勇者が旅立つ日 ④

 日が暮れ始め、レオーンの街は街灯の光に包まれ始めていた。

 街を照らすランプは、土地の魔力を使って動いている。土地の魔力は、土地そのものが保有している魔力の他、人々から日常的に漏れ出す魔力が、土地に溜まっていくことで増す。そのため街の明るさは、その土地や街の豊かさをそのまま体現していると言われている。レオーンの街の灯りは、魔王軍との戦争下にあっても、この街の豊かさを象徴しているように見えた。

 塔の屋上は、そんな街全体の様子が一望できる特等席だった。普通ならその美しい光景を堪能してしたいところだったが、私はそれに背を向けて、ある作業を続けた。魔具〈エクセリク〉を、何度もその場で振り回す。

右へ左へ、上へ下へ。ただ必死に、何度も振り続けた。

「ねぇ、素振り楽しい? それとも新手の舞踊?」

「誰のせいでこんなことやってると思ってんの!」

 ソティルの暴言に、私は怒鳴り返した。

ソティルの封印魔法は、彼女の部屋の周囲に沿って、この塔の上から下まで有効範囲だった。つまり、塔の形にそった円柱の空間が封印魔法の領域となっており、そこから出ようとすると、ソティルを攻撃する仕組みになっているらしい。ちなみにソティル曰く、高さ上限も地下の上限もないらしい。

 つまり、ソティルは部屋に閉じ込められているというよりも、この塔の中に閉じ込められているということになる。それを考慮してなのか元々そういう作りだったのか、ソティルの部屋を中心として、階段を通じて上に屋上、部屋の下には四階分のスペースが塔にはつくられており、トイレや大浴場なども設置されていた。憎らしいほどに快適だ。

 私は何とか封印魔法を破壊しようと、エクセリクを持って各部屋でぶん回してみたり、塔の外へでて魔法を無効化できないか試してみたけど、まったく手応えがなかった。

 そうこうしている内に夕方になり、諦めきれず、今もエクセリクを振り回している。

 このままだと魔王討伐の旅立ちの日が終わりそうだった。

「もう諦めて、田舎に帰ったら?」

 ソティルは下の部屋から持ってきた椅子に座り、私を見ながら退屈そうに欠伸をする。

その頭に、エクセリクを振り落としてやろうか。

「諦められるわけないでしょ! だいたい、何であなたは、そんなに魔王討伐に行きたくないの?」

 私は手を止めてソティルを追及した。

「だって危ないでしょ。だれが好き好んで冒険なんかするの? そんなことするなら、部屋で本読んだり、のんびりお茶してた方が人生充実してると思わない?」

「じゃあ、魔王軍は誰が倒すのよ」

「少なくとも、私じゃないわね」

 ソティルは断言すると、また大きく欠伸をした。

 ……ホント、なんでこんな奴が〈勇者〉に選ばれたのか分からない。やっぱり、予言は信用できない。もし、こいつに何か特別な力があれば別だけど……あっ。

「そうだ、力! ソティル、もしかしてあなた、何か特別な力に目覚めたんじゃない?」

「力って……デュナミスのこと?」

 ソティルが目を小さく擦りながら問い返した。

 デュナミスは、遅くとも十五歳までには発現するもので、ソティルは今日で私と同じ十五歳になる。つまり、何らかのデュナミスが使えるはずだった。力の覚醒は不思議なもので、ある日力の存在を自覚し、それを自分の手や足を動かすように、当たり前に使えるようになる。ソティルにもその自覚があるはずだ。

「もしかしたら、この状況の打開になるかも! 使えるんでしょ?」

「まあ、使えるけど」

 ソティルはあっさりと答えた。〈勇者〉と予言された者が発現したデュナミスは、一体どんなものか。私のように、戦闘に使えるものなんだろうか。あまり強力すぎると、私にとっても障害になりそうで困るけど、今はそれよりもこの状況が好転する材料が欲しかった。

 ソティルは立ち上がって、私の側にスタスタと寄ってきた。

「はい、これ」

 ソティルは言うと、何やら白い紙できたコップのようなものを私に手渡した。

見ると、ソティルの手元にも同じものがあった。

「……なにこれ?」

「ちょっと待ってて」

 ソティルは言うと、またテクテクと歩き出し、階段を降りていった。

一体何が始まるのかと思っていると、

『あーあー、聞こえる?』

 突然、下の部屋へと行ったはずのソティルの声が私の側で響いてきた。

「え、な、なに?」

『あーあー、もしもーし?』

 今度は、はっきりと声の発生源が分かった。ソティルの声は、先ほど彼女が渡してきたコップの中から聞こえてきたのだ。

「そ、ソティル?」

『凄いでしょ。天井越しにもしっかりと私の声が聞こえるし、あなたの声も聞こえるの。コップを耳に当てることなく、音がちゃんと聞けるし、話すこともできるのよ』

 ツラツラと話すソティルに対し、私は頭が混乱した。確かに便利だけど……これがデュナミスと一体どんな関係が? すると、ソティルが屋上へと戻ってきた。

「確かにこれ便利そうだけど……それで、あなたのデュナミスは?」

「だから、これ」

 ソティルは自分の持っていた白い紙コップと、私に持たせた紙コップを交互に指さした。

「これが私のデュナミス……名付けて、糸なし糸電話! 離れた相手と連絡を取り合うことができるという、魔法でもできない能力よ!」

 胸を張って言うソティルに、私は愕然となった。

 糸なし糸電話……???

え、そもそも、電話ってなに?

というか、まさかこうやって、お喋りするだけの能力ってこと……?

「私をからかってるの?」

「事実だけど」

 ソティルは言うと、パチンと指を鳴らした。直後、私と彼女の手元にあった白い紙コップが、光の粒子へと姿を変えて霧散した。

 それは、物質化を伴うデュナミスに見られる現象だった。

 私は突きつけられた現実に、口元が引きつるのを感じた。

「あの……これで一体、どうやって魔王を倒すの?」

「私が知るわけないでしょ。ちなみにこの力が発現したのは、七歳の時。お母様にもお父様にも、面倒だから黙ってたけどね。予言、最初からハズレてるわよ」

 ソティルは事も無げにそう告げた。

 私は思わず、その場に崩れ落ちた。

最初から、魔王討伐の旅が始まる要素はなかったのだ。

「私の人生設計が……」

 私は人生で二度目の、目の前が真っ暗になるという体験を味わった。

何事も経験だと大人は言うけれど、こんな経験はしたくない。

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