第五章 平穏と戦争

第25話 餌付け

 迷宮探索から数日が過ぎた。

 道化師のアジトと思しき場所は、教会本部に応援を頼んで調査を行ってもらっている。ワイトを容易く生み出す未知の術式を警戒した教会は、迅速に人員を派遣した。


 死体にかけた懸賞金も継続中だ。

 不測の事態に備えるため、サイラスたちも含めた教会の手をなるべく空けておくためである。だが、迷宮内の遺体回収と不死者の討伐は変わらずに行っている。遺体よりも素材や財宝などを回収を優先した方がよほど金になるため、少々の懸賞金では効果がないからだ。


 そんな中、エッセレシア聖光教会退魔庁不死者対策省メイズ分局――葬儀屋の事務所で少女の声が響いた。


「サイラスさんはエンバーさんのことを知らなすぎます!」

 声の主はアイラだった。腕組みをしてサイラスに詰め寄っている。


「そう言われてもなあ……」

 一方のサイラスは胡麻塩頭をぼりぼりと掻き、パイプをぷかりと吹かす。視線は泳いでアイラと目を合わせようとしない。


「二十年以上も一緒にいるんですよね!? 趣味とか好きな食べ物とか休日には何をしているのかとか何っっっにも知らないじゃないですか!」

「休日なんてないしなあ」

「はあ!?」


 アイラは声を荒らげた。教会の教えでは7日に一度は安息日と定められている。休日なしでの労働など、緊急事態を除けばとんでもないことだ。


「疲れるどころか眠りもしないんだ。ほっとけば不死者を狩りに行く。休みなんて要らないんじゃ……」

「そういうところですよ!」


 アイラの剣幕にサイラスは思わずたじろいだ。エンバーは数日迷宮に潜っては、戻って地上の遺体を処理するというルーチンを繰り返している。疲れを見せることもないため、「休みを取れ」と言ったこともない。


「身体は疲れていなくても、心は疲れるんです! 人間には適切な休息が必要なんですからね!」

「心、ねえ……」

「エンバーさんには心がないって言いたいんですか!」

「いや、そこまでは言ってないが……」


 表情ひとつ変えることがないエンバーだが、サイラスも心がないとまでは思っていない。ただひたすらに捉えどころがないためコミュニケーションを諦めてしまっただけだ。


「サイラスさんがそんなだからエンバーさんが話をしてくれないんですよ!」

「いや、あいつは最初から無口で」

「サイラスさんから仲良くしようとしないからです!」

「仲良くってもなあ……」


 サイラスとしてはエンバーが人族の敵になっていないだけで御の字なのだ。だが、腫れ物に触れるような扱いを続けてきたせいで距離を詰めてこられなかったのも事実だ。ずっと年下の部下であるアイラに強く反論できないのはそういう負い目があるからだった。


 しかし、今更サイラスから親しげに振る舞っても不自然極まりないだろう。そういう意味ではアイラという新風は歓迎するべきかもしれない。サイラスは気持ちを切り替えてアイラに尋ねた。


「そこまで言うからには、何か策があるのか?」

「ふふふ、私に任せてください!」


 薄い胸をぽんと叩くアイラを、サイラスは若干の不安をおぼえるのだった。


 * * *


「エンバーさん、おかえりなさい!」


 迷宮での不死者狩りから帰ってきたエンバーを出迎えたのは見慣れない光景だった。事務所の会議用テーブルの上に、ぎっしりと様々な菓子類が並んでいたのだ。


 その横ではアイラがくりくりした目を輝かせて両手を広げている。エンバーはそれにちらりと目をやると、横を素通りして奥でパイプを吹かしているサイラスの元に行く。


「ゾンビが3。ただの死体が4。あとは忘れた」

「お、おう」

「ちょっ、エンバーさん!? 何にもないんですか!? お菓子ですよ、ほら、お菓子! このパンケーキなんて一刻も並んで買ってきたんですからね!?」


 あまりの反応のなさにサイラスは若干引き、アイラは涙目になった。「甘いお菓子で喜ばない女の子はいません!」と主張し、サイラスから予算を預かって街を駆け回り、評判の菓子を買い集めてきたのだ。


「ほら、ひとくち食べてみてくださいよ! 絶対に気に入りますから!」


 アイラはエンバーの口元に押し付ける勢いでパンケーキを差し出す。身長差が大きいため、ほとんど背伸びの姿勢になっていた。


 エンバーは眉ひとつ動かさず、アイラが持ったままのパンケーキを齧る。まさか手づから食べさせることになるとは思ってもみなかったアイラは、焦って「ほわわわ」とよくわからない声を出した。


「ほ、ほら。他のも味見してみてください!」


 アイラは頬を赤く染め、照れ隠しのように別のお菓子を差し出す。またエンバーがその手から菓子を食べる。そしてアイラがまた「ほわわわ」と次の菓子を差し出す。


「俺は何を見せられているんだ……」


 小さな少女が愛想の悪い馬に餌付けをしているかのような光景に、サイラスは眉間を揉むのだった。

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