第9話 アイラ、ゾンビになる

 八つ刻の少し前。アイラとサイラスは郊外の廃屋を訪れていた。

 もともとは貴族か商人の別荘だったのだろう。庭が広く取られ、煉瓦造りの建屋は三階建ての立派なものだ。しかし、放棄されて長いのか、屋根にはところどころ亀裂が入り、壁には無数の蔦が這っていた。


「いらっしゃいませ。主からの依頼を受けてくださった冒険者様ですかな?」

「ああ、そうだ」


 赤錆だらけの格子門をくぐると、執事服の痩せた男がどこからともなく姿を表した。その顔はのっぺりとしていて、笑顔の形になっているが目に感情はない。人形のような男だった。


 サイラスは薄汚れた革鎧を身に着け、胡麻塩頭をインクで染めて冒険者に変装している。そしてアイラは――


「う゛あ゛あ゛あ゛あ゛……あ゛あ゛あ゛あ゛……」

「これは新鮮なゾンビですな。ささ、奥へとどうぞ」

「こいつはそのまま連れてきゃいいのかい?」

「へへ、お願い致します。主から挨拶がございますので、屋敷でお待ちを」


 アイラはゾンビの変装をしていた。昼間の少女ゾンビをそのまま使う手もあったのかもしれないが、どんな理由があろうとも死者を冒涜するわけにはいかない。そんなことをすればアイラたちが討伐する死霊術師と同類に堕ちてしまう。


「う゛あ゛あ゛あ゛あ゛……あ゛あ゛あ゛あ゛……」


 アイラは渾身でゾンビの演技をしながら、腰縄を引かれるままにふらふらと歩く。口には猿ぐつわがされ、腕は荒縄で後ろ手に縛られているが、あくまでもふり・・だ。少し力を込めれば結び目が解けるように細工がしてある。


 屋敷の扉は分厚い樫で作られており、打ち捨てられた歳月を感じさせないものだった。一方で蝶番はそうもいかなかったようで、執事が押し開けるとぎしぎしと不愉快な音で軋んだ。


 中は広間になっており、一度に百人は集まって宴会ができそうだ。左手には階段があり、そこから広間を見下ろす中二階へと通じている。広間にはすでに数十の冒険者が集まっていた。彼らが捕えてきたのだろう縄に繋がれたゾンビと共に。


 執事もひとりではなかったようで、広間のあちこちに姿が見える。どれも特徴のない顔つきに感情のない笑みを貼り付けている。


(これは予想以上に大規模ですね……)

(ああ、こりゃ親玉もよほどの大物だろう)


 小声で尋ねるアイラに、サイラスが渋い顔で応じる。

 取引の規模も黒幕の正体もわからなかったため、変装して潜入するという選択をしたのだ。エンバーは屋敷の外に身を隠している。棺を背負った女など、どうやっても変装できるものではない。


 この取引の黒幕、あるいはそれにつながる証拠を確実に押さえられるタイミングで合図を出し、エンバーが踏み込む。今回の作戦を大雑把に言えばそういう流れだ。


 遠くから鐘の鳴る音が響いた。

 ひとつ、ふたつ、みっつ……やっつ。


 どこかから楽団の演奏が聞こえてくる。

 収穫祭で流れるような、アップテンポの明るい調べ。


 手拍子。

 無数の執事たちが、白手袋を打ち合わせている。


 呻き声。

 ゾンビたちの呻き声が、調べに合わせた低い歌へと変わる。


「な、何なんだよこれは!?」

「薄気味悪りぃ……おい、さっさと報酬を払え!」

「俺は金さえもらえりゃそれでいいんだよ!」


 冒険者たちがざわめく。

 執事に掴みかかる者もいるが、執事たちは手拍子を続けるのみ。


「いやー、ごめんすまない申し訳ない。来賓の皆々様方をすっかりお待たせしてしまったようだ!」


 中二階に人影が立っていた。

 水玉模様の三角帽に赤い鼻。両目は黒い十字に縁取られ、左目の下には涙を模した水滴が描かれている。両手にリュートを抱え、背中には無数の打楽器、口元には笛が咥えられている。先程から流れていた曲は、この道化が独りで演奏していたようだ。


 道化は手でひさしを作り、階下をわざとらしくぐるりと見渡す。


「ほうほう、これはこれは新鮮なゾンビ、ゾンビ、ゾンビでございますな。まるで生きているかのようだ。っと、余計なことを申しましたな。ゾンビの異名は生けるしかばね、リビングデッド、生きているかのようで当たり前のことにございますな」


 道化は高笑い。執事たちが、ゾンビたちがそれと共に笑い声を上げる。


「おい! てめえは誰なんだ! こんな茶番はどうでもいい! 俺たちは金をもらいに来たんだよ!」


 冒険者のひとりが大声を上げる。


「おやおやおやおや、これは誠に大変に深々と申し訳ない。名乗りが遅れに遅れておりましたな。わたくしめは名も無き道化師にてございます。ただひたすらに一心に、誠心誠意<骸の王>の復活をことほぐ者!」


 道化が両手を高々と上げると、その手のひらから花吹雪が舞った。無数の花びらは広間いっぱいに広がり、雪のようにひらひらと降り落ちる。


「雁首揃えてよくいらしゃった外道ども。生ける同胞はらからを不死者に落とし、己は醜く生に、小金にしがみつく。すばらしい! すばらしい! 地獄の扉に手をかけたあなた方は、<骸の王>の復活の贄にふさわしい!」


 降り注ぐ花びらが、黄色い炎をまとって燃え上がる。


「アイラ! 聖句を唱えろ! 結界だ!」

 サイラスがアイラの猿ぐつわを剥ぎ取る。


「は、はいっ!? 天に在します慈悲深き神よ、我らを照らす偉大なる太陽よ――」


 アイラは反射的に聖句を唱える。

 これは神学校で叩き込まれた基本中の基本だ。状況が理解できずとも、「聖句を唱えろ」と言われれば無条件に反応するようになっている。


 青白く光る聖印が宙空に浮かび上がり、それが連なってアイラを中心に半球状の結界が発生する。その結界をすり抜け、一枚の花びらがアイラの額に張り付いた。


「冷たっ!?」


 花びらが黄色く燃え上がり、一瞬で黒い消し炭に変わる。炎が触れた場所には氷を押し当てられたような冷気が走った。


「聖句を止めるな! ああなるぞ!」


 サイラスが指さす先には、花びらにまとわりつかれて悶え苦しむ冒険者たちの群れ。ゾンビと執事も同様だ。黄色みがかった炎に包まれ、踊り狂うように身をくねらせている。


 だが、それもわずかな間のこと。眼球が赤黒い糸を引いて腐り落ち、空になった眼窩にも黄色い炎が灯る。そうなればもはや炎に苦しむことはない。


 ――ワイト。そう呼ばれる不死者へと生まれ変わったのだ。


「おやおやおやおや、どうも地獄の門とは縁の薄い方たちも混ざっていらしたようだ。しかーし! <骸の王>は得てしてゲテモノ喰らい。晩餐に珍味を加えるのもまた一興でありましょう!」


 道化師の言葉と共に、ワイトと化した元人間たちがアイラたちに向けて一斉に動き出す。


「悪りぃが、他人様の食卓に上がるときはご馳走される側って決めてるんでね!」


 サイラスが懐から小さな球を取り出して天井に投げつける。シャンデリアに当たった球は砕け散り、そこから眩い閃光が広がった。広間を真っ白に染め上げられ、ワイトの群れは身体をくの字に曲げ、顔を覆って呻き声を上げた。


<聖光>と呼ばれる奇跡を宿らせた球だった。太陽を司る主神ソリスの力を借り、不死者が苦手とする陽光を一瞬だけ顕現する効果を持つ。


 だが稼げた時間はほんの数呼吸。不死者たちは再び、アイラとサイラスに向けてにじり寄る。


「これはこれは! ただの珍味かと思えば珍味中の珍味! 陽神ソリスに仕えし道化の方々でございましたか! ご同輩、崇める神は違えども、神に身を捧げる栄光を共によろこび、言祝ことほごうではございませんか!」


 道化師が演奏を再開する。

 楽曲は太陽の再生を祝う冬至祭の聖歌。


 ――だが、その曲はすぐに中断された。


 窓をぶち抜いて飛んできた黒い棺によって、道化が吹き飛ばされたからだ。


「<骸の王>を知っているのか?」


 破壊された窓枠に、黒い、長身の女が立っていた。

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