勇者が旅立つ日 ②
「人類に残された時間は、あと僅かと言われています」
城の廊下を歩きつつ、エクセリク国の女王、ピラント女王が言った。ピラント女王は、華美な装飾の施された豪奢なドレスに身を包んでいる。銀色の長い髪と端麗な相貌は美しくもあり、威厳に満ちていた。しかし、その高貴な姿にも、今は影が差している。
私は女王の右手側一歩後ろを歩いていたが、その表情が険しいものになっているのが在り在りと見て取れた。
「魔王軍の侵攻によって、我が国は既に国土の半数を失っています。ここ数ヶ月にあった戦闘も、すべて我々の敗北。このままいけば、この王都レオーンの陥落も時間の問題です」
「はい」
私は重々しさを装いつつ首肯した。
異界から現れた魔族たちとその王である魔王が、この大地を侵攻し始めて十年が経った。
初めは小さな村や町を襲う程度だった侵攻も、時間が経つにつれ小国を落とし、今やこの大陸を統べるエクセリク王国を滅ぼす勢いになっていた。
もちろん人類も、大人しく蹂躙されていたわけではない。人類最大の兵力である魔法騎士団を各地に派遣し、果敢に魔王軍と交戦を続けた。
けれど、人類は敗北を積み重ね、次第に追い詰められていった。
魔族は身体能力が人間より優れているだけでなく、人間と同じように魔法を用いたのだ。
しかも、人間よりも遙かに強力な魔力を用いて。
「強力な魔王軍を倒すには、力が必要です。それも圧倒的な力……約千年前、第一次魔王軍の侵攻を阻止した伝説の勇者の力が」
「はい」
そう、つまりは私!
魔王軍なんか、鍛え上げた私のちからでちょちょいと倒してやる。
そして、この国の人全員に、真の勇者は私だと証明して見せる!
女王様、残念ですけど、あなたの娘さんの出番はないと思ってください。
黒い笑みが漏れそうなのを何とか抑えつつ、私はピラント女王の後ろを楚々と歩いた。
「しかし、王都への到着が間に合って、ほっとしましたよ」
「……申し訳ございません。道中、先月の水害で橋が流されておりまして……連絡の鳩を飛ばしたのですが……」
私は遅刻の理由を説明した。
本当は、三日前にはこの城に到着するはずだった。
けれど、橋が渡れずに山を大回りすることになり、結局約束の日当日に、城に着くハメになったのだ。
正直、内心焦りまくって、半泣き状態で到着した。着いたから良かったけど……。
「こういう時の連絡手段がないのは不便ですね……魔法で離れた者同士で会話でも出来ればいいのですけど」
「私が飛行魔法を使えれば良かったのですが……」
「間に合ったので構いません。運命の因果は、収まる所に収まるもの。ある意味これこそ、予言が正しいことの証左なのでしょう。運命とは影。決して人から離れないものです」
「……そう思います」
さも、納得したかのように私は答えた。
正しいことの証左? あのクソみたいな予言が?
冗談じゃない!
私が間に合ったのは、迂回ルートを徹夜で必死に走ったからだ。私の努力の成果であって、断じて予言のおかげなんかではない。
これほどまでに予言が力を持ってしまった根本の原因は、千年前、予言を取り仕切るアステール教の教祖が勇者の存在を言い当てたかららしいけど……皆、たかだか占い程度のものを信じすぎだ。
「その者、十五の誕生の日に力に目覚め、魔王を倒す為、仲間と共に旅立つであろう」
女王様は、予言者の文言であろうことを口にする。そして、少し不安げにその柳眉を下げた。
「そうだと良いのですが……」
「?」
女王の言葉に私は違和感を抱いた。予言の是非はともかく、女王が不安を抱くような要因でもあるのだろうか。
私は女王に付いて歩き、最上階へと続く階段を上った。先ほどの廊下といい階段といい、大理石の床や壁に描かれた宗教画などに私は気圧されそうになるも平然を装った。庶民にこの空間は居心地が悪い。
「ここが私の娘……王女、ソティル・エクセリクの部屋です」
そう案内された部屋の扉の前で、私は疑念を抱いた。
王都レオーンは、丘の上に立てられたエクセリク城を中心とした城下街となっており、街を守るための巨大な防壁が周囲に建造されていた。ただ、その高い防壁を超えて、なお見える建造物がある。それが、エクセリク城の城塔であった。街の丘に建てられ、街のどの建物よりも高くそびえ立つ城の中でも、特段目を引く城塔だ。街を取り囲む壁より高いその塔は、重要な見張り台の役割を担っていると思っていたのだけど……ここが王女の部屋ってどういうこと?
「ここに、ソティル王女がいるのですか?」
「そうです……騎士スピンテール」
ピラント女王が、私の方へと真剣な眼差しを向けた。
「あなたの最初の仕事は、この扉を開けることです」
重い口調で告げるピラント女王の言葉を、私は飲み込めなかった。
扉を開ける? 何でそんなことが?
単に建て付けが悪いからとかじゃないよね……私は言われた通り、ドアノブに手を掛けた。しかし、鍵がかかっているのか扉は開かない。
「そんなことでは開きませんよ」
ピラント女王はいうと、私の隣に徐に立った。
そして、小さく息を吸うと、
「ソティル! いい加減にしなさい! さっさと扉を開けなさい、ソティル!」
突然女王は怒鳴り声を上げ、扉をガンガンと叩き出した。
さきほどまでの美しく楚々とした様子が一転、鬼の形相で扉を叩きまくる女王。
「じょ、女王?」
あまりの豹変ぶりに動揺を隠せない私は、思わずピラント女王の姿を何度も見る。この一瞬で偽物と入れ替わったわけじゃないよね?
すると、女王は扉を睨み付けて、ドアを叩き続けながら言った。
「ソティルは、この部屋から一歩も外に出ないのです! 今に始まった話ではなく、あの勇者の予言を受けて程なくしてからずっと! 私が来るとなると、こうして扉に鍵をかけた上、魔法で厳重に結界まで張る始末! でも、今日という今日は、許しません!
あなたの旅立ちの日なのですよソティル! 出てきなさい! 早く魔王を倒す旅に出なさい! 出なさいバカ娘!」
まったくもって、初めて聞いた事情だった。
え、そんなことになってるの?
全然、意味が分からない。
女王が呼びかけるも、扉の向こうからは何の反応もなかった。そのせいで、また女王が扉を怒鳴りながらドンドンと叩き続ける。女王のこの姿は何というか、わがままな娘に翻弄されるただの母親みたいだった。
「その……もしかしたら、既に部屋にいないのではないでしょうか?」
「必ずいます。あの子は部屋から出ないし、そもそも出られなくしてしまったのですから」
「出られなく、ですか?」
え、一体どういう意味?
「このまま無視を決め込むつもりでしょう……スピラ・スピンテール。この扉を破壊しなさい」
「よろしいのですか?」
女王の言葉に私は戸惑った。貧乏性の私としては、こんな装飾に富んだ高そうな扉を破壊するなんて、気が引けるのだけれど……。
「この扉は、高位魔法でも簡単に破壊できません。しかし、あなたの持つ武具については聞き及んでいます。できますね?」
女王は扉を叩くのをやめ、何処か縋るように私の方を見た。女王に頼られるのは悪い気分ではない。
「承知致しました。女王は扉から離れていてください」
私の言葉に、ピラント女王が扉からゆっくりと離れた。私はそれを確認すると、扉から散歩ほど後ろへ下がり、右手を前に突き出す。
私は〈格納魔法〉を発動した。
手元に青白い発光現象が起こる。溢れた光の粒が集まり、一つの形が立ち現れていく。そして、粒は爆発するような光と共に、私の手元に実体を持った武具を出現させた。
巨大な戦槌が、私の手元に握られていた。その全長は、私の身長よりも遙かに大きい。
魔造武具、〈エクスシア〉。
魔法によって造り出された無比の武器。
その巨大な槌は、質量に物を言わせた破壊力だけでなく、あらゆる魔法をも無効化し、打ち砕く力を持っている。
私の町に代々伝わる武具を、魔王との戦いの為に譲り受けたものだった。あまりに大きすぎる武器の為、日常的に腰に携えたり、背中に背負ったりはできない。だから、普段は格納魔法によって武器をしまって持ち歩いている。それでも、大きすぎるデメリットも大きく、そのサイズ感のせいで、私の格納魔法の空間容量をこの武具がほとんど占領してしまっていた。普通は身を守る鎧や盾、状況に合わせた武具を持ち合わせるのが騎士の常識だったが、私はこの武具しか持ち歩けずにいる。そもそも、鎧なんか身につけていたら重量過多で自由に動けないほどだから、身に纏う装備もほぼ普段着みたいなものにせざるを得ない。
まあ、皆が鎧を装備しているからこそ、目立ってただ者ではない風に見せられるから、気に入ってはいるけど。ちなみに、魔王討伐が進むにつれてお金を稼いだら、ドレスを着て戦ってみようとも少し考えている。これは間違いなく目立つし話題になるだろう。
私は、戦槌〈エクスシア〉を、持ち上げるようにして構えた。
重さ五百キログラムを超える大槌を、私は体内の魔力で筋力を上げ、まるで木刀を扱うかのように軽々と扱って見せる。
私は目の前の扉を見据えると、一呼吸入れた後、身体を回転させて〈エクスシア〉を振った。
「はぁ!」
〈エクスシア〉の打撃面が、部屋の扉に直撃した。
魔法を無効化するときに発生するガラスが砕けるような音が響いた後、扉の弾け飛ぶ轟音が周囲を震わせた。
その直後、扉側から謎の白煙があふれ、廊下に吹き込んできた。
反射的に、私は左手で白煙から顔を隠した。
「な、なに?」
やがて白煙が少し落ち着くと、目の前にはしっかりと扉が破壊された光景があった。
部屋の奥は、いまだに白煙がもうもうと立ちこめている。扉が破壊されたぐらいで、こんな白煙はでないはずだけど……。
「ソティル、いるのですか?」
ピラント女王が手で口を覆いながら、部屋の中を覗き見た。
すると、部屋の奥にかすかに人影のようなものが窺えた。
「――――よくぞ、その扉の封印を解いた」
白煙が晴れた先に、一人の少女が立っていた。
艶やかに輝く金色の長髪。サファイヤのような蒼い瞳。
絹のような白い肌を、燃えるような深紅のネグリジェで身を包んでいる。
その風貌は、私が聞き及んでいた外見と一致している。
目の前の少女こそが、エクセリク王国の王女にして、現代の勇者と言われるソティル・エクセリク――――のはずだ。
ソティルは私の方を見ると、にっこりと微笑んだ。
同い年の同性であるにも関わらず、その妖艶な雰囲気に私は内心ドキッとした。
ソティルがゆっくりと口を開く。
「私はずっと探していた。その扉を開けることができる者を。選ばれし力を持つ者しか、その扉を開けることはできない」
ソティルは厳かにそう告げると、私のもとへと静かに歩み寄っていく。
開けたというか壊したのだけど……一体何を言いたいの?
私が内心疑問を抱いていると、ソティルは私の目の前で手を差し出すような仕草を見せた。
「おめでとう。あなたこそが本当の――真の勇者よ。私の代わりに、魔王を倒す旅に出る役目を与えるわ」
……はい?
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