第3話 仲間割れ

 迷宮の一角。宝箱の前で言い争いをする二人の冒険者がいた。


「俺が命がけで罠を外したんだろうが! 俺の分け前を増やして当前だろ!」


 ひとりは柔らかく鞣した革鎧の男。武器は腰に差した短剣のみで、斥候役と思われた。迷宮において斥候は、宝箱に仕掛けられた罠の解除を担う。


「何を言ってやがる! 俺が魔物の相手をしなけりゃ、てめえなんざ一層でお陀仏だろうが!」


 ひとりは鉄兜に鎖帷子、細身の大剣を背負っている。これは前衛の戦士だろう。戦士は一団パーティの先頭に立ち、襲いくる魔物を撃退する役割を担う。


 迷宮はその深度によって第一層、第二層などと区切られている。といって、階段をひとつ降りたら次の階層……という風にわかりやすい定義があるわけではない。そもそも迷宮の中には登り坂も下り坂もあり、階段はいくつもあって長さもまちまちだ。


 迷宮の階層とは、冒険者たちが探索の難易度に合わせて慣習的に呼び習わすようになったものだ。階層が深くなればなるほど危険度が高まるが、それに見合って期待できる報酬も高まる。


 そしてここは第三層であり、迷宮探索に慣れたベテランが主に稼ぎ場としている。戦士の男の言う通り、斥候一人で探索できる場所ではない。かといって、ここまで来ると仕掛けられた罠の危険度も高まる。戦士一人では、宝箱に手をかけるまでもなく途中で罠にかかって死んでいただろう。


「最初っからの取り決めだろうが。戦士の俺が7、薄汚え盗賊上がりのてめえが3。札付きのてめえを拾ってやった恩を忘れやがったのか」

「けっ、古い話をいつまでも恩着せがましく。何も俺に全部寄越せって言ってるわけじゃねえ。せめて半々にしやがれっつってんだよ」

「はっ、俺が拾ってやらなきゃ野垂れ死にしてた犬畜生が。生意気に人間扱いしてもらおうとしてんじゃねえぞ」

「いつまでも舐めてんじゃねえぞ、コラァ!」


 盗賊が短剣を抜いた。その目は獣のようにぎらぎらと光っていた。


「へえ、やろうってのか。おもしれぇ。俺もいいかげんてめえにはうんざりしてたんだ。ここでぶっ殺して、もっと腕のマシな斥候を雇うぜ」


 戦士が大剣を抜いた。太い針のような長い刀身。エストックと呼ばれる刺突に特化した剣だ。迷宮を深く潜るほどに魔物も強力になり、アーマーリザードやロックトロールなどの硬い外皮を持った魔物が出現する。こうした魔物に対抗するために、刺突に特化した武器を選ぶ冒険者は多い。


 そしてその大剣は、あっさりと斥候の身体も貫いた。


「……ぜったい……呪って……」


 盗賊は口からぶくぶくと血の泡を吹きながら崩折れる。恨みに燃える目を見開き、戦士に視線を向けたまま。


「へっ、不死者になって復讐してやろうってか。やれるもんならやってみろってんだ、雑魚が。万一来れたところでまた串刺しにしてやるぜ」


 戦士は唾を吐き捨て、大剣の血を拭って背中の掛け金に引っ掛ける。刃のないこの剣は鞘を必要としないため、すぐに抜けるよう掛け金だけにしていた。


 そして舌なめずりをしながら宝箱を改める。中身は無数の宝石が散りばめられたティアラだった。売れば1年は遊んで暮らせる大金になるだろう。あるいはそれを元手に商売を始めるのもいいかもしれない。冒険者稼業など、長くは続けられない仕事だ。


 ――ずずず……ずず……ずず……


 そんな空想をする戦士の耳に、遠くから何か重いものを引きずる音が聞こえてきた。石臼を挽くときに似た音。戦士はこの音が嫌いだった。貧乏暮らしが嫌で逃げ出した故郷の農村を思い出させるからだ。


「誰だ!」


 戦士が掲げたランタンの光に照らされたのは、黒いフードを被った白い女。鉄の棺を背負って迷宮都市を徘徊する葬儀屋だ。人形のような顔は美しいが、感情がないかのように表情を変えることがない。葬儀屋であるということ以外、何一つわからない不気味な女だ。


「おい、見てたのか?」


 女は質問に答えず、倒れた斥候の死体の横に膝をつく。見開いた瞼を閉じてやり、短剣を握りしめた手をほどいて胸の上で組み合わせる。


「おい、見てたのかって聞いてんだよ!」


 戦士は繰り返した。こいつは俺が殺すところを見ていたはずだ。なのに、なぜ何も答えない。


 女が、ようやく口を開いた。墓場で吹く風のような、冷え冷えとする声。


「銀貨1枚」


 女は白い手を戦士に向けて差し出していた。戦士は何を言われたのかわからず、一瞬固まる。それから、ようやく合点がいった。


「な、なんでえ。口止め料かよ。お硬い葬儀屋さんも、案外話がわかるじゃねえか」


 戦士は白い手に銀貨1枚を載せた。数日分の稼ぎだが、これで口止めができるのなら安いものだ。


 女は無言で銀貨を受け取ると、それを死体の口にねじ込んだ。


「な、何してやがる!?」


 突然の奇行に、戦士は思わず声を上げた。女は立ち上がり、戦士の方へ向き直った。女の方が背が高く、その灰色の瞳に見下される。


「弔いだ」

「弔いだあ? その金は、てめえの口止め料だろうが?」

「不死者化予防にかかる銀貨は一団の所属員に負担義務がある」

「くそがっ! 最初から俺をおちょくってやがったんだな!」


 戦士はエストックを抜き放ち、素早い刺突を繰り返した。女の腹を、胸を、喉を、そして眼球を貫いて頭を串刺しにした。


「へっ……へへ、最初からこうすりゃ早かったぜ。<鉄板抜き>と呼ばれた俺様を舐めるんじゃねえぞ」


 女の頭を貫くエストックを握ったまま、戦士はひとりごちる。だが、すぐに違和感に気がつく。急所を四箇所も貫いたのに、なぜこの女は立ったままなんだ?


 女の手が、エストックの刃の根本を掴んだ。そして、ぐいと引き寄せられる。エストックの刃が更に深く、女の眼窩に吸い込まれていく。流れ出す血が、戦士の手にまでつたう。冷たい、血だった。


「な、なんで生きて……」


 それが戦士の最期の言葉となった。女の白い手が戦士の首に伸び、野花のように容易く手折った。戦士はエストックを手放して、石畳にずるりと崩れ落ちた。


 女――エンバーは顔面に突き刺さったエストックを引き抜いて放り捨てると、戦士の死体も斥候と同様に瞼を閉じさせ、両手を胸の前で組んでやる。そして戦士の財布から銀貨を1枚抜き、口の中に含ませた。


 懐から透明な液体の入った瓶を取り出し、二つの死体の全身に振りかける。振りかけるたびに仄青い光を放つこの液体は、聖光教会で祝福を受けた聖水だろう。


 二つの死体を棺に収め、エンバーはまた歩き始めた。鉄棺を引きずる、石臼を挽く音を響かせながら。

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