラスが懐から瓶を抜き放ち、中身をアイラにぶち撒ける。<身体強化>の秘術が込められた聖水だ。アイラは身体が羽毛のように軽くなるのを感じる。
三節棍が竜巻のごとく振るわれ、彼らを囲むワイトの脛を、膝を、腕を、頭を打ち据える。命中した箇所からは燐火が失われ、明らかに動きが鈍くなる。
だが、敵の圧力は減らない。
数え切れてはいなかったが、広間にはゾンビ、執事、そして冒険者で百人近い者たちがいたのだ。それらすべてがワイトになったとして、数体を倒したところで形勢が変わりようがないのだ。
「退がれ! 壁を背にするぞ!」
背後で爆発音。
サイラスが先程の宝石――火霊石を大量に放ったのだ。水晶に閉じ込められていた火霊が解放されて暴れまわり、十体以上のワイトを巻き込んで吹き飛ばしていた。
アイラは押し寄せるワイトを牽制しながら壁際に後退する。だが、足を砕いたワイトは這い寄り、そして無傷のワイトはそれを踏み越えて迫る。薄汚れた冒険者が、腐りかけた死体が、茫洋とした顔の執事たちが押し寄せる。
「火霊石、もっとないんですか!?」
「あいにくと弾切れでね」
アイラの悲鳴混じりの叫びに、サイラスは小剣を抜いて応えた。さらに自分の身体にも<身体強化>の付与された聖水をぶち撒ける。
ワイトとは単体でも熟練の戦士に匹敵する強力な不死者だ。ここまでの大群が報告された例など教会の記録を漁っても十年以上はないだろう。生半可な腕では太刀打ち出来ない。
「白兵戦は専門外なんだがね!」
言葉とは裏腹に、小剣を振るうサイラスの動きは堂に入っている。伸ばされたワイトの手首を切り飛ばし、両目を切り裂き、膝頭を切って動きを鈍らせる。
だが、ワイトたちの圧力は弱まらない。アイラとサイラスは徐々に壁際に追い詰められていく。
「サイラスさん! 30秒だけ任せられますか!」
「なんとかギリギリな! 切り札があるなら頼むぜ!」
サイラスが前に出て、アイラを背に守る形となる。アイラは目をつむり、両手を胸の前で組んで聖句の詠唱を開始した。
――天に在します慈悲深き神よ、我らを照らす偉大なる太陽よ。氷を溶かす春の陽射しよ、雲間より伸びる光の柱よ……
アイラの身体の周辺に、光の粒が浮いてゆっくりと渦巻きはじめる。その間、サイラスは小剣を振るってワイトの津波を食い止める。燐火が何度もかすめ、サイラスの身体から徐々に体温が失われていく。
「やべ……30秒も持たなかったわ……」
サイラスが片膝をついた、そのときだった。
――仰ぎ見る御身の力の
詠唱の終了とともに、アイラの身体が白銀の鎧に包まれる。その姿はさながら
「<
白銀の騎士が三節棍を振るう。一振りで五、六体のワイトが雑草の如く薙ぎ払われた。
「もって1分。その間に決着をつけます!」
「こりゃ……たまげたねえ……」
<
聖騎士がワイトの群れに向かい、構えを取る。その瞬間だった。
「ぴえっ!?」
アイラは情けない声を上げて吹き飛んだ。ものすごい勢いで飛んできた黒い塊に弾き飛ばされたのだ。
「ますますたまげたねえ……」
黒い塊の正体は棺。中二階を見上げたサイラスの視線の先には、鎖に繋がれた鉄棺を縦横無尽に振り回すエンバーが道化師と対峙していた。
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