勇者が旅立つ日 ③

「……はい?」

 意味不明な言葉に、私は思わず気の抜けた声を漏らしてしまった。

 何を言っているのか分からない。

 しかし、ソティルは私の混乱を気にすることなく、途端に晴れやかな顔になり、私の両肩をぽんぽんと叩いた。

「いやあ、私の出発日に代わりが見つかって本当に良かった! ということで、私は一眠りするから、あとは任せたわよ。明け方まで、ロゴス先生の新作を堪能してて寝てないのよ。じゃあ、おやすみなさい!」

 ソティルは言うと部屋の中央にある天蓋付きのベッドへとダイブし、そのままシルクのシーツで覆われた布団をかぶって寝てしまった。

「ええぇ……」

 私は唖然となり、ソティルの寝たベッドを見遣る。

 え、なに、どういうこと?

 私が勇者でいいの? 全然認めてないけど、世間的に勇者はソティル・エクセリクということになってるんだけど……一体どうなってるの?

 あまりに突拍子もない出来事に、あの子が本当にソティル・エクセリクなのか疑わしくなってくる。何かの間違えかと思っていると、

「このバカ娘!」

 私の横からピラント女王が飛び出し、ベッドに眠るソティルの頭をぶん殴った。

どうやら、ちゃんとソティル王女で間違いないらしい。というか、ピラント女王、娘にはそんな感じなんだ……。

「な、何すんのよ、お母様!」

 ソティルが布団から飛び起き、涙目でピラント女王に抗議した。

「あなたこそ何言ってんの! 今日はあなたの誕生日で旅立ちの日でしょ! さっさと魔王を倒す旅に出なさい!」

「好き好んで自分の子を死地へ追いやろうとするのが、親のすることなの!? 誕生日プレゼントぐらい用意しなさいよ、ゲンコツじゃなくて!」

「子供が間違った道を進みそうなら、殴ってでも軌道修正するのが親の務めです! それに、あなたは勇者なんですよ! さっさとこの部屋から旅立ちなさい!」

「うっさいわよ、このババア!」

「ババアですって!? あんただってねぇ、あと三十年もすればババアになるのよ! 若さに甘えるな!」

「娘に嫉妬してんじゃないわよ! 情けない!」

 王族としての品格の欠片もない、見るも醜い母娘の罵り合いが展開されていた。

 私は圧倒されて、静観するしかない。というか、この親子怖い。

「もう、鬱陶しい!」

 ソティルが叫ぶと、不意にピラント女王の足下に、円形の光の魔方陣が現れた。

 魔方陣が緑色の光の発光現象を起こし、女王の身体を包み込んでいく。

 直後、ピラント女王の姿が、忽然と目の前から消えた。

 転移魔法だった。

 どうやら、あらかじめこの部屋に仕掛けた魔法を発動させたらしい。ソティルはしてやったりの顔を一瞬見せると、痛そうに自分の叩かれた頭をなで始めた。

 え、嘘でしょ。

 女王消えたのだけれど。

「……ど、何処に飛ばしたのですか?」

「うっさいから、王族の避暑用の別荘地まで転送してやったわ。ここに戻ってくるまで、馬車を使っても一週間はかかるでしょうね」

 ソティルは言うと、満足そうにベッドの上に両手両足を伸ばして横になった。

 あまりに予想外の事態に、私は自分の顔が引きつっていくのを感じた。私は出現させた〈エクスシア〉を格納魔法で収納すると、目の前の少女に問うた。

「あの……ソティル様で間違いないでしょうか?」

「そうよ。お母様に案内されてきたんでしょ」

 やはり、ソティル・エクセリクで間違いないらしかった。

 にわかに信じられないけど……。 

 すると、ソティルが首だけ動かして、私の方へ視線を向けた。

「で、あなたの名前は?」

 問われて、私はまだ、自己紹介していないことを思い出した。

「失礼致しました。私の名は、スピラ・スピンテールと申します」

「スピラね。もっと砕けた話し方でいいわ。見たところ年変わらなそうだし。何をしに?」

 何というか……王女なのに、やたらフランクだった。

 予想としてはもっと高慢で、民を見下しているような人物像を思い描いていたので、意外な印象だ。個人的には、そういった嫌な性格の方がやりやすかったのだけど。

 さっきから思わぬ出来事ばかりで圧倒されてはいるけど、動揺を見せるのもシャクだしなぁ……まあ、乗っておこう。

「勇者の仲間として、一緒に魔王討伐の旅に出るために来たのよ。あなたが勇者でしょ?」

 私がそう問うと、ソティルは上半身を起こしてなぜか愉快そうに笑ってみせた。何よその笑みは……。ソティルが私の方を指さした。

「さっきも言ったでしょ。あなたが勇者でいいわ。私は冒険なんてしない主義だから」

 どうやらソティルは、本気で魔王討伐を拒否しているらしい。いまいちどういった心境なのか分からないけど。

「冒険しない主義って……でも、予言で告げられていたでしょ?」

 予言なんて信じてはいないけど、一応聞いてみる。

 すると、ソティルは小さくため息をついて、ベッドの上で足をバタつかせた。

「あんな古くさい予知魔法信じてるなんて、皆バカみたいよね。一見精度が高いように見えるけど、詐欺よ詐欺。予言に対する依存の長年の歴史が人の行動を規定してしまったり、出来事の因果関係の解釈に影響を与えているだけ。要するに、皆が予言に沿った行動をしているから、ハズレないだけよ」

 お、ちょっと共感できる点が。

 もしやソティルも、予言に対して批判的なのだろうか。

「だいたい、時間の流れが一本の線、未来が一つしかないっていう前提で作れたものなんて進歩がないわ。多元宇宙論とかも知らない癖に」

 急に出てきた聞いたことのない言葉に、私は思わずオウム返ししそうになる。

私の把握してない新しい魔法理論だろうか……どうも、私とは違う理由で予言が嫌いらしい。

 話が逸れる前に戻そう。

「私にも予言が出ているの。勇者の仲間として、魔王討伐の旅に出るっていう……あなたが旅に出ないと困るわ」

「何よ、困るって」

「魔王を倒せないと、世界が滅ぶ」

 勿論本心は、私が勇者の代わりに魔王を倒すという偉業をなすことで、周りにチヤホヤされる計画が狂うからだけど、建前でごまかす。

「別にあなたが行って、魔王を倒してきていいんだけど」

 退屈そうな顔で、ソティルが私に視線を向けた。

 私だって、本当はそうしたいっての。

 鍛え上げた自分の今の力量なら、魔王にだって対抗できるという自負がある。

 けれど、ことはそう簡単じゃない。

 王族であるソティルが〈勇者〉であるという予言を受けている以上、その予言を覆して魔王を倒すことは、予言を取り仕切る教団とエクセリク王族の二つのメンツを潰すことになってしまう。

 そうなっては、私が魔王を倒せたとしても、称賛を得ることは難しい。

 最悪、無理矢理な理由を付けられて、犯罪者のレッテルを貼られる危険があった。

 私の目的を達成するためには、まず本来の〈勇者〉であるソティルに負けてもらい、予言が間違っていたことを世間的に示す。その後に、私が魔王を倒すという段取りが必要不可欠なのだ。

 だから何としても、魔王討伐の旅へソティルを連れていかないといけない。

「予言に従うのが、成功への最善の道よ」

 私は最も柄ではないことを言った。

「……へー」

 明言する私を見ると、ソティルが何故か楽しげに口元に笑みを浮かべた。何かイヤな感じだ。

「……なに?」

「いやぁ……あまり従順そうな目をしてないけど、と思って」

 ソティルの言葉に、私は微かに心臓が跳ねた。見透かされたように感じて気分が悪い。

 けど、私はそんな心の揺らぎを顔に出さないよう、努めてすまし顔をする。はったりだとしたら、それに引っかかる方がバカらしい。

「魔王を倒したいのというのは本心よ。だからこそ、勇者様の力が必要なの」

「私程度の力なんてねー」

「でも、魔法力は確かなものだと思うけど」

 これは、私の率直な感想だった。先ほどのピラント女王に使った転移魔法がそれを証明している。

 あの時に、ソティルから感じられた魔力は、常人よりもはるかに高かったし、床に描かれた転移魔法の魔法式も高度なものだった。一般的に魔法力のランクは、体内で生成できる魔力量の上限と、扱える魔法の質と数を合わせて計られ、規定されている。

 ソティルの魔法力は、少なく見積もってもAランク以上だ。上位といって間違いない。

 まあ、ダブルAの私ほどではないんだろうけど? どんなに資質があっても、大した修行をしてなさそうだし? やっぱ真の強さは積み重ねた努力で決まるのよ。うふふ……。

「魔法力の強さなんて、勝利を約束するものじゃないでしょ」

 内心勝ち誇っていた私に、冷や水を浴びせるようにソティルが言った。

「そ、そんなことないでしょ。魔法力が高ければ、魔王軍との戦いだって有利になる」

 少しムキになって言うと、ソティルは冷静な口調で続けた。

「有利とまでは言えないわよ。魔族と人間の平均的な魔力生成量の差は三倍以上と言われてる。もし同じ程度の魔法技術を持ってるなら、単純に魔族一人に対して、同じ戦闘力を得るのに、人間側は三人必要。私程度の魔法力じゃ、状況を覆すには至らないわ」

 それはよく言われている話だった。

 魔王軍はこの世界とは別の、異界からこの世界にやってきている。そのせいか、魔王軍自体の人数は、一個師団以下と言われていた。

 だから、当初は数で勝る人類側が、有利だと楽観視されていた。

 しかし、蓋を開けてみれば、個々の戦力で圧倒的に勝る魔王軍に、人類は劣勢を強いられ、今に至るまで続けている状態だ。

 人間と魔族では、その戦闘ポテンシャルに雲泥の差があった。

まるで大人と子供のように。

 そんな状況もあって、かつて一人で魔王軍の第一次侵攻を退けたという〈勇者〉の再来を、多くの人が渇望しているというのが今の状況だ。なんともバカらしいけど。

「でも、私と、〈勇者〉のあなたならできるわ」

 あえて、言い切ってやる。

 私は、魔王を倒す為に、八年間も修行をしてきた。魔造武具の戦斧〈エクスシア〉も使いこなしているし、私のデュナミスも戦闘向きだ。勝つための訓練は出来ている。

 私がそう言うも、ソティルは興味なさそうに、ベッドの天蓋へと視線を向けた。

「個人の戦術レベルの高さで戦況は覆らないし、それじゃただの精神論よ。だいたいあなた、田舎から来たなら、魔族と交戦したことないでしょ?」

 その一言に、さすがに私は僅かに狼狽えてしまった。正直、痛い所を突かれた。

 私の修行していた場所は、魔王軍との戦線からかなり離れていたこともあり、一度も魔族相手の実践経験を持てなかったのだ。対人戦で負けた経験はないが、確かに、魔族との戦闘は未知数ではあるんだけど……ここは認めた上で反論していこう。

「だからこそ、経験値を増やす為にも魔王討伐に出るべきじゃないの? やる前から結論を出しても意味はないんじゃない?」

「戦う前に、可能な限り敵を知るべきよ。そして、実際の結果に近い想定はすべき。命がけの戦闘に、やり直しはきかないんだから」

「でも、誰かが戦わないと人類は滅びる」

「誰かがね。そもそも、私が一番気にくわないのが……まあ、いいや」

 ソティルは何かを言いかけると、苛つきを吐き出すように、足をベッドの上でバタつかせた。

 私はその姿が、我儘を言う子供のように見えて無性に腹が立った。

 どうしてこんな無責任な子が、〈勇者〉なんだろう。

 私は望んでも、その立場を得ることは出来ないというのに。

 だいたい、やりもせずに出来ないというのも気に入らない。

 力をつけた今の私にはわかる。ソティルには魔法を扱い戦う、騎士としての素質が間違いなくある。それに、おそらくソティルにも、私と同じような何らかの優れたデュナミスがあるはずだ。

 デュナミスは魔法とは違って、後天的に身につけることができない天与の才。

魔法と同じく魔力を用いる超常の力だが、その所有者しか使えない点で魔法とは異なる能力だ。人によっては、魔法を超えた特別な力が宿っている場合もある。

 予言を根拠にしたくはないけど、少なくとも〈勇者〉の仲間と予言された私にも、特別な力が宿っていた。

 私とソティルなら、魔王を倒せるという言葉も、無根拠に言ったわけじゃない。

 きっと、ソティルにはまだ、秘められた力があるはずという確信があった。

「何を考えてるのか想像つくけど……無駄よ」

 私がじっとソティルのことを見ていると、ソティルが呆れたような顔をした。私は自信満々に、ティルのことを見返した。

「勇者は、魔王を倒すものよ。千年前がそうだったように」

「そんなこと私に言ってもね……だいたい、仮に行こうとしても無理だし」

 ソティルは言うと、自身の首の辺りを指さして見せた。

 ソティルの首には、黒いチョーカーのようなものが付けられていた。ただのアクセサリーの一種に見えるけど……魔王討伐との関連性がいまいち見えない。

「どういうこと? そのチョーカーがどうしたの?」

「百聞は一見にしかず、よ」

 ソティルはベッドから起き上がると、壊れた扉の側まで移動した。私もその後に付いていく。

「ここがだいたい境界線」

 ソティルが部屋と廊下の境目あたりを指さした。そして、不意に私の手を握ると、

「怪我しないようにね」

 と一言呟き、部屋の外へ一歩出た。直後、ソティルの首元のチョーカーが鈍く発光した。

 全身に悪寒が走った。

 見上げると、私とソティルの頭上二メートルの空間に突如魔方陣が現れていた。

そして魔方陣の中から、いくつもの氷柱が現れ、私とソティル目がけて放たれた。私はソティルの手をすぐさま引っ張り返し、部屋の中へと飛び退いた。

 氷柱は廊下の床にぶつかる直前で霧散した。

 どうやら、建造物そのものには被害を与えない仕様らしい。けれど、もしあのまま廊下にいたら、私もソティルも、氷柱によって串刺しになっていただろう。

「なによ、これ……」

 ソティルに問うと、ソティルは腕を組んで廊下の方を見遣りつつ答えた。

「部屋の周囲を基準に、結界が張られてるの。この決められた空間から出ようとすると、まず第一段階として、頭上からの氷柱攻撃が始まる。さらに十メートルほど離れると、今度は火炎魔法の攻撃。二十メートルで雷撃攻撃。距離が離れるほど殺傷能力と攻撃範囲が広がる仕組みになっていて、試した限りだと、百メートルを超えたところで、巨大なゴーレムが召喚されて攻撃してきたわ」

「つまり……この部屋か出られないってこと?」

「そう。一種の封印魔法ね」

 淡々と告げるソティルに対し、私は愕然となった。

ということは、ソティルがいくら〈勇者〉の適性があったとしても、この封印魔法を解かない限りそもそも魔王討伐の旅に出られない? 

 …………ウソでしょ?

「わ、私の〈エクセリク〉を使えば……」

「この封印魔法は、塔全体の空間そのものに及んでいるからねー。扉の封印みたいに、物体に仕掛けられているわけじゃないから、魔法無効化の対象外」

「なにそれ……」

 大抵の攻撃魔法などを撥ね除ける力をもつ〈エクセリク〉すら通用しないなんて、一体どれだけ高度な封印魔法なのか。

「これほどの封印魔法……まさか、魔王軍にやられたの?」

 あまりの事態に、思い当たったこと私は問い描けた。〈勇者〉と言われているソティルの動きに対して、魔王軍が先んじて手を打ったというのだろうか。

「いや、自分でやったんだけど」

「…………は?」

 あっさり言うソティルの言葉を、私はすぐに飲み込めなかった。

「……どういうこと?」

「だから、自分で自分に封印魔法を掛けたのよ。どうしても、魔王討伐なんて行きたくなかったから、部屋から出られないようにしたの。〈勇者〉だって言われた翌日にね」

 つらつらとソティルが続ける。 

「しかも、子供の頃に適当な魔法式を全魔力で強引に成立させたから、解けないのよねー、まったく。ぐちゃぐちゃになっちゃった知恵の輪みたいな」

 言うと、ソティルはケラケラと笑った。

 私はそんな彼女の様子を見て、

「いや、なにしてんのあんた――――!」

 思わず、そう叫ばずにはいられなかった。


 冒険の旅は、遙か前に、始まる前から終わっていたのだった。

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