第18話 蒼き渦雷のオドゥオール
「右と左、どっちに行く?」
一行は二股の分かれ道に立っていた。これまではエンバーが残した破壊の痕跡や、棺を引きずった跡を追ってきたため迷うこともなかった。だが、そこは赤茶色に濁った水に没しており、エンバーが左右どちらの道に進んだのか判断できる手がかりがなかったのだ。
「左から行こう」
迷ったところで仕方がない。サイラスは即断し、水辺に足を踏み込もうとする。それをオドゥオールが引き止めた。
「深さも不明ですし、水中には何が潜んでいるかわかりません。<水上歩行>を使います」
「へえ、そんな魔術も使えるのか」
サイラスは素直に感心した。迷宮に挑む魔術士は正規の教育を受けておらず、攻撃魔術だけに偏重していることが多い。<水上歩行>などの地味な魔術は習得するものが少ないのだ。
オドゥオールの杖から水色の煌めきが放たれ、一行の身体を包む。元々オドゥオールと組んでいたツバキは慣れているのだろう。何の躊躇もなく水面を歩いていく。一歩ごとに波紋が拡がるが、普通の地面を歩くのと何か違う様子もない。
アイラもおっかなびっくり足を踏み出す。水上を歩くのは初めての経験だ。水面は微妙に柔らかく独特の反発があり、ツバキのように歩くには多少の慣れが必要そうだった。
「何か来る」
ツバキが両手を広げて一行を止める。長い耳がぴくぴくと動き、周辺の気配を探っていた。
「水中。前から来る。5体か6体。たぶん人間サイズ」
そう言い終えるかどうかの時だった。水面が弾け、何かが飛び出してくる。細い鞭のようなそれがツバキに向かって真っすぐ伸びてきた。それを短剣で打ち払いつつ、ツバキは後ろに跳ぶ。
続けて濁った水面から現れた顔は潰れたヒキガエルに似ていた。飛び出た丸い目に左右に大きく広がった口。肌は灰色でランタンの光をぬらぬらと照り返している。ツバキを襲ったのはこの魔物の舌だった。
「ヴォジャノーイか。
水中から襲ってくる舌を盾で受けながらゴゴロガがつぶやく。時折、戦斧で水中に向かって斬りつけているが手応えはない。
「<聖光>を水中に放ちますか?」
「いや、奇跡のたぐいはこういうのには効き目が薄い。そもそもこの水じゃ照らすこともできないだろ」
三節棍を振るうアイラに、サイラスは小剣を振るいながら答える。舌は粘液で覆われていて、打撃も斬撃も通りにくい。攻撃の瞬間に起点を叩ければ有効な攻撃ができそうだが、濁った水中を移動するヴォジャノーイは神出鬼没で出現位置を読み切るのは難しい。
「みなさん、私の合図で水面から跳んでください」
後衛のオドゥオールには攻撃が届いていなかった。目を半眼に細め、古代語の詠唱を開始する。握った
「いきます! <
一行は水面を蹴って宙に跳ぶ。その瞬間、オドゥオールを中心に渦巻く紫電が発生した。幾条もの雷光が水面に落ち、一帯を紫色に染め上げる。
「痛った!?」
反応が遅れたアイラの足先に、水面から細い電光が伸びていた。つま先から膝辺りまで痛みを伴う痺れが走る。長時間膝を折って座っていた足を針で突かれたような感覚。アイラは着地に失敗し、膝を抱えて水面をもんどり打った。
「失礼しました。合図がわかりにくかったですか?」
「いえ、すみません。私が遅れただけです……」
差し出されたオドゥオールの手を握って、アイラはよたよたと立ち上がる。足にわずかな刺激があるだけでびりびりと電撃の余波が襲った。雷系の魔術はこれが恐ろしいのだ。直接的な破壊の他に、後に引く痛みと痺れを残す。
水面には気を失った人型が6体ほど浮いていた。
ツバキとゴゴロガは気を失ったヴォジャノーイに駆け寄りすかさずとどめを刺していく。赤茶色に濁った水面に真紅が拡がった。
「オドゥオール、疲れてないか?」
「この規模の魔術であれば、あと2回は放てます」
オドゥオールの額に薄っすらと浮いた汗に気がつき、サイラスは声をかける。魔術や奇跡の行使には体力を消耗する。渦雷は雷系の魔術の中でも上位のものだ。体力の消耗もその分大きくなる。
「魔術師は一団の最大火力だ。小休止を挟もう」
サイラスは道の先を指さした。水面が途切れ石畳の通路が顔を出している。一行は地面に上がって腰を下ろした。
「ついでにメシにするか」
「俺が火を起こそう」
ゴゴロガが背嚢から折りたたみのコンロを取り出す。鍋を火にかけ、沸かした湯に棒状の保存食をいくつか放り込んだ。これは干し肉や干し野菜を小麦粉で焼き固めたものだ。そのまま齧ることもできるが恐ろしく硬く塩辛い。湯で戻すと簡単にスープが作れ、この街の冒険者が愛用しているものだった。
「思ったよりも美味しいんですね、これ」
「特製の香辛料を入れたからな」
「そういや今のあんたは酒場の親父が本業だったな」
アイラとサイラスがスープに舌鼓を打つと、ゴゴロガが嬉しそうに笑った。
「道はこっちで間違いないみたいね」
ツバキがスープを片手に石畳を指先でなぞる、そこには何か重くて硬いものを引きずった跡がついていた。これを刻んだのはエンバーの背負う棺で間違いないだろう。
一行は休憩を終えると、エンバーの追跡を再開した。
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